桜和尚ブログ

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◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』--3

2014年08月10日 | 心と体のホットケア

砂鉄川の砂鉄と、お盆山盛りの砂金を溶かし込んであるから、音が良いと有名でなぁ。

 そんな平和と幸せの象徴が、人殺しの道具に作り変えられるというのだから、狂った時代になったもんだ。

 おら達の心に響き続ける村の誇りを持っていかれるなんて、大変なこった。」

 

 数日後、門崎の家々から金属製品は姿を消しました。

常堅寺の釣鐘もいつしか姿を消し、門崎の人々はきっと供出されたのだろうと噂していました。

伝統と歴史のある釣鐘を失ったことで、村の皆は心の支えを失い、何よりも、がっかりしていました。

 

 それから2年後の暑い夏。

強い光と猛烈な風で、全てを一瞬で溶かしてしまう原子爆弾が、世界で始めて広島に落とされ、日本はアメリカとの戦争に負けました。

日本が負けたことで、アメリカ兵が家に火をつけに来るのではないか、女子供を連れて行かれるのではないか、

食べ物も今より少なくなるかもしれない、などと噂が噂を呼び、門崎の人たちも毎日不安や恐怖を感じ、眠れぬ日々を過ごしました。

 そんな中、ケンジも小学6年生になりました。

働き手のいない家族7人、一日一日食べていくので精一杯でした。

そんな大きな不安をかかえながら、ケンジが汗を拭き拭き校庭の芋畑で草取りをしていると、遠くで何かの音がした気がしました。

空耳かと思いましたが、違います。それはゴーンという懐かしい鐘の音でした。

「あれっ、あれは確か、供出で持っていかれたはずの常堅寺の釣鐘の音でねぇか…?」

ケンジが思わず手を止めお寺の方を眺めると、何やら人が集まっているのが見えます。

無性に胸がドキドキして、畑仕事を放り出しお寺に走って行くと、大勢の人たち鐘を囲んでいました。

その中には、ケンジのじいちゃんもいます。


◆平和について--手作り絵本『鉄砲と釣り鐘』②

2014年08月09日 | あの世この世

ある日、ケンジが学校から帰ると、玄関先に、鉄瓶、火鉢、じいちゃんのクワが積まれたリヤカーがありました。

それを見たケンジは、前にじいちゃんが言っていた「金属供出」だと、ぴんときました。

金属供出とは、あらゆる金属製品を、戦争で使う鉄砲や武器に作り変える為に、各家庭から集めることです。

同時にケンジは、リヤカーの中にブリキのおもちゃがあることに気づきました。

そのおもちゃは、ケンジの父ちゃんが戦争に行く前に買ってくれた、とても大切なものです。

「そのおもちゃ、持って行かないでけろ!!」

ケンジは叫びました。

すると兵隊らしき人が、

「何だ貴様。日本国がアメリカと戦っているときに、協力しないのか!

 お前の父親も、歯を食いしばって戦っているんだ。

 鍋、釜はもちろん、針一本だって、戦争の役に立てるんだ、

 協力しない者は法律違反の罰則があるぞ!」

と、ケンジに向かって怒鳴りつけました。

 

 

ケンジは母ちゃんに向かって、

「母ちゃん、あのおもちゃ、父ちゃんからもらった宝物なんだ!持っていかねぇように頼んでけろ!!」

と言いましたが、母ちゃんはうつむいたまま、何も言えませんでした。

兵隊はケンジに近づき、

「その学生服のボタンも金属だな。それも供出しろ!」

と言い、ケンジのボタンを、ブツブツッと引きちぎっていきました。

 

 その夜、ケンジはその出来事が悔しくて悔しくて、布団に顔を埋めて泣きました。

その姿を見たじいちゃんは、ケンジに語りました。

「なぁケンジ。困った次時代になったなぁ。

 兵隊さん達は、金属となれば何でも持っていく気だ。

 常堅寺のつり鐘が持っていかれるのも、時間の問題だべなぁ。

 300年前、4代目のエンイツ和尚の時代、日照りが続いて米が取れず悪い病気が流行って、

 災いの無い幸福な世になってほしいと祈り、門崎の人たちが作ったそうだ。

 

 

 

 


◆平和について--絵本『鉄砲と釣り鐘』①

2014年08月08日 | 心と体のホットケア

昨日は広島の原爆記念日でした。

終戦記念日も近づいてきます。

2年前の晋山結制法要の記念として絵本を作りました。

鉄砲と釣り鐘です。私が文章を担当、佐藤はるかさんという岩手大出で、現在一関市内にお住まいのお嬢さんに

絵を担当していただきました。

物語は、当寺の市文化財の梵鐘にまつわる話をまとめました。

 

今から約65年前、アメリカとの戦争が激しくなり、

空襲で東京の多くの家が焼かれた時、

門崎(かんざき)にも暗い戦争の足音が聞こえてくるようになりました。

 門崎小学校4年のケンジは、父が戦争に連れて行かれ、

母と姉、弟二人、じいちゃん、ばあちゃんとの7人家族です。

 

 

 

昭和17年4月

満開の桜の花が咲く門崎小学校の校庭で、

4年生になったばかりのケンジたち3人が野球をやっています。

カキーン ケンジの打ったボールは珍しく大当りしました。

「やったー!打ったー!ホームランだー!」

「違う違う、今のはファールだべ!」

ピッチャーの哲郎は言います。

「違うってば、間違いなくホームランだってば!」

ケンジもなかなか引き下がりません。

キャッチャーの幹夫が言います。

「もうやめろ!どっちでもいいけどさ、これからホームランやファールって英語を使っちゃだめなんだぞ。

 ホームランは本塁打。ファール場外反則球って言うんだ。」

「何でや?何で英語使ったらだめなんだ?」

哲郎が尋ねます。

「今、日本の兵隊さん達が命がけでアメリカ人と戦ってっぺ。そんな時に英語ぺらぺら使うなって、先生言ってたべ?」

ケンジと哲郎は、幹夫の話にすっかりとやる気をなくし、しゅんとしてしまいました。

 

 

 

 

その時です。

どこか遠くの方からゴー…という音が聞こえました。

空を見上げると、今まで見たこともない飛行機が、一本の飛行機雲をはきながら、青い空を横切っています。

「あれはアメリカの偵察機だ…。時々ああやって高いところからカメラで撮影して、日本を調べてるんだ。」

と、幹夫が言います。

「…食うものが無くなってきたから、この校庭にも芋の苗を植えるらしいな…。来週からは野球もでぎねぇ。

 ホームランもストライクも言っちゃいけねぇし、腹は減る。何だかわがんねぇけど、おっかねー世の中になんでねーの。」

「…もう帰っか?」

「…しょうがねぇや、帰っぺ…。」

三人は最初の元気もなくなり、しょんぼり家に帰るのでした。

 そして、その校庭も5月には畑になり、勉強の時間に畑の作業をするようになっていました。

「もう野球をすることもでぎねぇのかー。毎日畑仕事ばっかりで、やんたぐなる。」

ケンジ達野球仲間は、口々に言いました。