待つしかない。
それが人生の知恵というものだろう。
それはわかっている。わかってはいるのだが、その重苦しい時間の経過をじっと耐えて仔つあいだが、なんともやりきれないのである。
「酒はこれ忘憂の名あり」と、親驚は言ったという。
『口伝鈔』という書物のなかに出てくる話だ。
またむかしの人は「酒は愁をはらう玉箒」などとも言った。しかし、酒で憂さをはらすことのできる人は幸せだと思う。
たとえそれが束の間の忘憂であったとしてもである。
しかし、酒を飲めない人間はいったい、どうすればよいのか。
バイクを走らせて気をまぎらわせるか。それとも競馬にでも行くか。
心の憂さの捨てどころがパチンコ店通いかカラオケというのも、なんとなくさびしい気がしないでもない。
五木寛之『大河の一滴』より
この夏ドイツを旅していたとき、我々を乗せたバスは“ドナウ河”の支流を渡った。
大河を見てみたい・・・ 悠久と流れる大きな河を・・・
「写真;ドイツ国内を流れるドナウ河の支流」
それが人生の知恵というものだろう。
それはわかっている。わかってはいるのだが、その重苦しい時間の経過をじっと耐えて仔つあいだが、なんともやりきれないのである。
「酒はこれ忘憂の名あり」と、親驚は言ったという。
『口伝鈔』という書物のなかに出てくる話だ。
またむかしの人は「酒は愁をはらう玉箒」などとも言った。しかし、酒で憂さをはらすことのできる人は幸せだと思う。
たとえそれが束の間の忘憂であったとしてもである。
しかし、酒を飲めない人間はいったい、どうすればよいのか。
バイクを走らせて気をまぎらわせるか。それとも競馬にでも行くか。
心の憂さの捨てどころがパチンコ店通いかカラオケというのも、なんとなくさびしい気がしないでもない。
五木寛之『大河の一滴』より
この夏ドイツを旅していたとき、我々を乗せたバスは“ドナウ河”の支流を渡った。
大河を見てみたい・・・ 悠久と流れる大きな河を・・・
「写真;ドイツ国内を流れるドナウ河の支流」