「天草島民俗誌」河童記事 その16から20
2021.12
河童に尻の穴を盗られる 「天草島民俗誌」河童記事 その16
又作とか言う男があった。
少し薄馬鹿であった。
或る時、家の人達が皆いも植えに行った時、自分一人が早く麓に下りて来た。
そして、乙女蛇(おとめじゃ)池で、泳ごうと思って、裸になって飛び込んだら、沈んだまま上がって来なかった。
後で家の人達が、岸の着物を見て、大方沈んだのであろうと騒いでいると、何物かが、又作の身体を、不意に水面に持ちあげて、そのまま復た沈んでしまった。
青年たちが死骸を引き上げたら、尻の穴がポンとあいていた。
(有馬安信君の報告)
河童の年貢は、人の肝(きも) 「天草島民俗誌」河童記事 その17
或る時.上島と下島の間の瀬戸を、一隻の船が有明海の方へ抜けようとしていた。
すると岸から一人の男が、
「船頭さん。その船はどちらへ行きますか」と呼びかけた。
見れば立派な男で、その傍に一つの樽を置いている。
船頭は、柳河に行くと答えた。
するとその男は、
「それは誠に幸いでした。それでは、この樽を柳河の問屋まで届けて下さい。
至急を要する品物ですから、この手紙に書いてある問屋に、直ぐに届けて下さい。」
と言った。
そして、高すぎると思う程の運賃を渡した。
それから、いよいよまた船が出る時、その男は、
「この樽は、まことに大事な物が入っていますから、途中で決して開けて見てはなりません。もし開けたら大変な事になりますから。」
と繰返し繰返し言って、何處(どこ)かへ去ってしまった。
船は、順風に帆をあげて、柳河 目がけて走って行った。
沖合に来た時、舟子が、あれ程あけて見るなと言った樽の中のものは何だろう、と中が見たくてたまらなくなった。
船頭に向って、
「中をあけて見よう。」と言い出した。
船頭は、
「それは出来ない。」と言って、しきりに止めたが、ついに聞き入れず、樽の中を開けて見た。
すると、中には今まで見たことの無い、ど黒い色のべらべらした物が、大小ぎっしり詰っていた。
何という物であるか、さっぱり見当がつかなかった。
すると船頭は、
「この手紙は送り状に違ない。これを見たら何か判るだらう。」とその手紙を見た。
すると、これは驚いた。
二人とも腰をぬかして、真っ青になってしまった。
なぜかと言えば、それには、天草の河童が、柳川の河童の王様に納める年貢のための人間の肝が99個つめてあることが、書かれていたからである。
しかも、その手紙の中には、
「今年は人間共が要心をして、中々 肝(きも)をとること出来ませんでした。
定めの百だけ納めることが出来ませんので、九十九送ります。
そこで、不足の分の一つは、この船頭の肝をとって百にして下さい。」とあった。
そこで船頭は驚いてそれを捨ててしまった。
昔は、九州を支配する河童の王様は、柳河に住んでいて、各地の河童から人間の肝を年貢として取り立てていた。
天草の河童は、百納めることになっていた。
(安川暢君の報告)
河童の悪口を言うと 「天草島民俗誌」河童記事 その18
今から四十年ばかり前のことです。
二江(ふたえ)の田向という所を、夜の九時頃、田舎から帰り掛けに、道傍で小さな子供が沢山遊んでいたのを見かけた男がいた。
その男が、彼らの悪口を言った。
すると、どこからか、沢山の小さな子供が、ぼうぼうと出て来て、その男をいっかいた(掻きむしった)。
そして、その男が我が家に帰り着いた時は、真っ青になっていた。
医者など呼んだが、一ヶ月も病気をした。
(安部カメという七十七歳のお婆さんの話。井上安義君の報告)
中田村には河童がいない理由 「天草島民俗誌」河童記事 その19
昔、河童の親分と、氏神様とが賭をした。
氏神様が、河童の親分に、
「瓢箪を百、一時に沈めることが出来たら、この中田村の人間の肝をとることを許す。」
と言われた。
そこで河童が沈め始めた。
けれども、一つを沈めたかと思うと、隣りではもうプカリと浮いて上ってしまう。
河童は、一所懸命に苦心して、やっと九十九は沈めることが出来たが、後の一つは、どうしても沈めることが出来なかった。
河童は、遂に氏神様に降参した。
それで今でも、中田村には河童がおらず、安心して泳ぐことが出来る。
(大堂文夫君の報告)
河童をだまして宝物をとった話 「天草島民俗誌」河童記事 その20
昔、あるところにジュウスケと云う男がいた。
ある時、川端を通っていると、河童が出て来た。
河童は、
「おれと角力をとって勝てたら、おれの持っている宝物を全部やろう。」と言った。
ジュウスケは、騙しておじぎをして、頭の皿の水を、こぼさせ、難なく河童を負かした。
そして、宝物をとって帰り、村一番の大金持となった。
(植村光義君の談として林田靖史君の報告)