ビックリする見出し。「尖閣戦争待望論「正気」を取り戻すチャンス」(msn産経ニュース)一応【異論暴論】とはなってるけど、ちょっとこれは…。中読むと、今、日本では憲法廃棄論が常識化しているとか書いてあるけど、そんなの聞いたことないんだけど…。これは1Q84なの…
@yurys 今度ぜひ、アル・ケッチァーノに行ってみたいと思います。焼き畑も見たいけど…。
ビックリする見出し。「尖閣戦争待望論「正気」を取り戻すチャンス」(msn産経ニュース)一応【異論暴論】とはなってるけど、ちょっとこれは…。中読むと、今、日本では憲法廃棄論が常識化しているとか書いてあるけど、そんなの聞いたことないんだけど…。これは1Q84なの…
@yurys 今度ぜひ、アル・ケッチァーノに行ってみたいと思います。焼き畑も見たいけど…。
電球が切れたので、ヨドバシカメラに買いに行った。
1階はカメラと携帯電話売り場だよなと思いながらエスカレーターに乗ったら、電球が置いてあるのはなんと7階だった。2、3階はパソコン関連商品。4階はテレビ、オーディオ、5階以上はその他のいろんな生活家電。7階は電灯一般。段々上に行くに従って、生活臭のする家電になる。5階はシェーバーや美顔器、ドライヤーなどのおしゃれ家電、6階がいわゆる白物家電だ。
やはり賑わっているのは携帯やパソコンのフロアで、儲かってるところが良い場所にあるのは当然だが、なんか変な気がした。私たちってもう「暮らし」なんてどうでもいいんだな。暮らしとは着るとか食べるとか住むとかってことだ。
私たちは、無くても済むものばかりを欲しがってる。まあ、それが先進国の宿命だ。
電球は切れたら本当に困る。夜が暗くなる。パソコンは、一時でも手元に無いと困るといえば困るのだが、本当に困るのか?パソコンが無いと仕事にならないと言うが、それは私たちがパソコンが無いと仕事にならない世の中に変えてしまったからだ。ファックスがメールに変わって節約された時間が何に変わっているかというと、facebookにランチの写真をアップしてたりするだけではないのか。別にそれが悪いことじゃないけど、それさえも今や楽しみの域を超えつつある。私たちは生活水準とやらを保つため、経済規模をいまだに拡大させようと、いらないものをどんどん作って、いらないものを使ってもうひとつの別の世界を作っている。月や火星に進出することはなかったが、パソコンというブラックホールの中に経済活動だけを行う植民地を作ったようなものだ。
人間が生きて行くために何が必要か?という質問はもはや存在しないか、下手すると「携帯」と答えられてしまいそうな勢い。
時代を支えるものづくり産業というものがある。一世代前は自動車だったのだろう。車は生活を楽にしてくれたが、公害もまき散らし、CO2も排出した。普及して行く中で、どのへんまでが便利でどのへんからが過剰で害となったのだろうか?パソコンだって同じことだ。そろそろ便利の域を超えつつある。パソコンを使って楽になるはずのものが楽になっていない実体に気づき始めている人も多い。
エスカレーター横の壁面には自動掃除機ルンバの広告がでかでかと。人間にとって適当な便利さとはどの辺までなのだろうか。私がルンバを使うためには、まず、床に積まれた大量の本を片付けなくてはいけない。それこそ重労働だ。
電球という家電の中でも最もプリミティブな商品を求めてエスカレーターに乗りながらそんなことを考えた。
今、テレビで日本には資産8000万円以上の富裕層の数はアメリカに次いで世界で2位、30人に一人が富裕層だと言っている。私はこんなこと考えてるから富裕層になれないんだよなあ・・・。
朝イチ。前半はSNSの落とし穴、後半はいじめ問題。サイゾーで小田嶋隆氏が「友達リクエストの時代」というコラムを今月から開始しているけど、この2つの問題は遠くで繋がってるよな。SNSに感じる息苦しさは何かを考えて行くと・・・
結局は、いつでも繋がってたい淋しい病、身体を動かしたくない病(わざわざ会わなくても)、自分は世界に一つだけの花病などなど、SNSが生まれた背景にはそういった現代の傾向もあることがあまり語られない。#nhk
@May_Roma 「生まれた背景」という言い方は違うんですね。「使ってる背景」にはそういう気持ちもあるってことが言いたかったのです。もちろん使ってる理由として、ストーキング、安全確認の道具としての利用もある。
山形県鶴岡の在来野菜のことを題材にしたドキュメント映画「よみがえりのレシピ」が面白かった。地域の振興とはこういうもので、こうして実現してゆくのか... blog.goo.ne.jp/ebisu67/e/14ae…
先日、「よみがえりのレシピ」という映画を見た。山形県鶴岡の在来野菜の話。とてもよかった。その土地の風土の中で長年作り続けられてきた在来野菜。有名なところでは京野菜とか、個別には下仁田ねぎとか亀戸大根だとか。随分種類が減ってしまったけれど、在来野菜を守る活動は最近では東京でもぽつぽつ行われている。しかし、焼き畑農業のいまだ残るここ鶴岡の農業と作られる野菜の美しさは格別で、美しい映像に涙さえ禁じ得なかった。
美しいのは野菜の姿だけではない。人々が素晴らしい。
たまたまなのかもしれないけれど、在来野菜に興味を持つ山形大学の准教授がいて、在来野菜のおいしさに惚れ込んだ気鋭のイタリアンのシェフがいて、在来野菜を漬け物にしたい地元漬け物会社の社長がいて、彼らの野菜に対する愛情が、ひっそりと細々と在来野菜の種を守るべく栽培し続けてきた農家の老人たちを呼び寄せることになった。今まで日の目を見ずとも、栽培が面倒でも、絶やしたくないと、たった数人の老人たちが作り続けていた在来野菜が、准教授やシェフや社長の熱意で日の目を見た。奇跡のような出会いだと思った。
この奇跡のような出会いはやはりたまたまではないのかもしれない。そう思ったのは、在来野菜を作り続けてきた地元の老人たちの言葉の一言一言があまりにも美しかったからだ。ネタバレになるからここでは具体的な言葉は書かないが、是非映画を見て、一人一人の農家の人の言葉を聞いて欲しい。どんな詩人も及ばない、からだからにじみ出る本当の言葉をそれぞれが語っている。鶴岡の農家の人はすごい。その言霊にいろんな人々が呼び寄せられたに違いない。もちろん、他の土地にだってそういう人はいるとは思うけれど、そういう人が孤立せず、最終的に人が集まり活動の輪となっていったのは、たまたまではなく、やはり鶴岡というところの風土のなせる技なのではないかと思う。行ったことはないが、画面を見てそう感じた。
あと、目から鱗だったのは、イタリアンのシェフの存在。
ああやはり、表現者がいてこそだ。この在来野菜復活プロジェクトが進んだのは、彼の作る料理の力が大きい。もちろん、彼の力だけではない。野菜と彼を繋いだ大学の先生の存在や、野菜そのものの力があっての料理である。多分シェフ本人もそう言われるだろう。けれど、在来野菜の良さを何も知らない第三者に認めさせる、納得させるという点において、この料理のおいしさとビジュアルは最強である。私はまだこの料理を食べたことはないけれど、映画の画面を見ただけで、これは鶴岡に行かなければ!と思った。最近、ミシュランとかグルメとかいう言葉にはちょっと懐疑的である自分がこの料理にはすごく食指が動いた。シェフは味のプロであり、説明のしにくい「野菜の味」についても、わかりやすく説明してくれる。その説明が、映像で見るだけの料理に命を吹き込む。見ただけでこれだから、実際食べておいしければ、より一層、在来野菜というものに対する信頼(信仰というべきか)は高まるだろう。
私の田舎にもこういうスーパーシェフがいればなあ・・・と思った。
地方に特産物があったとしても、それが一品種でなんとかなるほどの特徴的なものでない場合、鳴かず飛ばずなことが多い。野菜は多分そういうものだ。そのおいしさや特徴を理解し、さらに誰にもわかるように表現してくれる人がいない限り、その産品の良さは広くは理解されない。「誰にもわかるように」というところが難しい。山形の在来野菜も漬け物屋さんが漬け物を作っている段階ではなかなか理解されなかった。やはり地味なのだ。派手なのがいいわけではないが、一旦消えかけたものを復活させるというような場合には、発破も必要なのかもしれない。
私の田舎は、かつては水揚げ西日本一といわれた漁港とみかんの町なのであるが、今や漁港は見る影もない。ただ聞けば、鱧の水揚げは日本一とかそうでないとかのレベルで、水揚げされる雑魚の種類の多さも有数なのだそうだ。しかし、あまりそれは知られていない。地元にそれらの良さを理解し、素晴らしい料理に仕立ててくれる料理人がいれば・・・。
地域振興ということで考えれば、シェフは在来野菜プロモーションのプロデューサーとディレクターを兼務しているような存在だ。そしてそこに、歴史的、科学的裏付けをもたらすブレーンとしての「大学の准教授」という存在。言い方はいやだけれど、権威の力でもある。さらに、最初は売れずとも地道に在来野菜の漬け物を作り続けた「社長の野菜への愛情」はスポンサーのようなもの。そして、こうした人々の熱意が、細々と心もとなく在来野菜を守ってきた農家の人々=主役の心に火をつけた。
一部の人だけが張り切っても地域全体が盛り上がることはない。また、儲けだけを考えたら多分地域振興は失敗する。鶴岡では、いろいろな立場の人が自分の持ち場で真摯に仕事と取り組んでいた結果が何かを呼び寄せて、今回のような出会いに繋がったのだろう。多分、私の田舎も、シェフだけ呼んできたところで上手くはいかない。本気の人が集まった時に生まれるパワーというものをこの映画は見せつけてくれた。
そんな鶴岡はまさに地域振興のお手本なのだが、これをマニュアル化することはできない。在来野菜と同じく、地域振興の方法にもその土地土地に合った形があるはずなのだ。シェフが重要とは思うが、今回登場した奥田シェフが私の田舎に行ったからといって成功するというものでもないと思う。
すべては自分の地元を愛するところから始まる。すべてを愛せなくとも愛せる部分を見つける。そこからしか地域振興は始まらない。今時、地元を愛するなどというと、愛国心と結びつけた変な方向にも逝きかねないので、あえていえば、愛するとはその土地の風土の良いところを愛でるくらいの意味で、英語で言うパトリオティズム、愛郷心。景色や食べ物など具体的な風物を愛することで、決して国家を対象とするナショナリズムではない。つまり愛するものも中央集権ではなく、自分の身の回り、地域それぞれであるべきなのである。
今の時代、そうなっていないから、地域振興というものがなかなかうまくいかないのだと思う。地方から東京に来た人間が言ったのでは説得力がないかもしれないけれど、東京とて21世紀はそれぞれの町が地元の魅力を磨くことでしか生き残って行けないと感じている。
地域振興は自分の地元の良いところを見つけるところから。
そんなことを考えさせられた「よみがえりのレシピ」であった。
ところで、最後になったが、種(たね)の話をしてこの長い投稿を終わりたい。
今、農業の世界ではF1種の種というのがじょじょに問題視されはじめている。多くの農家では、F1種という、一代限りで子孫を残せない種で野菜を栽培し、次の年はまた新しく種を種屋から買っている。品種改良によって安定的な収穫は得られるかもしれないが、その種からは二代目は生まれないか、生まれても一代目のような形状にはならないらしい。F1種とは、一代のみの安定的な生産を目指して品種改良により生まれたもので、二代目以降は勘案していないのだそうだ。そうすることで、農家はまるで小作のように自立性を奪われ、生産を種屋に依存することになってしまうという。TPPで農業に関して何が問題だといって、一番はこの「種の問題」なのではないかと思う。こうした農業のあり方はアメリカが本場であり、TPP受け入れによって、世界的な種屋に日本の農業が依存してしまうことである。TPPの問題は一般に考えられているような、単に生産物の輸出入の問題だけではないのだ。いざという時、種を売ってもらえなければ、日本は農作物を作ることができなくなってしまうということにもなりかねない。軍備よりも何よりも必要な安全保障は食料自給である。映画ではその辺には触れていないが、こちらの問題も、緊急に考えるべき大問題なのだ。
「よみがえりのレシピ」は12月15日から東京渋谷アップリンクで上映が決定。来年は各地で公開するそうです。
詳しくはこちらを。
「よみがえりのレシピ」公式サイト http://y-recipe.net/
11月25日(日)に開催した「火鉢カフェ」の報告です。会場の様子、焼き物、飾り炭の展示などの画像を掲載しました。来ていただいた皆様ありがとうござ... blog.goo.ne.jp/ebisu67/e/0a47…
11月25日(日)谷根千「記憶の蔵」にて開催した「火鉢カフェ」無事終了しました。いらしてくださった皆様、どうもありがとうございました。冬の間にまた企画したいと思いますので、次回もよろしくお願い致します。
では、今回の火鉢カフェの報告をしたいと思います。カテゴリー毎に複数枚の写真を組み合わせてレイアウトしました。
今回設置した火鉢は5つ、以下の写真に見える奥の大名火鉢、手前の長火鉢をはじめとして、箱火鉢をもう一つと、手焙り火鉢を2つ用意しました。
長火鉢には銅壺(どうこ)が入り、お燗したお酒も提供(お燗酒は別料金でした)。写真の奥に見える青い瓶は、試飲のお酒で酒六酒造の純米大吟醸「祈り千年」。伊勢神宮のお米、伊勢光を使ったお酒です。来年は伊勢神宮で20年に一度の式年遷宮が行われるのにちなみ、このお酒を選びました。瓶が見づらくてすいません(汗)。みなさんに美味しいと言っていただきました。
以下の写真は、火鉢の炭火で楽しんでいただいた基本のセットです。左上は「焙烙(ほうろく)」。これに茎茶を入れて、炭火で焙じてほうじ茶にして飲んでいただきました。焙じ具合はそれぞれのお好みで。香ばしいのから爽やかな緑茶に近いものまで。会場に良い香りが漂いました。右は原木椎茸とお餅と梅干し。これに海苔がついていたのですが、撮影し忘れ。内子町小田の道の駅「せせらぎ」より取り寄せた椎茸と餅は美味しいと評判でした。梅干しは千駄木の漬物店「やなぎに桜」で購入したはちみつ梅干し。一粒ずつで買うと100円もする梅干しだけあって、優しいいいお味でした。焼くと熱々とろとろになってほうじ茶に合います。
こちらが海苔もちゃんとついた椎茸と餅。2人分です。
海苔はガスの炎で焙るより、炭火で焙る方が断然パリッとします。ガスの炎には水分などが含まれ、蒸発して海苔の方まで上がってきますが、炭火は水分などは炭に焼く時に出し切っていて、遠赤外線の輻射熱が海苔に当たるだけなので、パリッと焼けるのです。
今回は花を菊炭と一緒に生けてみました。
炭も木ですから、枝ものと合うだろうと思い、ちょうど紅葉していたドウダンツツジを中心にアレンジしました。真ん中に入れた大きいお花は名前を失念。なんか、針山を英語で言ったみたいな名前だったけど・・・。最近、名詞がどうも覚えられません。とほほ。
ちょっと、炭が倒れてますね。いつも万全な状態で写真が撮れないのが火鉢カフェ…。
もうひとつの花と炭。菊炭に合わせて、菊の花を買ってみました。ちょっとひねってピンポン菊。まん丸で可愛いすぎです。花器の上にちょこんと乗っかっている小さな炭は、煙草盆用の炭。煙草盆の灰の上にのせて火をつけ、煙草の火をつけるために使います。今回、煙草盆用の小さい炭以外の菊炭は販売しました。次回も販売予定です。
そのほか、今回参加して下さった方から、さつまいもの差し入れが。切って焼いていただきました。ちょっと周りがカリッとして、これだけでも甘くて美味しかったですが、大学芋のように水飴かけてもいい感じ。お芋の断面のもこもこした形が可愛いです。
今回は、こんなオブジェのような備長炭も飾りました。刺してあるのはドウダンツツジの枝。炭は木だからしっくりきますね。
手前に今回配布した火鉢カフェのパンフレット、奥に内子町の炭の話をまとめた冊子「内子炭のこと」が見えます。
左側にちょっと見切れているピンクのお花の絵は、イラクの子供の描いたイラスト絵はがき。収益は日本イラク医療支援ネットワークに寄付し、イラクの小児がんの子供たちのために使われます。毎回、火鉢カフェの時にはこのハガキも置きますので、こちらもよろしくお願い致します。
というわけで、次回も基本セットはそのままに、何か新しい趣向も考えたいと思います。そろそろみかんも旬を迎える頃。次回は焼きみかんもいいかもしれません。
普通の火鉢カフェ以外のイベントも構想中です。
みなさま今後ともよろしくお願い致します。
11月25日(日)に谷根千「記憶の蔵」で開催した「火鉢カフェ」の報告と写真をブログにアップしました。今冬、またやりますので、その節はよろしくお願いします。hibachiclub.blogspot.jp