江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

新説百物語巻三 10、先妻後妻に喰ひ付きし事

2022-12-14 09:12:15 | 新説百物語

新説百物語巻三 10、先妻後妻に喰ひ付きし事

江戸の何町と言う所に一人の荒物屋がいた。
妻を迎えて二三年にもなったが、又外に妾をかこって半年ばかりも過ぎて、本妻をうるさく思った。

何とか離縁したく思ったが、いい出すべき折りもなく、本妻に落ち度も無かったので、つくづくと思案をめぐらせた。

そして、家の中の金銀を次第に減らして、諸道具なども売り払って、次第に貧乏になったふりをした。

あるとき妻に向かって、「この様に、仕事はまじめにしているが、商売がうまく行かなくなった。
店をやめて、どこかに奉公でもしようかと思っている。

お前も、しばらく屋敷勤めでもしてくれないか。

なんとか、しばらくしたら又々一緒に暮らそう。」と、まことしやかに語った。

女房は、つくづくこれを聞いて、仕方の無いことだ、と思った。

人に頼んで、ある屋敷に物縫い奉公に出た。

そして、後で夫も、手代奉公にでも出るのであろう、と思いながら、暮らしていた。

しかし、一月たっても便りもなく、二月たっても来ることもなかった。

ある時、御供に加えられて、湯島の天神へお参りしたが、前に住んでいた町を通った。
先に住みなれし家は、今はどんな人が住んでいるのか、又何の店に変わったのであろうか、と見た。

しかし、やはり前の通りの暖簾をかけ、我が夫は、店にいて、帳面をつけていた。
店の内から若い女が、茶わんを持ち出でてきて、夫へさし出した。
夫は、つとうけ取って飲んだ。
これは何とも不思議な事だな、と思ってから心が乱れた。

参拝の帰りの御ともにも物をも言わなく、深刻な顔をしていた。
それで、同僚 傍輩(ほうばい)もどうしたのかと、
「気持ちが悪いのですか?」と尋ねるた。
「ええ、本当に気持ちがわるいのです。」と言って、帰って、すぐに打ち伏していた。

それから、毎夜、毎夜、襲われるようにうめいたが、夜があければ何の変わった事もなかった。
四五日にもすぎていよいよ夜の内は騒がしくうめき、昼は物をも言わず伏していた。

ある夜、夜中過ぎに殊の外騒がしくうめいていたので、皆々打ちよって部屋に行って見ると、正気を失って右の手に女の髪を百筋ばかり握って気絶していた。水などを飲ませて介抱したら、息を吹き返して、蘇った。

又その次の夜は、宵のうちより狂い走ったが、かん病の傍輩もくたびれて、寝てしまった。
八つ頃に至って身の毛もよだって騒がしかったのでに、皆々目をさまして見た。
すると、この度は口のふちは血まみれになり、恐ろしい顔をして気絶していた。
いろいろと介抱すると、蘇ってきた。

そして、そのまま、夜中であったが、町名主のかたへ送りかえされた。

その後、聞けば、あら物やの後妻は、夜分寝ている所に、あやしい女が来て、喰い殺された、との噂であった。

その女の同僚が、京へ帰ってきて、この様な事を語った。


新説百物語巻三 9、親の夢を子の代に思ひあたりし事

2022-12-12 18:41:36 | 新説百物語

新説百物語巻三 9、親の夢を子の代に思ひあたりし事

 

9、親の夢を子の代に思ひあたりし事  

敦賀に日蓮宗の信者の老人がいた。
代々の日蓮宗の熱心な信者であった。

あるとき、我が子にこんな事を語った。
「夕べは、ふしぎなる夢を見た。
所はどこであるかはわからない。
ただ黙念(もくねん)として居たが、えも言われない不思議な香りがして、音楽など聞こえてきたので、不思議な事であるかな、と思っていた。
そこへ、六尺ばかりの阿弥陀如来が、まさしく目の前に現れてきた。
そして、『我は、これ戒光寺の仏である。汝(なんじ)は、おこたらずに御経を読むことは、立派なことである。
それによって、来世は極楽世界に行ける事は疑いない。』とのたまって、そのまま姿は見えなくなった。
扨々(さてさて)不思議な夢を見た。」と語った。


それから一二ヶ月過ぎて、この老人は、食べられなくなり、十日ばかり病に伏せっていた。
そして、「あれあれ、又々 戒光寺の阿弥陀如来が御出になった。」と、手をあわせて拝み、そのまま息たえて、亡くなった。

その後一二年もすぎて、その子は、用事があって、京へ上った。

ついでに、都の名所などたづねめぐり、泉涌寺にも参拝した。
ある寺の仏を拝んだが、以前に父親の話に詳しく聞いた仏様に少しも違わなかった。
これは不思議な事かなと思って、その寺の名を尋ねると、「戒光寺である」、との答えであった。
あまりの事のふしぎにも有難く、又親のことなど思い出して、涙を流し、敦賀に帰ってきた。

「世にはふしぎなる事もある。」井関氏と言う人が語った。


新説百物語巻三 8、猿 子の敵を取りし事

2022-12-10 15:47:35 | 新説百物語

新説百物語巻三 8、猿 子の敵を取りし事

8、猿 子の敵を取りし事     

   猿の敵(かたき)討ち

若狭の国の百姓で、二匹の猿を大変可愛がっていた者があった。
二匹の猿は、子を一疋生んで可愛がって育てていた。

ある時、この小猿が、庭のまん中で遊んでいたのを、空から鷹一羽飛んで来て、軽々とひっつかんで、大空に飛びさった。
二疋の親猿たちはそれを見て、或いは梢にのぼり、又飛び上って悲しみ泣いたが、何方へ行ったのか、どうしようもなかった。

それから、二疋の親猿は食べもせず、ただただ呆然としていた。

しかし、二三日も過ぎてから二疋の猿は、どこへ行ったか、朝早く出て帰ってこなかった。
皆々 不思議だと思っていたが、やっと八つ時に帰って来たが、魚のはらわたと覚しい物を持って帰ってきた。

その魚のはらわたを、一疋の猿が頭にのせて、前に子猿のいた所にうづくまっていた。
半時ばかり過ぎて、又空より鷹が一羽飛び下りて来て、かの魚のはらわたをつかんで去ろうとする所を、いきなり下から飛びついて、その鷹を捕まえた。
もう一匹の猿も出て来て、二疋して羽根をむしって食らいつき、なんなく鷹を喰い殺して、子猿のかたきを取った。

動物の知恵には、恐るべきものがある。(と語った)

 

 


新説百物語巻三 7、あやしき焼物喰ひし事

2022-12-10 15:38:16 | 新説百物語

新説百物語巻三 7      

7、あやしき焼物喰ひし事     

   ヘビをうまいうまいと食べたこと

さる大国の国守より、一年に一度づつ御領内の調査に役人たちを遣わす事があった。
その国の山家に三百軒ばかりの一村があった。

庄屋が代官とを兼任していて、治めており、富江の何某と言う者であった。
調査(御検分)の侍衆は、その所に滞留して一宿した。
山家の事であるので、ご馳走もなく、料理もおおかたは精進であって、焼物ばかりはさかなであった。
切れ目は鰤のようであって味も思いの外よかった。

その翌日、侍の一人がそのあたりをぶらぶらと歩いた。
すこし高みに小屋のあったのでのぞいて見れば、あるひは香のものような物などがあって、又おおきな桶に魚の切ったのを塩づけにして、五つ六つならべて置かれていた。
侍は、ゆうべのやきものはこの魚であろう、と思った。
「さあ、焼いて食べよう」としてて、四五人打ちよって、火であぶって食べると、言葉にならないほど美味しかった。
二切三切も食べたが、しばらくすると、体中があつくなり酒に酔った様にふらふらとして、足も立たず、身もなえて、正気のあるものは一人もなかった。

それを食べなかった侍の仲間たちは、これを見て大いに肝をつぶして、大騒ぎをした。

庄屋の富江はそれを聞き付けて、そこへ来た。
「もしかして、小屋の内に蓄えておいた桶の内のものをお食べになりませんでしたか?」と問うた。
侍たちは、これまでの様子を話したところ、何やら草の葉を持って来て、水で飲ませた。
しばらくして、みなみな、酔いが醒めもとのようになった。
「これは何でしょうか?。又昨晩は何の事もなく、今日はこのように酔ってしまったのでしょうか?」と問うた。
すると、庄屋はこう答えた。
「特別の物では、御座いません。ここは山奥でして海に遠く、殊の外さかなのは手に入りません。冬になった蟒(うわばみ)が食に飢えて弱った時をねらって、狩り取って小さk切り、塩漬けにして一年中の客に出しております。
この焼物を出す時は、同時に連銭草を浸し物にして付けております。
そうしないと、先のよううに酒に酔ったようになり、四五日も正気にもどらないのでございます。」と。

昨夜、この焼物をたべた者のうちで、なにとやら気味が悪く、吐いたりした者もあったそうである。

訳者注:連銭草は、カキドオシ。利尿、消炎作用がある。ヘビの肉は、通常、中毒(本文では、酔ったようになる、とあるが)を、起こさない。また、連銭草がヘビの毒に有効である、などの事は、古典に記述は見られない。

 

 

 

 


新説百物語巻三 6 狐笙を借りし事

2022-04-30 22:15:43 | 新説百物語

新説百物語巻三 6

                                                                  2022.4

     

6.狐笙を借りし事


下京に何之介とか言う人がいた。
根っからの、好奇人(すきびと)で音楽に詳しく、殊更に笙(しょう)をよく吹いていた。
ある時、彼と同じような年齢の若い男が来て、
「私も、笙を吹きますが、あなた様の笙の音色があまりにすばらしいので、毎日、表にただずんで聞いておりました。これからは、心安くおつきあいさせて下さい。」と言った。
彼も音楽が好きであったので、
「それでは、今後は、心やすくおいで下さい。」と答えた。
それから、毎日毎日来た。
彼も笙を持って来て、だがいに吹いた。

「私は、九条辺(あたり)のもので、宮野左近と申します。」と言った。

その後に、一両日も過ぎて、
「あなた様の御笛は、殊の外よい御笛でございますね。なにとぞ、一両日御かし下さい。その替りに、私の所持している笛を置いて帰るます。」と所望した。
彼の男は、
「それでは、御かしいたしましょう。」と答えて、たがいに取りかえて、貸した。

その後、四五日たったが左近は来なかった。
一月たっても来なかったので、さては病気でもなったのだろうか?心配なことだ。
いざ行って尋ねてみようと思って、九条に到った。

近辺の百姓の家に行って、宮野左近の家を尋ねたところ、
「その様な人は聞いたことがありません。この野のはづれに宮野左近狐という祠(ほこら)ならあります。おかしな事を尋ねる人だな。」と笑われた。

彼の男は、不思議に思いながらその祠(ほこら)に到って、様子をくわしく近所のものにたづねた。

すると、
「前の月の末より、夜がふけると、この神社の近所から、何やら笛の音が毎夜聞こえて来ました。しかし、最近は其の音も止んで、ほこらの前に笙の笛というのが置かれていて、一匹の狐が死んでいました。
それで、近所の寺に葬りました。その笙というのも、その其寺へ納めました。」と語った。

彼の男も思わず涙をながし、泣く泣く、その寺へ到った。
そして、これまでのいきさつを語って、その笙を見せてもらった。
すると、成程、先日かした笙(しょう)であった。
それで、その笙を寺へ上げて、取りかえた我が手元にある笙を小狐と名づけて、秘蔵した、とのことである。

延享(1744~1748)の頃の話であるそうだ。