e411y(回顧録)

e411yの旅でのことを書き残しておきたいと思います。

くんなかの道

2010年09月15日 | 道路・鉄道・船
大和国中(くんなか)の道。
国中とは奈良盆地の中央部のこと。
国中の集落を通る道は,まず道幅が狭い。
軒の下に,車の接触から家を守るため,石が置いてある。
道の反対側には溝がある。
道の端には電柱が立っている。
フェンスや塀もある,
そして,曲がり角は狭くて非常に曲がりにくい。
「写真;大和国中の道」

強力殺虫剤

2010年09月14日 | 我が家
蚊対策,昨日のつづき。
親父は「蚊とり線香」がよく効くというが,
それでも蚊は室内を飛び回る。
そんな時,登場するのがこれ,「強力殺虫剤」。
でも・・・
家中がこの臭いで籠もってしまう。
それを息子が嫌う。
「写真;粟津温泉で見かけた看板」

蚊取り線香

2010年09月13日 | 我が家
親父が言うには
「今風の蚊取り機は,あんまり効かへん!
 昔からの蚊取り線香が一番や。」
親父が,家の中で蚊取り線香を使うので,
家中煙っぽくって,私はくしゃみ。
「写真;粟津温泉で見かけた蚊取り線香の看板」

頭を垂れる稲穂

2010年09月12日 | 趣味の園芸
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
        俳句。詠み人知らず。
稲穂は実れば実るほど穂先を垂れ頭を下げることから、
君子は学識や徳行が深まるほど謙虚になるものだということ。
地位が上がっても謙虚に生きなさいという戒め。

私もこうありたいものです。

今月末か来月初めに稲刈り予定。

「写真;我が家の早生もち米」

龍馬と帯刀

2010年09月11日 | 
日曜の夜,欠かさず観ているのは『龍馬伝』。
先週は京都伏見の寺田屋事件やった。
TVの横には,知人から戴いた「小松帯刀」。
薩摩の芋焼酎。
篤姫で有名になった方。
今回の『龍馬伝』にも登場してはった。
龍馬を観ながら薩摩焼酎「小松帯刀」。
エエ話やなぁ~

ソーダ水とサイダー

2010年09月10日 | 薀蓄
先日,ユーミンの『海を見ていた午後』のことを書いた。
たしか歌詞は,
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上って きょうもひとり来てしまった
 山手のドルフィンは 静かなレストラン
  晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
   ソーダ水の中を 貨物船がとおる
    小さなアワも恋のように消えていった

そこで思ったのが,“ソーダ水”って何?ってこと。
“ソーダ水”は,炭酸ガスを含む水“炭酸水”のこと。
じゃぁ~“サイダー”は?
“サイダー”は、国や地域によって定義が様々であるが、
日本および韓国においては、甘味と酸味で味付けされたノンアルコール、
無色透明の“炭酸飲料”のこと。
ん~~
そうしたら・・・
“ソーダ水”と“炭酸飲料”の違いは???
謎は深まるばかり・・・
「写真;神戸で見たメリケンサイダー」

丹波篠山・デカンショ通り

2010年09月08日 | 薀蓄
丹波篠山で見かけた「デカンショ通り」。
盆踊り?の唄でよく聴いたけど・・・
いったい「デカンショ」って何やろう?
調べてみると,
"デカンショ"の語源については多くの説があるという。
・古くからの盆踊り唄にある「ドッコイショ」の変化で、「デッコンショ」-「デカンショ」
・青山藩士たちがよく飲みあかし、唄い明かした事例がそのままに「徹今宵」―「テッコンショ」-「デカンショ」
・郷土出身者の「天下将」たらんとする心意気がそのまま「テンカノショウ」-「デカンショ」
・学生たちが、有名な三人の哲学者「デカルト」「カント」「ショウベンハウエル」の頭文字をもじったという「デカンショ」
・昔から丹波杜氏の出稼は有名で「出稼しょう」-「デカンショ」
・その他方言「デゴザンショ」やら、あるいは大きなこと「デッカイコト」しよう。

さらに,こんな歌詞も見つけた!
・ 酒は飲め飲め茶釜で沸かせ 御神酒上がらぬ神はない
・ 「論語」「孟子」を読んではみたが 酒を飲むなと書いてない
・ 酒を飲むなと書いてはないが 酒を飲めとも書いてない
・ 出来ることなら一年中を 夜と日曜にしてみたい
ホンマニええ歌詞やなぁ~
「写真;丹波篠山・デカンショ通り」

丹波篠山でドイツ?

2010年09月06日 | ドイツ
旅に出かけると町をウロウロ。
特に食料品店(青果店?)がお気に入り。
そこには,その地方その地方の特産品が並んでいるから。
丹波篠山でも食料品店(青果店?)を発見!
その店頭が楽しくて・・・
まずは,枝豆(丹波黒)は地元特産,超有名。
次に,様々な形をしたカボチャ,食用と置物と。
茄子が数種類。
ナタマメもあった。
オクラの形が・・・
瓜も何種類かあった。
そんな中,大発見は「ドイツ瓜」!
なんで「丹波篠山」で「ドイツ」?
帰ってネットで調べたけど,分からんかった???
お店の人に聞いとけばよかった・・・
小魚の串刺しは芸術品やったなぁ~
「写真;ドイツ瓜」

精霊蝗虫の道先案内

2010年09月05日 | 趣味の園芸
朝から趣味の園芸「栗拾い」。
「そろそろ早生栗が落ちだした!」と親父に頼まれた。
金バサミと袋を持って栗畑へ。
その栗畑への道先を案内してくれたのが,この精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)。
いろんな出会いがあるから“趣味の園芸”は楽しいなぁ~
せやけど,午後から蝮に出会うたのは恐かった!
ホンマは退治せんなアカンのに逃げられてしもた・・・
「写真;精霊蝗虫(ショウリョウバッタ)」

舞鶴若狭自動車道

2010年09月04日 | 道路・鉄道・船
私も,高速道路無料化社会実験の対象路線を走ってみたかったんや。
せやけど・・・
近畿ではその対象路線は少なく,そこへ行くのに有料の区間をかなり走らんとあかんのです。
今回の丹波篠山行きの理由のひとつ。
たしかに,無料やった!
@高速道路無料化社会実験
国土交通省は2月2日、2010年度から社会実験を実施する高速道路無料化の対象路線を発表した。対象路線は三大都市圏、札幌、仙台、広島、福岡の各都市圏内の路線、これを相互に連絡する路線、これと県庁所在地を結ぶ路線で、合計37路線。
初年度の実験の対象区間は予算に加え、「首都高速、阪神高速道路を除く高速道路」、「休日上限1,000円による渋滞発生頻度」、「他の交通機関への影響」、「高速道路ネットワークの状況(有料・無料の連続性など」を踏まえて、決定された。

「写真;舞鶴若狭自動車道」


花格子のそば湯

2010年09月02日 | 麺類
せっかく高速道路を奈良から走ってきて,城下町散策して腹減らしもしたのに
「ろあん 松田」の定休日が火曜日やったなんて・・・
頭の中はお昼の蕎麦でいっぱいになってたのに・・・
春日神社近くの駐車場に停めておいた車に乗り,国重要伝統的建造物群保存地区「河原町妻入商家群」へ移動。
男の勘で,ここに旨いモンがあるような気がしたんやった。
最近,国重要伝統的建造物群保存地区をブラブラするのが続いてる。
橿原の今井町,大和五條の新町通り,先日の宿場町・関。
そんな篠山・河原町で見かけた蕎麦屋が「花格子」やった。
店内の雰囲気,良かった~
料理が出て来るまでの時間が長くって・・・
それが,自分自身を癒してくれた。
城下町散策の汗もひいたし・・・
注文したのは,お昼のセット膳? 1200円。
美味しかったのは,揚げたての天麩羅,粗挽きで香りと歯ごたえのある蕎麦。
(板状の揚げ蕎麦は,家人に食べられてしまった。)
せやけど,1番美味しかったのは「そば湯」!
そんなん言うたら,店のご主人に失礼やろか?
ホンマニ美味しかった~あの「そば湯」。
暑い夏には,熱い「そば湯」。
@そば湯
もりそば(蒸篭でもざるでもいいが)食べた後、余った汁にそば湯をさして飲み、そばの余韻を楽しむ。そば好きには堪えられないひととき、そばの醍醐味であろう。なにかと「こだわり」を大事にするそばブームのせいか、昨今はそばの食べ方ばかりか、そば湯の飲み方についての講釈も耳にする。
そば湯を飲む風習はまず信州で始まり、江戸時代中期の寛延(1748~51)の頃、江戸に広まったとされる。寛延は、江戸市中でそば屋の数が目立って増え始めた時期でもある。そばがもてはやされるようになると同時に、そば湯も愛好されるようになったということらしい。
ただ、どうしてそば湯が盛んに飲まれるようになったのか、その理由ははっきりしない。うどんや冷や麦、そうめんの茹で湯は飲まないのに、そばの茹で湯に限り、そば湯と称して賞味する。うどんの場合は、麺中の塩分が溶け出していて塩っぱいから、というだけでは、説得力に欠けるようだ。
そばの茹で湯は栄養価が高いからというのは、もっともな理由ではあるが、これは現代人の感覚である。江戸時代の人々に、そのような知識があったとは考えにくい。
そば湯の普及に先駆けて、元禄10年(1697)刊の『本朝食鑑』が取り上げ、「そばを食べた後にこの湯を飲まないと病にかかる、食べすぎてもこの湯を飲めば害はない」という説を紹介しているが、どうも著者自身は疑問符をつけているような書き方である。『本朝食鑑』以後も、そば湯の薬効について説得力のある説明をしている書物は見当たらないという。

「写真;花格子のそば湯とデザート」

篠山城

2010年09月01日 | 
昨日は折角の高速道路無料区間を利用し,前回食べ損ねた蕎麦を食べに丹波篠山へ。
丹波篠山は城下町。
篠山城は,慶長10年、常陸笠間より丹波八上城へ入った松平(松井)康重は、慶長13年に徳川家康の命により篠山に築城した。
家康は、関ヶ原の合戦に勝利した後、豊臣恩顧の西国大名の勢力を削減して徳川幕府の確立のため、戦略の要衝の地に天下普請で築城した。
篠山城もその一つ。
(篠山城以外に、膳所城・彦根城・丹波亀山城・名古屋城・越後高田城などの諸城がある。)
篠山城築城には、普請奉行に池田輝政が命じられ、藤堂高虎の縄張りにより西国大名の天下普請で築かれたという。
城としては中規模やけど、城郭建築の技術が最高に高まった時期に、しかも天下普請として幕府の威信もあったんやろなぁ~
今に残る石垣群を見てると、この城の堅固さを改めて認識させられた。
せやけど・・・昨日も酷暑。
落ち着いて見学出来るような気温でなかったのが残念やった。
「写真;篠山城」