橋本治とナンシー関のいない世界で

「上野駅から夜汽車に乗って」改題
とうとう橋本治までなくなってしまった。
平成終わりの年にさらに改題してリスタート。

今日の覚え書き☆衆院選公示・政局の終焉と政界再編のゆくえ

2012-12-05 12:04:22 | 国内情勢

もう昨日になってしまったが、4日は衆院選の公示の日だった。町の食堂の大きなテレビでは、NHKがついていて、「党首に聞く」として野田さんが話していた。食堂のざわめきの中では野田さんの声は私にまで届かなかった。続いてのニュースでは、各党の立候補者数の表が画面に映った。これは字だけでも分かるが、女性アナウンサーが説明する声はなぜか私のところまで聞こえた。首都圏ローカルの枠だったので、関東1都6県88の小選挙区に各党がどれだけ候補を立てているかという数字だ。民主党79人(前回比3人減)、自民党86人(1人増)、日本未来の党44人、公明党2人(同)、日本維新の会51人、共産党88人(36人増)、みんなの党40人(31人増)、社民党4人(1人減)、幸福実現党6人(78人減)、諸派2人(1人減)、無所属14人(11人減)。

*あとで、全国の選挙区での立候補者を見たら、比例も含め、割合的にはこんなもんだったので、この首都圏の数字を見た時の印象で、話を続けます。ジャーナリストじゃないので、以下、決して分析記事ではないです。

 

<政治信条を曲げて民主党に残った人たちのこと>

みんなの党がいつのまにか40人いるのは驚いた。解党とか言われてなかったっけ?(でもみんなの党は首都圏が突出して多いんですね)。にしても、新しい党もこんな短期間で候補者集めたもんだなあ~。未来の党44や維新の会51や自民党86、共産党は今回88全選挙区擁立に戻り、なんだか各党張り切っている空気がその数字からも伝わって来る。しかしそんな中、民主党の79だけはどうも揺らいでいるように見える。迷いが感じられる。その迷いとは、与党民主党にいながら政府の考えと方向を異にする議員たちの迷いである。

たとえばTPPに反対なのに、消費税増税に反対なのに、一刻も早く脱原発を実現したいと考えているのに今でも民主党に残っている議員たちは、与党の座を奪われるかもしれない民主党になぜ残って選挙を戦うのだろう。今回民主党不利なのに。自分でもゆらゆらしているに違いない。票が割れて連立政権に入ることを目論んでいるのかもしれない。けど、そこで生まれる自公民+維新みたいな連立政権に彼らは与することができるのだろうか?こんなことになったら、多分、政権は憲法改正も言い出すよ。苦しみは増すばかりだろうに。でも、こんなこと言ったら、そんなこと分かってる!と言われそうだ。まあいろいろあるんだと思う。でも、その「いろいろ」がこれから先はとっても政治家の足を引っ張るものになるのではないかと思う。

 

<「脱原発」~政策による合従連衡のはじまり>

小党(とも言えないが)が乱立したことで、今回の選挙は各党のポリシーが明快で分かりやすくなったとも言える。もちろん、日本未来の党も日本維新の会もいろんな人の寄せ集めで、維新の会など、合流した太陽の党に妥協して政策を曲げ、カラーが曖昧になったと批判もされている。ただ、今回の選挙後もしばらく戦国時代が続くと思われる状況にあって、今の時点で一旦曲げたとはいえ、これまで維新の会(橋下さんの)自分たちの考え方をあれだけ世の中にアピールできた(もちろん彼らの政策がいいかどうかは別の話だが)。未来の党だって、「卒原発」をアピールしている。

これまでの選挙では、党として自分たちの信念をストレートに表明しているのは、極端なことを言えば、実は社民党と共産党だけだったのではないかと思う。あ、康夫ちゃんの新党日本もか。大政党はいろんなところに良い顔をするあまり、何を言ってるのかわからないことをまくしたて、常に争点を曖昧にしてきた。時には、郵政民営化のように争点をねつ造してきた。それが今回、社民共産以外にも、ある程度たくさんの候補者を立てた政党が明確な争点を掲げて選挙に出てきたのである。もちろんこうした新党も急な寄せ集めで今後どうなるかは分からない。政策によっては今後内部で対立することもあるだろう。しかし、今回、こと脱原発ということにおいてはいくつかの勢力が一致し、こうしてめでたく争点に掲げて立候補してきたのだ。

多少の違いはおいておいても幾つかの党が政策によって共闘できるという意味で、やはり「脱原発」をいう問題は国民的な最大の争点なのだ。

民主、自民の大政党は、脱原発を争点にしたくないかもしれないが、脱原発は、55年体制以降、日本の政党が初めて、数合わせだけでなく、その政策の一致によって合従連衡した例ではないのか。もちろんその裏側にいろんな思惑があるだろうし、いくつかの党は理念や理想というよりも、「勝ち目」という意味で「脱原発」を選択しているのかもしれない。それでもやはり、政策によって人が集まったということは大きいと思う。「郵政民営化」の時だって・・・というかもしれないが、あれは作られた争点。だれも国民の方を見ていたわけではない。国民発の争点によって勢力が結集したということは多分初めてだ。

 

<政局の終焉?と政界再編のゆくえ>

もしかしたら、数合わせによって政治が決していた時代、つまり「政局」がすべてだった時代も少しずつ変わって行こうとしているのかもしれない。同時に、マスコミにとっても、政局を追いかけていただけで政治ニュースとなっていた時代は終わって行くのではないだろうか。もちろん、まだまだではある。でも、政局的な動きだけでは政治家も保たなくなっているのではないだろうか。

ずっとくすぶってきた政界再編なるものが、どういう形になるのか中々見えないでいた。現在の党の乱立を見ていても、まだよく分からない。橋下氏の維新の会は太陽の党と組むことで脱原発の主張を後退させたが、選挙の結果によってはまた持ち出すのではないかと思う。そのほかにも大きな争点はあって、それについては、またシャッフルが起こるかもしれない。

けれど大きくとらえれば、今回の党の離合集散の向こうに浮かび上がる政界再編の行方は、国家とそれを支える(と思っている)財界の側について争点をねつ造するのか、ひとりひとりの国民の側につくのかという基準でシャッフルされて行くのではないかと思う。

って、なんか私当たり前のことを言ってますね・・・。

で、最初の話に戻るのだが、だからこそ、本来なら争点にしたい問題について曖昧にせざるを得ない民主党内の野田さんに反発するグループは損をしてると思うのだ。このエポックな選挙の時に自分の信じる政策をアピールしといたほうが、先々考えたら得策だと思うんですけどね。民主党79という数字がなぜかどんより曇って見えたのは、そんな彼らの姿が向こうに透けて見えたからでした。

政党に対する不信がピークに達している今、もちろん党の安定感などというものはもはや存在しないし、そんなものに対して票を入れる人もぐっと少なくなっているはずだ。多分、これからはよかれ悪しかれ政策に一票が投じられるのではないだろうか。組織にぶら下がっていても意味がなくなってきてるのは、政治家もまた同じことなのだ。

 

<後記>

いろいろ考えてて、最後に浮かんできたのは、これって、日本の政界全体が昔の自民党のような一つの党となるってことみたいだなーということ。現在あるたくさんの党は、派閥のようなもの。政策によってくっついたり離れたりする。まあ、グローバル時代だもんなあ・・・世界が一つの国みたいなもん???

ああ、よく分からなくなってきた。

あと、しばらくは数合わせはごちゃごちゃ続くとは思います。

いろいろごちゃごちゃやってく間にどんどんそれがむなしい形になってくんではないかと思います。でも、それがむなしい形にならなかった時、日本はヤバいと思います。大政翼賛会みたいなものができなければいいが…。それだけが不安です。って、実は今、そこが最も近い場所だったりするかもしれないのですが、今回の党の乱立を見て、その争点が脱原発であることで少し希望を感じたもので、こんな記事を書きました。


 


12月4日(火)のつぶやき

2012-12-05 03:30:15 | ツイッターつぶやき

ああ、もう夕方。電球切れた…。月昇るのも今日は遅いし…。


ビックリする見出し。「尖閣戦争待望論「正気」を取り戻すチャンス」(msn産経ニュース)一応【異論暴論】とはなってるけど、ちょっとこれは…。中読むと、今、日本では憲法廃棄論が常識化しているとか書いてあるけど、そんなの聞いたことないんだけど…。これは1Q84なの…

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まあ、スルーすれば良いってことですよね・・・


@yurys 今度ぜひ、アル・ケッチァーノに行ってみたいと思います。焼き畑も見たいけど…。



今日の覚え書き<1>「ヨドバシカメラで電球を買う」

2012-12-05 00:52:08 | Weblog

電球が切れたので、ヨドバシカメラに買いに行った。

1階はカメラと携帯電話売り場だよなと思いながらエスカレーターに乗ったら、電球が置いてあるのはなんと7階だった。2、3階はパソコン関連商品。4階はテレビ、オーディオ、5階以上はその他のいろんな生活家電。7階は電灯一般。段々上に行くに従って、生活臭のする家電になる。5階はシェーバーや美顔器、ドライヤーなどのおしゃれ家電、6階がいわゆる白物家電だ。

やはり賑わっているのは携帯やパソコンのフロアで、儲かってるところが良い場所にあるのは当然だが、なんか変な気がした。私たちってもう「暮らし」なんてどうでもいいんだな。暮らしとは着るとか食べるとか住むとかってことだ。

私たちは、無くても済むものばかりを欲しがってる。まあ、それが先進国の宿命だ。

電球は切れたら本当に困る。夜が暗くなる。パソコンは、一時でも手元に無いと困るといえば困るのだが、本当に困るのか?パソコンが無いと仕事にならないと言うが、それは私たちがパソコンが無いと仕事にならない世の中に変えてしまったからだ。ファックスがメールに変わって節約された時間が何に変わっているかというと、facebookにランチの写真をアップしてたりするだけではないのか。別にそれが悪いことじゃないけど、それさえも今や楽しみの域を超えつつある。私たちは生活水準とやらを保つため、経済規模をいまだに拡大させようと、いらないものをどんどん作って、いらないものを使ってもうひとつの別の世界を作っている。月や火星に進出することはなかったが、パソコンというブラックホールの中に経済活動だけを行う植民地を作ったようなものだ。

人間が生きて行くために何が必要か?という質問はもはや存在しないか、下手すると「携帯」と答えられてしまいそうな勢い。

時代を支えるものづくり産業というものがある。一世代前は自動車だったのだろう。車は生活を楽にしてくれたが、公害もまき散らし、CO2も排出した。普及して行く中で、どのへんまでが便利でどのへんからが過剰で害となったのだろうか?パソコンだって同じことだ。そろそろ便利の域を超えつつある。パソコンを使って楽になるはずのものが楽になっていない実体に気づき始めている人も多い。

エスカレーター横の壁面には自動掃除機ルンバの広告がでかでかと。人間にとって適当な便利さとはどの辺までなのだろうか。私がルンバを使うためには、まず、床に積まれた大量の本を片付けなくてはいけない。それこそ重労働だ。

電球という家電の中でも最もプリミティブな商品を求めてエスカレーターに乗りながらそんなことを考えた。

今、テレビで日本には資産8000万円以上の富裕層の数はアメリカに次いで世界で2位、30人に一人が富裕層だと言っている。私はこんなこと考えてるから富裕層になれないんだよなあ・・・。