ごぶさたしちゃってました。
先週は田舎に帰って、茶の湯炭の大会に参加したりとか、地元の市長に会いに行ったりとか、地域振興とジャーナリズムを両立する仕事を確立するための布石みたいなものを打てたのか打ててないのかわからないけれど、いろんな人と話をしてきました。その中には、いろんなヒントもあって、いくつかのアイディアが浮かんだので、形にすべく年内ダッシュだー。なんて言うほどの余裕も無いほど尻に火がついた状況です。
一方で、その間テレビでは日中関係のニュースばっかりで、民主党代表選のことをあれだけ書いてたのがうそのように脱力中です。
というわけででもないんですが、今回は、前回のものの値段のこととちょっと関係があるのかないのか、最近、近所のお店で売れている商品の話から、what is value?を考えたいと思います。
<近所の店の売れ筋商品>
うちの近所のある店で、ちょっとした売れ行きを見せている人気の商品とは、ショッピングバッグである。ルイヴィトンみたいに、持っている人に街で何人も出くわすわけじゃないのだが、お店に行くたびに売り切れては補充されている。
それがコレ。

ただの水玉のビニールバッグだ。
0が何個違うのか?ヴィトンなんかとくらべてすんません。
それにしても、このバッグ本当によく売れてるのだ。
この前、店に行った時も売り切れ。
店員さんに「よく売れてるの?」と聞いたら、「売れてマスよ~。次もすぐ入荷します。」と言っていた。
最初、私がこのバッグを買ったのは、黒のバージョン。

見たとたん、「かわええ!これは買いだ!」と心の中で叫んだ。
ちょっと安普請ながら、持ちようによっては、私の好きなコムデギャルソンの服にも合いそうだし、水玉といえば、草間弥生みたいじゃんねえ。
そこで、コムデギャルソンの今年の春夏モノでたまたま企画された草間弥生コラボTシャツに、このバッグを合わせてみた。



いっぱい写真とったので、せっかくだから載っけた。
どうだろう?
ちょっといい感じだと思わん?
このコーディネートの足元のシューズはやっぱこの黒に白の水玉っしょ。
以前このブログでも紹介したアメ横のフットモンキーで買ったK-SWISSの型落ち。
3000円だったか4000円だったか?

たまたま昔のギャルソンの水色とピンクのシャツも持っていたので、こんな感じでピンクとブルーの袋も合わせてみた。


うふふふふ。
いつも、小沢一郎だ、アフガンだとおどろな話ばかり書いてる私ですが、こういうのも大好きなのだ。楽しいなあ~。
<このバッグを売ってるお店>
というわけで、この水玉バッグ、どこで買う事ができるのかというと。
実はこちら、上野の100円ショップ「シルク」なのだ。

つまり、このバッグ105円。
さっきの草間弥生柄のギャルソンTシャツは確か9800円くらい。
水玉バッグは105円。超格差コーディネートである。
こんなにたくさん入荷していても、

すぐに、こんなに売り切れてしまう

そして、さらに入荷。

そして、愛用者はここにまで拡大。

水玉バッグがやけにハマっている。
それに、このおじさんよーく見るとかっこ良くない?
帽子といい、ややダボ系のクロップドパンツの長さは絶妙。つうかくるぶしの出し方と草履がいい。
そのほか、ジャケットのピタ感とか。水玉バッグの年期入った使いこなし感とか。
まあ、水玉バッグ持ってたから、というひいき目もあるけど、それでも、このおじさんがこの黒の水玉バッグを持っているのを見つけたときは、「かっこいいとはどういうことか」を考えさせられた気がした。
さらに、このおじさんを見かけた後、今度はテレビで、衝撃的なシーンを目撃した。
NHKの夕方のニュースの特集コーナーで、年間200万円万引きされる店として、この「上野シルク」が登場。
なんと、つかまった万引き犯がこの黒い水玉バッグを持ってたのだ。
いろんな目的で買う人がいるもんだ・・。
こんなに幅広い層に売れてるんだもん、すぐ在庫が無くなるわけだ、なんて妙な納得をしたりしてしまった。
もちろん万引きのために買う人なんて例外だし、万引きなんてしちゃいけないんだけど、なんだかこの水玉バッグの懐の深さのようなものを感じてしまったのだった。
実際には、上野やアメ横で沢山の買い物した人が、袋を一つにまとめるためにこのデカイ水玉袋を買っているという辺りが、よく売れている最大の理由なんじゃないだろうかと思う。店側もそうした客の行動を見越して、店頭の一番目立つところにこの袋をぶら下げているのだろう。
とはいえ、私は、実用全く抜きで、この黒の水玉のデザインとビニールの質感が妙にマッチした袋に草間弥生を思い、かっこいいと思って買った。縫製の悪さもパンクだとかなんとか言って・・。
1000円だったら買わないでしょ?と聞かれれば、確かに買わない。しかし、300円なら買っている。いや350円でも買うかな。
+250円は自分だけのウキウキワクワク代だ。
私はデフレを助長する激安商品がはびこるのはどうかと思うが、全てダメだと言う気にもならない。というのも、100円ショップはある意味、買い物の楽しさを教えてくれることがあるからだ。
<100円ショップは「実用的」か?>
100円ショップの商品というと、実用性のみの追求のように思われがちだが、
実のところは、実用性を求めて買うと失敗することも多い。やはり品質とか使い勝手の部分で劣るものが多いからだ。
やはり、それなりの値段のきちんと作られたもののほうが実用的なのだ。たとえば、布ガムテープとか画用紙とか。
むしろ、100円ショップでの掘り出し物は、この水玉バッグのように、たま~に突然変異のように生まれるグッドデザインだ。もしくは倒産品に類するものと思われる見切り品。そもそもはもっと高いものが、やむなく100円になっている。
ブランドものが、高い値段で人の選択眼を惑わすとしたら、100円ショップは、100円という均一の激安価格が、その商品の本当の価値を見えなくする。均一価格の商品の中には、実質的な価値は100円以上のものも以下のものも混ざっている。
また、あの水玉バッグが私の胸にズギューンと来たように、人それぞれその価値の意味や大きさは違う。
そして今、私は、そんな均一ラベルの下に隠れた価値を見いだす遊びに夢中なのだ。
なんて、シルク通いをしていたら、バラエティ番組でそんな遊び(どれが100均のものか当てるゲーム)をやっていた(とほほ)。
骨董にしろ何にしろ、目利きの楽しさっていうのはそういうもんなんだろうと思う。
私は今お金が無いので、100円ショップでそういう楽しさ味わわせてもらっている。
ただ、100円ショップでは、失敗しても痛みが小さいから、危機感もほとんど無くて、安易な買い物になってしまう恐れもある。「大量消費社会もそろそろちょっとね・・」なんていいながら、いるのかいらないのか分からないこんな水玉のバッグを買っている自分に後ろめたさがないとは言わない。
しかし、店先にこんなカラフルでポップなバッグを無造作に山のようにぶら下げてる店員とか、売れる売れるとどんどん量産している工場とか、その袋を買って空き缶集めてるおじさんとか、草間弥生Tシャツと合わせてる自分とか、アメ横で買い物してこの袋にまとめてるおばちゃんとかおにいちゃんとか、このバッグに関わるいろんな人の姿を思い浮かべると、みんなたくましく生きてるなあという気がして、それが一番ヒップでパンクなんじゃないかという気がするのだ。
多分それは、みんな使う目的がはっきりしてて潔いからじゃないかと思う。
「なんとなくクリスタル」じゃないけど、この水玉バッグにはあんまり「記号性」がない。買ってる人はほぼ実用で買っているのだろうし、売る側も単純に売れてるから増産しているのだろう。そこには戦略とかマーケティングがあまり見えてこない。いや、実はものすごい戦略が・・なのかもしれないけど、それは商品を「記号化」するという類いのものではないだろう。
そんな商品をコムデギャルソンと合わせようとしている私が最も記号性の虜なのかもしれないくらいだ。
なのに、この水玉バッグは、そんな「実用需要」のただ中で、自らの超ポップな異形によってオーラを放っている。
「記号性」を求められない有象無象の中に突如として現れた「突然変異」。
人は「実用性」「合理性」だけでは生きて行けない事を主張するかのように異彩を放つ。
この「記号」であふれかえる世の中で、私の目にこの水玉バッグが魅力的に映ったのは、その辺に理由があるのかもしれない。
そして、100円ショップ探検の魅力も、そうした実用性の森の中で、実用性に飽き足らず自ら叫び出しそうな変なデザインの商品を見つける事にあるのだろう。
そして、そうした異形のデザインは、一見、実用性のみを求められているかに見える100円ショップの商品を作るデザイナーたちの無言の自己主張であり反乱なのかもしれない。
人は「実用」に生きる時に美しい。
しかし、人は「実用」と「合理性」だけでは生きては行けない。
買い物は「実用」と「楽しさ」のバランスがうまくとれていないと不幸を生むよね。
実用にくらべて、見栄とか、ストレス解消とかの分量が大きすぎると大変なことになる。
<最後にちょっとデフレについて>
私が一番嫌なのは、モノに対してたいした思いも無く漫然とお金を使う事だ。
本当に手が込んでいていい素材で作ったものが値段が高いのは当然で、そういうものが欲しい自分もいる。一方、100円ショップの商品にグッときて買ってしまう自分もいる。どちらも欲しいと思うのは、どちらの商品にも違った意味で魅力があるからだ。
デフレの問題とは、ただ単に100円ショップや激安商品を無くせばいいという問題ではないと思う。
それなりに手が込んで、良い素材を使ってきっちり作られたものにまで、「高い高い」と文句をつけ、値切るという、労働力の価値を冒涜したような態度こそが、デフレの元凶なのだと思う。
そうした価値観が淘汰されれば、コスト削減女工哀史工場からの商品が並ぶ激安ショップは淘汰されていくのではないだろうか。
先週は田舎に帰って、茶の湯炭の大会に参加したりとか、地元の市長に会いに行ったりとか、地域振興とジャーナリズムを両立する仕事を確立するための布石みたいなものを打てたのか打ててないのかわからないけれど、いろんな人と話をしてきました。その中には、いろんなヒントもあって、いくつかのアイディアが浮かんだので、形にすべく年内ダッシュだー。なんて言うほどの余裕も無いほど尻に火がついた状況です。
一方で、その間テレビでは日中関係のニュースばっかりで、民主党代表選のことをあれだけ書いてたのがうそのように脱力中です。
というわけででもないんですが、今回は、前回のものの値段のこととちょっと関係があるのかないのか、最近、近所のお店で売れている商品の話から、what is value?を考えたいと思います。
<近所の店の売れ筋商品>
うちの近所のある店で、ちょっとした売れ行きを見せている人気の商品とは、ショッピングバッグである。ルイヴィトンみたいに、持っている人に街で何人も出くわすわけじゃないのだが、お店に行くたびに売り切れては補充されている。
それがコレ。

ただの水玉のビニールバッグだ。
0が何個違うのか?ヴィトンなんかとくらべてすんません。
それにしても、このバッグ本当によく売れてるのだ。
この前、店に行った時も売り切れ。
店員さんに「よく売れてるの?」と聞いたら、「売れてマスよ~。次もすぐ入荷します。」と言っていた。
最初、私がこのバッグを買ったのは、黒のバージョン。

見たとたん、「かわええ!これは買いだ!」と心の中で叫んだ。
ちょっと安普請ながら、持ちようによっては、私の好きなコムデギャルソンの服にも合いそうだし、水玉といえば、草間弥生みたいじゃんねえ。
そこで、コムデギャルソンの今年の春夏モノでたまたま企画された草間弥生コラボTシャツに、このバッグを合わせてみた。



いっぱい写真とったので、せっかくだから載っけた。
どうだろう?
ちょっといい感じだと思わん?
このコーディネートの足元のシューズはやっぱこの黒に白の水玉っしょ。
以前このブログでも紹介したアメ横のフットモンキーで買ったK-SWISSの型落ち。
3000円だったか4000円だったか?

たまたま昔のギャルソンの水色とピンクのシャツも持っていたので、こんな感じでピンクとブルーの袋も合わせてみた。


うふふふふ。
いつも、小沢一郎だ、アフガンだとおどろな話ばかり書いてる私ですが、こういうのも大好きなのだ。楽しいなあ~。
<このバッグを売ってるお店>
というわけで、この水玉バッグ、どこで買う事ができるのかというと。
実はこちら、上野の100円ショップ「シルク」なのだ。

つまり、このバッグ105円。
さっきの草間弥生柄のギャルソンTシャツは確か9800円くらい。
水玉バッグは105円。超格差コーディネートである。
こんなにたくさん入荷していても、

すぐに、こんなに売り切れてしまう

そして、さらに入荷。

そして、愛用者はここにまで拡大。

水玉バッグがやけにハマっている。
それに、このおじさんよーく見るとかっこ良くない?
帽子といい、ややダボ系のクロップドパンツの長さは絶妙。つうかくるぶしの出し方と草履がいい。
そのほか、ジャケットのピタ感とか。水玉バッグの年期入った使いこなし感とか。
まあ、水玉バッグ持ってたから、というひいき目もあるけど、それでも、このおじさんがこの黒の水玉バッグを持っているのを見つけたときは、「かっこいいとはどういうことか」を考えさせられた気がした。
さらに、このおじさんを見かけた後、今度はテレビで、衝撃的なシーンを目撃した。
NHKの夕方のニュースの特集コーナーで、年間200万円万引きされる店として、この「上野シルク」が登場。
なんと、つかまった万引き犯がこの黒い水玉バッグを持ってたのだ。
いろんな目的で買う人がいるもんだ・・。
こんなに幅広い層に売れてるんだもん、すぐ在庫が無くなるわけだ、なんて妙な納得をしたりしてしまった。
もちろん万引きのために買う人なんて例外だし、万引きなんてしちゃいけないんだけど、なんだかこの水玉バッグの懐の深さのようなものを感じてしまったのだった。
実際には、上野やアメ横で沢山の買い物した人が、袋を一つにまとめるためにこのデカイ水玉袋を買っているという辺りが、よく売れている最大の理由なんじゃないだろうかと思う。店側もそうした客の行動を見越して、店頭の一番目立つところにこの袋をぶら下げているのだろう。
とはいえ、私は、実用全く抜きで、この黒の水玉のデザインとビニールの質感が妙にマッチした袋に草間弥生を思い、かっこいいと思って買った。縫製の悪さもパンクだとかなんとか言って・・。
1000円だったら買わないでしょ?と聞かれれば、確かに買わない。しかし、300円なら買っている。いや350円でも買うかな。
+250円は自分だけのウキウキワクワク代だ。
私はデフレを助長する激安商品がはびこるのはどうかと思うが、全てダメだと言う気にもならない。というのも、100円ショップはある意味、買い物の楽しさを教えてくれることがあるからだ。
<100円ショップは「実用的」か?>
100円ショップの商品というと、実用性のみの追求のように思われがちだが、
実のところは、実用性を求めて買うと失敗することも多い。やはり品質とか使い勝手の部分で劣るものが多いからだ。
やはり、それなりの値段のきちんと作られたもののほうが実用的なのだ。たとえば、布ガムテープとか画用紙とか。
むしろ、100円ショップでの掘り出し物は、この水玉バッグのように、たま~に突然変異のように生まれるグッドデザインだ。もしくは倒産品に類するものと思われる見切り品。そもそもはもっと高いものが、やむなく100円になっている。
ブランドものが、高い値段で人の選択眼を惑わすとしたら、100円ショップは、100円という均一の激安価格が、その商品の本当の価値を見えなくする。均一価格の商品の中には、実質的な価値は100円以上のものも以下のものも混ざっている。
また、あの水玉バッグが私の胸にズギューンと来たように、人それぞれその価値の意味や大きさは違う。
そして今、私は、そんな均一ラベルの下に隠れた価値を見いだす遊びに夢中なのだ。
なんて、シルク通いをしていたら、バラエティ番組でそんな遊び(どれが100均のものか当てるゲーム)をやっていた(とほほ)。
骨董にしろ何にしろ、目利きの楽しさっていうのはそういうもんなんだろうと思う。
私は今お金が無いので、100円ショップでそういう楽しさ味わわせてもらっている。
ただ、100円ショップでは、失敗しても痛みが小さいから、危機感もほとんど無くて、安易な買い物になってしまう恐れもある。「大量消費社会もそろそろちょっとね・・」なんていいながら、いるのかいらないのか分からないこんな水玉のバッグを買っている自分に後ろめたさがないとは言わない。
しかし、店先にこんなカラフルでポップなバッグを無造作に山のようにぶら下げてる店員とか、売れる売れるとどんどん量産している工場とか、その袋を買って空き缶集めてるおじさんとか、草間弥生Tシャツと合わせてる自分とか、アメ横で買い物してこの袋にまとめてるおばちゃんとかおにいちゃんとか、このバッグに関わるいろんな人の姿を思い浮かべると、みんなたくましく生きてるなあという気がして、それが一番ヒップでパンクなんじゃないかという気がするのだ。
多分それは、みんな使う目的がはっきりしてて潔いからじゃないかと思う。
「なんとなくクリスタル」じゃないけど、この水玉バッグにはあんまり「記号性」がない。買ってる人はほぼ実用で買っているのだろうし、売る側も単純に売れてるから増産しているのだろう。そこには戦略とかマーケティングがあまり見えてこない。いや、実はものすごい戦略が・・なのかもしれないけど、それは商品を「記号化」するという類いのものではないだろう。
そんな商品をコムデギャルソンと合わせようとしている私が最も記号性の虜なのかもしれないくらいだ。
なのに、この水玉バッグは、そんな「実用需要」のただ中で、自らの超ポップな異形によってオーラを放っている。
「記号性」を求められない有象無象の中に突如として現れた「突然変異」。
人は「実用性」「合理性」だけでは生きて行けない事を主張するかのように異彩を放つ。
この「記号」であふれかえる世の中で、私の目にこの水玉バッグが魅力的に映ったのは、その辺に理由があるのかもしれない。
そして、100円ショップ探検の魅力も、そうした実用性の森の中で、実用性に飽き足らず自ら叫び出しそうな変なデザインの商品を見つける事にあるのだろう。
そして、そうした異形のデザインは、一見、実用性のみを求められているかに見える100円ショップの商品を作るデザイナーたちの無言の自己主張であり反乱なのかもしれない。
人は「実用」に生きる時に美しい。
しかし、人は「実用」と「合理性」だけでは生きては行けない。
買い物は「実用」と「楽しさ」のバランスがうまくとれていないと不幸を生むよね。
実用にくらべて、見栄とか、ストレス解消とかの分量が大きすぎると大変なことになる。
<最後にちょっとデフレについて>
私が一番嫌なのは、モノに対してたいした思いも無く漫然とお金を使う事だ。
本当に手が込んでいていい素材で作ったものが値段が高いのは当然で、そういうものが欲しい自分もいる。一方、100円ショップの商品にグッときて買ってしまう自分もいる。どちらも欲しいと思うのは、どちらの商品にも違った意味で魅力があるからだ。
デフレの問題とは、ただ単に100円ショップや激安商品を無くせばいいという問題ではないと思う。
それなりに手が込んで、良い素材を使ってきっちり作られたものにまで、「高い高い」と文句をつけ、値切るという、労働力の価値を冒涜したような態度こそが、デフレの元凶なのだと思う。
そうした価値観が淘汰されれば、コスト削減女工哀史工場からの商品が並ぶ激安ショップは淘汰されていくのではないだろうか。
![]() | ユニクロ型デフレと国家破産 (文春新書)浜 矩子文藝春秋このアイテムの詳細を見る |
![]() | 100均フリーダム内海 慶一ビー・エヌ・エヌ新社このアイテムの詳細を見る |