江戸の妖怪、怪奇、怪談、奇談

江戸時代を中心とした、面白い話を、探して、紹介します。

黄華堂医話における河童

2021-12-06 22:58:35 | カッパ

黄華堂医話における河童

                                2021.12
筑後、肥後、豊後のあたりには、河伯が多い。
別名を水神とも河童とも水虎とも言う。
民間では、川太郎と言い、またカッパとも言う。
その姿は、猿に似て小さく、髪は赤色で太く長いと言う。
水に入れば、その髪は見えなくなる。
この者は、よく害をなす。
水辺を歩く人がいれば、水から出て、力比べをしようとする。
カッパと相撲をとった人は、必ず寒熱の病にかかると言う。

肥後の村井椿寿子(医者)は、毎度、このカッパのために寒熱の病にかかった病人を、治療したと私に語った。

また、肥後の川尻という所に、ヒョウスラリ(原文ではヒヤウスラリ。これもカッパの別名か?あるいは、別の妖怪であろうか?)の守りであると言って、河伯を制する人がいる。奇妙な事である。
(編者注:この文意はよくわからない。)

「黄華堂医話」著者 橘南渓 より


ザリガニの石はオランダの薬  「黄華堂医話」

2021-12-06 22:53:49 | その他

ザリガニの石はオランダの薬

「黄華堂医話」より
                         2021.12
「黄華堂医話」は、医学随筆であるので、面白い生薬も記載されています。
著者の橘南渓は、「東西遊記」がその著作として知られているが、本業は、医者です。
医学的な著書があっても、不思議ではありません。その中で、少し、面白いのがあります。


オクリカンキリ(ヲクリカンキリが、原文)

ヲクリカンキリ(オクリカンキリ)というのは、利水に不思議によく効き、世間では珍重されている。
(利水とは、小便の出にくいもの、浮腫のある時に、水=小便の出をよくして、治癒させる事を言う。)
外国に産して、オランダ船が持ち来たったものである。

近年は、はなはだ稀で、非常に高価である。
私が、東北に旅行したときに、奥羽にヲクリカンキリが産出するという事を聞いて、かの地で、あちこちさがした。
すると、出羽の国の秋田領の大館という所に、ザリ蟹(ザリカニ)というものがいた。
その蟹の形は、海老に似ていた。
谷川あるいは、沢辺などに住むものである。

蟹という名がついているが、海老に近いものである。
このザリ蟹(ザリカニ)の頭にある石を外国でヲクリカンキリと言う。
この大館の谷川に産するヲクリカンキリは、外国より輸入された物よりは、非常に小さい。
しかし、同じ物であることは、疑いようもない。
また、津軽領の岩木山の東あたりの高志貴と言う所の谷川にも、ザリ蟹(ざりかに)を産する。
大館よりは、はなはだ多いと言う。

くわしく調べれば、外国より輸入された程の大きさのヲクリカンキリもあるだろう。

 

 

 


「天草島民俗誌」河童記事  その11から15

2021-12-06 20:59:04 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その11から15

「天草島民俗誌」(浜田隆一著、東京郷土研究社、昭和7年、1932年)

                              2021.12

河童は、夏は川にいて、冬は山に登る    「天草島民俗誌」河童記事  その11
河童は、夏は川に居て、冬は山に登り、しゃかぎの根にかくれている、と云う。
そして、その河童のいる木は枯れている、と云う。
夏の川で、子供が遊んでいると、友達に化けて来て、綺麗な花などをくれるから、来い、とだましてじご(しり)をとる、と云う。
(以上、池田瑞穂君の報告)

川の河童が山に行く日  萬鉄五郎  その12
浦村では、川祭の日は、川の神様が年に一度山に帰る日である。
その日は、川にいる河童が、みな山に行く、と云うので、皆泳ぎに行く。
泳がない者は、川に魚釣りに行くことになっている。
        

河童の妙薬  「天草島民俗誌」河童記事  その13
昔、浦村に小さなお寺があって、その前に一つの御堂があった。
そのお堂に、毎晩怪物が出る、と言うので、村で一番強い男が、それを退治に行った。
夜中になると、何物か毛だらけの手で頭を撫でた。
それで、すぐにひっ掴んでグッと引いたら、外の地上に、ドシンと大きな音をたてて、何か落ちた。
早速 馬乗りにまたがり、山刀で殺そうとすると、
下から
「私は何も悪いものでない、河童ですから、今までの事は許して下さい。」
と言うので、許してやった。
けれども、後でまた悪い事をしない用心の為に、片腕を切って逃した。
すると、一週間ばかりたって、夜中に自分の家の戸をコトコト敲く昔がした。
出て見ると、この間の河童がションボリ立っていて
「どうか、腕を返して下さい。
そん代りに、怪我の妙薬を差上げますから。」と言うので渡してやった。
河童は、その腕を切口にはめ、上に薬を塗るとすぐによくなった。
その薬を、その強い男に渡して帰って行った。
(蓮田辰夫君の報告)
         
冬は山に行く河童  「天草島民俗誌」河童記事  その14

河童は、春分から秋分までは水の中に居て、秋分から春分までの寒い間は山に行く。
春分から秋分までの暑い間は河の中にいて、盛んに活動するので、河の水が濁る。
山に居る時には「クロモの木」の根にいる。(迫頭才次郎氏) 

        
河童は、もとは人形であった   「天草島民俗誌」河童記事  その15

昔、「たかたんばんじょ」という人がいた。
有名な大工で、或る城を造るとき、沢山の人形を作って、それに魂を入れて、仕事の手伝いをさせた。
そして怠けたり、言うことを聞かなかったりする時は、才槌(さいづち)で頭をたたいたので、自然と頭の上が凹んで来た。
仕事が完成してから、この人形たちが
「わしだ(わたし等は)これから何ばしやっしゅかい?」と言つた。
すると「たかたんばんじよ」は、
「お前達んごたる ひゆじ(?)は、人の尻どん 取ってちくらえ」と言った。
それで、この人形たちは、川に行つて棲み、河童となった。
今は、頭の上は皿の様に凹んでいて、人の尻を取って食っている。
(仁田長政君の報告)


「天草島民俗誌」河童記事  その6からその10

2021-12-01 22:35:29 | カッパ

「天草島民俗誌」河童記事  その6からその10


                         2021.12

河童と相撲をした子供   「天草島民俗誌」河童記事  その6

大江村の桑津留での話。
赤崎という少年が、桑津留の淵の傍を通っていると、河童から声をかけられた。
それで、水中でしきりに相撲を取って、泡を吹いてしまった。
そのところを、村の人が折よく発見して、救い上げて、連れ帰った。
家へ帰って来ても、絶えず「河童と相撲をとりに行く」と言って、仕方がなかった。
それで、神官を呼んで祈祷をしてもらったら、次第次第によくなった。

大江では、河童の腕は、ちょうど蕎麦稈を束(たば)ねた様で、頭に皿の様なものを載せていると云う。(木田円作君談話)
         
 
河童に礼をさせて、皿の水をこぼさせる  「天草島民俗誌」河童記事  その7
今から百年も昔の話。
今の牛の首、農学佼の門前から二十間ばかり奥の方から、谷まぎった(谷を横ぎった)ところに、山下金三という勇士があったと云う事である。
その人は、相撲が強くて百姓であった。
或る日、今の山口村の奥の方の山に薪とりに行き、夕方家へ帰って来ようとした。
その途中、荷の上に一羽の鷹が来て止った。
そしてそのまま家の戸口まで来て、それから飛んで行ったので、不思議に思った。
ふりかえって見ると、龍神様の松の木に行ってとまった。
その木を、今でも龍神様といって拝している。
また、この人がある時、何時ものように広瀬の白岩に行って田の中で働くいていると、どこからか、
「金三、相撲とろう」と言う声がした。
顔をあげて見ると、河童があぜに、腰かけていた。
金三も一緒に腰を下して、
「おー、わる(汝)が田ん草ば取って、加勢したらとろうだ」と言った。
すると、「ほんとうか?そんなら。」と言った。
見ている中に、じゃぶじゃぶと田の草をとってしまった。
そして又「相撲をとろう」と申し出た。
ところが金三は、
「昔から、相撲をとる時には、両方から頭下げて、礼をしてからとるごて(事に)なっとるけん(なっているから)。礼ばしてから、むかって来い。」と言った。
すると、河童はペコペコ頭をさげて向かって来た。
二人は、投げたり投げられたりして、日の暮れるまで遊んでいたと云う話であった。
河童は、頭に皿があって、その中に水が入っていると、力が限りなしに出て来る。
それで、相手に先づ礼をさせ、皿の水をこぼさせてから、取り組むのである。
(金沢国吉氏談。金沢国彦君報)
        

河童の頭に小便をした話  「天草島民俗誌」河童記事  その8
或る時、一人の相撲の強い人が、どこかに相撲に行くのに、途中に川があって、そこは、飛び石になっていた。
家を出る時に、母親が仏飯を食べさせて送り出した。そして、その川を渡るとき、小便がしたくなったので、その川の中にした。
すると、川の中から「誰だ?おれの頭の上に、小便をするのは!」と言う声がした。
「何だ。おれだ」と言い返した。
すると、水の中から、一匹の河童がポカリと浮き上って来た。
そして、互に口論をはじめた。
河童は、
「お前は相撲取の様だが、おれと相撲をとって勝てば向うへ行ってもよい」と言い出した。
そこで相撲をとると、河童は又「あなたは、眼が光って、恐ろしい。」と言って、遂に降参した。
眼が光るのは、仏飯を食っているからである。
(池田瑞穂君の報告)


         
河童を見た   「天草島民俗誌」河童記事  その9
或る百娃が、朝、田を見に行くと、向うの川で、小さな子供がジヤブジャブやっていた。
それで、近づいて見ると、驚いたのか、川の中ヘドブンと入ってしまった。
河童であった。
(池田瑞穂君の報告)        

 

馬が河童を引きずって来た話     「天草島民俗誌」河童記事  その10

ある時、一人の百娃が、馬を田の中で働かせたので、泥で大へん汚れてしまった。
それで、川に連れて行って、洗って、岸の木に繋いでおいた。
すると、馬のたづなを、誰か牽いて海の中へ引っぱって行こうとした。
馬は驚いて、一目散に、家へ逃げ帰った。
よく見ると、たづなの先には、一匹の河童が巻きついていた。
それで、捕らえて、縄で縛って馬小屋の天井につるしておいた。

翌日、下男が馬の「はむ}にかける水を持って行って見ると、昨日のカッパは、しなびていた。
その水を頭からさっとかけてやったら、たちまち勢いづいて縄を振り切って逃げて行ってしまった。

 

 

 

 

 

 


新説百物語巻之三  1、深見幸之丞 化物屋敷へ移る事 

2021-12-01 21:45:40 | 新説百物語

新説百物語巻之三  1、深見幸之丞 化物屋敷へ移る事 
                       2021.12
備前岡山の近所に、中頃に、深見幸之丞(こうのじょう)と言う武士がいた。


常には詩文を好み、華奢風流の男であって、軟弱な男である、と若いものは評判していた。

その辺に、五六十年このかた、人の住んでいない化け物屋敷があった。
どんな剛毅(ごうき)なものも、二夜とは泊まらず、逃げ帰る所であった。

若い人々が寄会い、
「どんな、剛毅な者でさえ、一宿もしない化け物屋敷であるから、幸之丞などは、門の内へも入れないだろう。」
と言った。
幸之丞(こうのじょう)は、聞かない顔をして、その座を立ち去った。

それから家に帰って、家族にもかくして、独りで弁当や酒などを用意して、かの化け物屋敷におもむいた。
誰も住んでいない事であるので、門には錠もかかっていなかった。
すこし開けて、薄い月あかりにすかして見れば、草はぼうぼうと生えて、茂っていた。
屋根なども荒れ果てていて、縁(えん)もかたむき、畳もなかったので、用意の尻敷を取り出して、台所とおもわれる所に敷き、そこで、たばこを吸った。

秋の末の頃であったので、荒れた庭に吹く風も身にしみ、鳴く虫の声がうるさく、心細く思う頃、奥の方から、メリメリと言う音が聞こえてきた。
これは、と思って、刀を引きよせ、油断せずに、奥の方を見た。

すると、なにかはわからないが、
「たすけてたすけて」
と、泣きながら来る女の声がした。
姿を見れば、顔は青ざめて、髪はぼさぼさで、拾貫目の銀箱と見える物を手に持っていた。
そして、くゎっくゎっと打って、火がもえ出てきた。
しばらくすると、又台所の釜の下から、これも色が青ざめた男が、髪をぼさぼさにし、縄を帯にして、手に鍵とおぼしき物を持ち、
「ここへ来い来い」と言った。
幸之丞は刀を抜く用意をし、
「何ものだ。
この屋敷に住んで人々を迷わして、こんな事をするのか?
狐や狸であるならば、正体をあらわせ。」
と、ハタとにらんだ。

すると、二人の者は、少しもさわがず、そろそろとそばへ来た。
「わたくしどもは、この家につとめていた男女の下人でございます。
主人の目をかすめて、仲良くなりました。
その上に、土蔵にあった銀子(ぎんす)の箱を盗み出して、かけおちをしようと思う所を、主人に見付られてしまいました。
二人とも手打ちにあい、別々に埋められました。
しかし、我が身の罪は思わず、主人の家内を皆々取り殺しました。
こうして、この家は断絶いたしました。
その罪により、二人とも今にいたるまで、成仏出来ておりません。
かわいそうだと、また御慈悲と覚しめして、御とむらい下されば、ありがたく存じます。」と。
このように、熱心に頼んだ。
それで、幸之丞はしっかりと聞きとどけて、仏事を丁寧に行った。

その後は、何も怪異なことはなかった。

藩主が、そのことを聞いて、その屋敷を幸之丞に与えた。

幸之丞がいつもの軟弱な様子とは違って、この度の働き、皆皆が、この度の武勇をほめたたえた。