平安時代に 空海(弘法大師)が,
九度山町慈尊院から 高野山奥の院御廟までの約24kmに,
一町ごとに木製の卒塔婆(そとば)を 216基建立しました。
(慈尊院から根本大塔まで180基,根本大塔から奥の院御廟まで36基)
鎌倉時代になり 約20年をかけて,
木製卒塔婆から 花崗岩の石卒塔婆に再興されました。
約750年の歳月を経たいまも,参詣者や登山者の道標となっています。
そして 空海が開いた この表参道は,
天皇から庶民までが 一町毎に合掌して登った 「祈りの道」なのです。
九度山町慈尊院から 高野山奥の院御廟までの約24kmに,
一町ごとに木製の卒塔婆(そとば)を 216基建立しました。
(慈尊院から根本大塔まで180基,根本大塔から奥の院御廟まで36基)
鎌倉時代になり 約20年をかけて,
木製卒塔婆から 花崗岩の石卒塔婆に再興されました。
約750年の歳月を経たいまも,参詣者や登山者の道標となっています。
そして 空海が開いた この表参道は,
天皇から庶民までが 一町毎に合掌して登った 「祈りの道」なのです。