獺祭=カッパの恩返し
2023.2
獺祭(だっさい)という言葉があります。奇妙な言葉ですが、「獺祭(だっさい)」と言う、有名な日本酒があるので、この単語を知っている人も多いでしょう。では、その意味はというと、知る人は、少ないのではないかと思います。
酒の「獺祭(だっさい)」の人気には、この名称が大いに貢献していると思います。
この「獺祭(だっさい)」とは、カワウソのある変わった・奇妙な習慣をさします。
カワウソは、何故か、川などの水辺の岸に、穫った魚を並べる習慣があります。何の為かは、不明です。
これが、人家の近くで起こると、当然、人間は不思議に思うことでしょう。
家の前やそばに、魚が並べられていたら、どうでしょう。
その解釈として、何者かによる恩返しとしたのでしょう。
魚が並べられていること(獺祭)と、カッパが結びついて、以下の様な、説話となった、と思われます。
カッパの恩返しは、カワウソの仕業です。これは、「獺祭(だっさい)」ですね。
「古事類苑」の動物部七「信濃奇談、上」には、カッパの恩返しが、カッパの駒引きと関連づけて、記載されています。
以下、本文。
羽場村に天正の頃、柴河内という人が住んでいた。
ある時、馬を野飼いにして、天竜川の辺りに放し置いていた。
河童と云うものが、この馬を取ろう、と手綱をとらえて牽いたが、思うようにならなかった。
あちらこちらと逃げようとしていたので、その河童は、繩をつかみきれずいた。
それで、縄を自分の腰に巻いて、川へ引入れようとしたが、馬は引き込まれまいとして、争い抵抗した。
しかし、河童は、これではかなわないと思ったのか、かの手繩をだんだん自分の体に巻き付け、力のあらんかぎり争そった。
少しでも、水の中へ引入れれば、どんなに、大きな馬でも、取り込めるだろうと挑んでいる内に、時移り日暮れて、小さい体では、大きな馬には、勝てず、馬は走り出して、自分の家へ走り帰った。
河童は、繩をいく重にも身にまとっていたので、縄を解くいとまもなくて、ひかれて来た。
そのありさまを、人々が走り出て来て、見た。
これは、めづらしい希有の事であると、集まり寄って来た。
厳しく縛り上げ、厩の柱にくくりつけた。主は、慈悲の心のある人であったので、無益に殺すのも可哀想であろうと憐れんで、縄を解いて放した。
その後、その恩を報じようとしたのか、川魚などを、取って来て、その家の戸ロに置いてあることが度々あった、と「小平物語」(戦国の軍記)に見えている。
このことを、今もなお、里の老人は語り伝えている。
近い頃でも、河童が小児などを取ることが多くある。河童と書いてカッパと呼ぶ。これは、カワワッパの略である。「本草綱目」の渓鬼蟲の附録に、水虎と言うのは、このたぐいであろう、と貝原益軒翁は言っている。
私の意見であるが、これは、水獺(かわうそ)の老いたるものではないのかと思う。
貝原益軒翁は、又言う。「淮南子(えなんじ)」にある魍魎(もうりょう)は、三歳の小児の様である。体は赤黒く、目は赤く、耳は長く、髭は美しい、とある。「左伝注疏(さでんちゅうそ)」に、魍魎は、川沢(せんたく)の神である、と見えているが、この河童に似ている、云々。
「古事類苑」動物部七 「信濃奇談、上」より