桜和尚ブログ

下記に引越しました
https://enden.amebaownd.com/

◆最終回--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』---

2014年08月10日 | あの世この世

ゴーン

これでまた大好きな野球もできる。ホームランやストライクという言葉も使える。

もうひとつ、ゴーン

ブリキのおもちゃやボタンは帰ってこないけど、この音であの日の悔しさも忘れられそうな気がする。

最後に、ゴーン

これから俺ががんばって、母ちゃんやじいちゃん、家族を守っていくんだ。

そんな心が、ケンジに芽生えたのでした。

 

1ヵ月後、ケンジの前に、大きなリュックを背負い、包帯をぐるぐる巻いた片目の兵隊が現れました。

ケンジは兵隊を見て、一瞬後ずさりしました。

金属供出の嫌な思い出が、今でも頭から離れないからです。

しかし、兵隊の目には見覚えがあります。

「ケ、ケンジ!俺だ、父ちゃんだ!今帰ったぞ!」

兵隊はしゃがれた声で言いました。

父ちゃんは大きな怪我をしたものの、九死に一生を得て、戦争から戻ってこられたのです。

「と、父ちゃん、ほんとに父ちゃんか!?」

ケンジは父ちゃんのボロボロの懐に飛び込みました。

そして、泣きました。いつまでも泣きました。

 

ゴーン

 

世の中が変わる。

新しい時代が訪れる。

戦争のない、平和の鐘がなっている。

ケンジの耳には、そう聞こえたような気がしました。

(完)

このブログを評価していただいた場合は、下記登録ブログジャンルを押して下さい。

 

 にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ

 

  にほんブログ村 哲学・思想ブログ 仏教へ
 
 

---------------------



 

 

 

 

 


◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』--4

2014年08月10日 | あの世この世

 

「じいちゃん、この鐘どうした?どこの鐘や?供出で持っていかれたはずだべ?溶かされたんでねがったのか?」

ケンジは矢継ぎ早にたずねました。

「なぁケンジ、2年前、お前のおもちゃやボタンを持っていかれて泣いてたべ。

 あん時、じいちゃんも悔しかったんだ。必ずこの鐘も持っていかれると思って、

 次の夜、オラと若頭4・5人で、松明灯しながらこの700キロある釣鐘を、こっそり外して隠したんだ。」

ケンジはじいちゃんの話に驚きました。

「…日本中から金属を集めたのに、結局役には立たなかった。

 東磐井の寺や神社の釣鐘も、根こそぎ持っていかれたけども、武器にされる前に日本は負けてしまった。

 だけんども、供出したものは戻ってなんかこねぇんだよ。

 それを予想して、オラ達は常堅寺の釣鐘をこっそり隠したのさ。

 あん時は悪いことだと思ったけど、今となっては正しいことだったのかもしれねぇ。

 戦争は正義が悪に、悪が正義に、全てをひっくり返ってしまうほど、人の心を狂わせる恐ろしく愚かなことなんだ。

 もう二度とこんな時代を繰り返してはだめだ。

 釣鐘を隠したことは悪いことさ。だけんど、門崎の誇りを守ったことのほうが正しいと、

 この釣鐘の音を聞いて誰もが納得してくれるはずだ。

 これから時代は変わるぞ、ケンジ!平和な世の中になるんだ!

 確かに今は苦しいけども、一生懸命働けば必ず暮らしが良くなる。

 そんな時代が来る。

 間違いねぇ、さぁ、ケンジ、お前も鐘をついてみろ!」

ケンジは、じいちゃんに言われるまま、平和な時代が来る、努力が報われる時代がやってくる、もうビクビクしなくていいんだ、

そう思って鐘をついたのでした。


◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』--3

2014年08月10日 | 心と体のホットケア

砂鉄川の砂鉄と、お盆山盛りの砂金を溶かし込んであるから、音が良いと有名でなぁ。

 そんな平和と幸せの象徴が、人殺しの道具に作り変えられるというのだから、狂った時代になったもんだ。

 おら達の心に響き続ける村の誇りを持っていかれるなんて、大変なこった。」

 

 数日後、門崎の家々から金属製品は姿を消しました。

常堅寺の釣鐘もいつしか姿を消し、門崎の人々はきっと供出されたのだろうと噂していました。

伝統と歴史のある釣鐘を失ったことで、村の皆は心の支えを失い、何よりも、がっかりしていました。

 

 それから2年後の暑い夏。

強い光と猛烈な風で、全てを一瞬で溶かしてしまう原子爆弾が、世界で始めて広島に落とされ、日本はアメリカとの戦争に負けました。

日本が負けたことで、アメリカ兵が家に火をつけに来るのではないか、女子供を連れて行かれるのではないか、

食べ物も今より少なくなるかもしれない、などと噂が噂を呼び、門崎の人たちも毎日不安や恐怖を感じ、眠れぬ日々を過ごしました。

 そんな中、ケンジも小学6年生になりました。

働き手のいない家族7人、一日一日食べていくので精一杯でした。

そんな大きな不安をかかえながら、ケンジが汗を拭き拭き校庭の芋畑で草取りをしていると、遠くで何かの音がした気がしました。

空耳かと思いましたが、違います。それはゴーンという懐かしい鐘の音でした。

「あれっ、あれは確か、供出で持っていかれたはずの常堅寺の釣鐘の音でねぇか…?」

ケンジが思わず手を止めお寺の方を眺めると、何やら人が集まっているのが見えます。

無性に胸がドキドキして、畑仕事を放り出しお寺に走って行くと、大勢の人たち鐘を囲んでいました。

その中には、ケンジのじいちゃんもいます。