無事発見と言う最高の形になり「良かった」
・・北海道七飯での小学二年生の行方不明。
昨日、神戸から姉が来て、別の姉夫婦と私と4人で話をする機会がありました。
その時の話題は大和くんの無事発見から始まり親の躾(しつけ)で盛り上がった。
私以外の3人は子育ての経験が有り、子供の躾については経験者なので、それなりの意見を持っています。
現在は自分の子供の孫に対する躾に色々と意見があるみたいで、
躾はかなりの難問で一朝一夕には答えが出ません。
未経験の私は、、、とりあえず経験者の話を聞くことにしたのですが、、、。
全体的に自分が親から受けた躾がかなり影響している様子です。
そして自分の親からの躾を自分なりにアレンジしているのです。
確かに社会の状況がが変化しているので、正しい事も時代によって変化するのは、、、極自然です。
そこで今回の大和くんの父親の躾はどうだったか・・・・
まず、躾をされた経験だけで、子供にしたことの無い私の意見ですが・・・。
この大和くんの父親の躾の考えは結果の如何に関わらず認めます。
そう、たとえ不幸な結果になっていても、私は父親の事を批判はしない。
事の成り行きが非常に稀な方向に進んだだけで、反省したり後悔したりするのは、あくまでも親の心の中で対処するべき事で他人がとやかく言うべきじゃない。
少し話がズレるけど、法律でも親子の間の出来事は立ち入れない部分を認めています。
もちろん、日常の生活で親が親としての考えの下に行動できていないと、
一般的に判断できるような親であれば話しは違ってきます。
この親子で考えれば、子供に接して関る事を避けていません。むしろ積極的に接しているように伺えます。
子供の教育や躾を妻に任せて無関心な父親も大勢いるのに、大和くんの父親はしっかりと考えている。
その考えが、今回の様なことを引き起こしたのですが、、、、
だからと言って、その考え方が間違っていると言えるでしょうか
私は間違っていないと思います。
再度言いますが、今回の出来事(行方不明)は稀な出来事です。
どんな事にでも、必ずリスクはあります。
大事な子供に関することだから、そのリスクを回避しなくちゃいけない、それが親の務めだと言うが・・・
完璧なリスクの回避などこの世には有りません。
今回の出来事は学校の階段を転げ落ちる確率より小さく、
野球をしていて他の人が振ったバットで殴られる確率より小さい。
野球の好きな大和くんに野球をさせない、元気な大和くんに階段のある学校には行かせない。
リスクを避けるためにそんな事する父親は立派なのでしょうか・・・。そんな事はありえない。
以前にある中高年の夫婦が言った。。。
「息子の嫁の子供(孫)にたいする躾がなっていない
」
私はその夫婦に
「孫の教育にお爺ちゃん・お婆ちゃんが口を出すのは問題の素になるぞ(笑)」
その夫婦の嫁に対する不満を聞くと・・・
公共の場で孫(4才)が激しいダダをこねたのだが、母親(嫁)が注意しない。
家の中で孫が物を投げたりするのを叱ると、母親(嫁)が飛んできて 「可哀想に叱られたのぉ~」って子供をかばう。
などなど、、、あまやかして全然叱らないと言うのです。
そして母親(嫁)の意見は
「躾は学校で必要な躾をしてもらう。それまでは愛情いっぱいで育てる。」・・・らしい。
これには開いた口が塞がらなかったと言っていました。。。。
さて、、、この母親の考え方はどうでしょう。
こう言う考えの人も、わりと存在するみたいですネ。
幼少期に愛情いっぱいで育てる・・・・なんか良い響きな感じです。
でも、それは当たり前のこと、何か意味と行為を勘違いしているような気がします。
まるで過去の民主党(民進党)の公約みたいです。
躾を学校の先生に任せるなんて、、、、そんな恐ろしい事を平気で言えるのが不思議です。
もし、もしも先生の躾が上手く行ったとすれば(そんな事は絶対に無いけどネ)・・・同じ子供が量産されるだけ。
それこそ子供の個性を大事にしたい親の考えとは反対の行動になってる事に気がついていない。
たちまち、、、そんな能力を学校の先生に求めるのは夢物語
そんな責任を持つ気持ちも能力も、そして時間も学校の先生には無いでしょ。
昔の親の躾は・・・・だから、これが正しいと言うのも間違いです。
躾に正解は無い、ただし大和くんの父親の様に積極的に関る事は絶対に必要です。
あえて正解を出すなら、、、
子供に積極的に関る事で、その内容ではありません
ちなみに・・・
私は子供の時に押入れに入れられ泣きじゃくった事を覚えています。原因は覚えていません。
兄は家から10mほど離れた木に夜中まで縛られていました。兄もその理由は覚えていません。

昨日、神戸から姉が来て、別の姉夫婦と私と4人で話をする機会がありました。
その時の話題は大和くんの無事発見から始まり親の躾(しつけ)で盛り上がった。
私以外の3人は子育ての経験が有り、子供の躾については経験者なので、それなりの意見を持っています。
現在は自分の子供の孫に対する躾に色々と意見があるみたいで、
躾はかなりの難問で一朝一夕には答えが出ません。
未経験の私は、、、とりあえず経験者の話を聞くことにしたのですが、、、。
全体的に自分が親から受けた躾がかなり影響している様子です。
そして自分の親からの躾を自分なりにアレンジしているのです。
確かに社会の状況がが変化しているので、正しい事も時代によって変化するのは、、、極自然です。
そこで今回の大和くんの父親の躾はどうだったか・・・・
まず、躾をされた経験だけで、子供にしたことの無い私の意見ですが・・・。
この大和くんの父親の躾の考えは結果の如何に関わらず認めます。
そう、たとえ不幸な結果になっていても、私は父親の事を批判はしない。
事の成り行きが非常に稀な方向に進んだだけで、反省したり後悔したりするのは、あくまでも親の心の中で対処するべき事で他人がとやかく言うべきじゃない。
少し話がズレるけど、法律でも親子の間の出来事は立ち入れない部分を認めています。
もちろん、日常の生活で親が親としての考えの下に行動できていないと、
一般的に判断できるような親であれば話しは違ってきます。
この親子で考えれば、子供に接して関る事を避けていません。むしろ積極的に接しているように伺えます。
子供の教育や躾を妻に任せて無関心な父親も大勢いるのに、大和くんの父親はしっかりと考えている。
その考えが、今回の様なことを引き起こしたのですが、、、、
だからと言って、その考え方が間違っていると言えるでしょうか

私は間違っていないと思います。
再度言いますが、今回の出来事(行方不明)は稀な出来事です。
どんな事にでも、必ずリスクはあります。
大事な子供に関することだから、そのリスクを回避しなくちゃいけない、それが親の務めだと言うが・・・
完璧なリスクの回避などこの世には有りません。
今回の出来事は学校の階段を転げ落ちる確率より小さく、
野球をしていて他の人が振ったバットで殴られる確率より小さい。
野球の好きな大和くんに野球をさせない、元気な大和くんに階段のある学校には行かせない。
リスクを避けるためにそんな事する父親は立派なのでしょうか・・・。そんな事はありえない。
以前にある中高年の夫婦が言った。。。
「息子の嫁の子供(孫)にたいする躾がなっていない

私はその夫婦に
「孫の教育にお爺ちゃん・お婆ちゃんが口を出すのは問題の素になるぞ(笑)」
その夫婦の嫁に対する不満を聞くと・・・
公共の場で孫(4才)が激しいダダをこねたのだが、母親(嫁)が注意しない。
家の中で孫が物を投げたりするのを叱ると、母親(嫁)が飛んできて 「可哀想に叱られたのぉ~」って子供をかばう。
などなど、、、あまやかして全然叱らないと言うのです。
そして母親(嫁)の意見は
「躾は学校で必要な躾をしてもらう。それまでは愛情いっぱいで育てる。」・・・らしい。
これには開いた口が塞がらなかったと言っていました。。。。
さて、、、この母親の考え方はどうでしょう。
こう言う考えの人も、わりと存在するみたいですネ。
幼少期に愛情いっぱいで育てる・・・・なんか良い響きな感じです。
でも、それは当たり前のこと、何か意味と行為を勘違いしているような気がします。
まるで過去の民主党(民進党)の公約みたいです。
躾を学校の先生に任せるなんて、、、、そんな恐ろしい事を平気で言えるのが不思議です。
もし、もしも先生の躾が上手く行ったとすれば(そんな事は絶対に無いけどネ)・・・同じ子供が量産されるだけ。
それこそ子供の個性を大事にしたい親の考えとは反対の行動になってる事に気がついていない。
たちまち、、、そんな能力を学校の先生に求めるのは夢物語

そんな責任を持つ気持ちも能力も、そして時間も学校の先生には無いでしょ。
昔の親の躾は・・・・だから、これが正しいと言うのも間違いです。
躾に正解は無い、ただし大和くんの父親の様に積極的に関る事は絶対に必要です。
あえて正解を出すなら、、、
子供に積極的に関る事で、その内容ではありません

ちなみに・・・
私は子供の時に押入れに入れられ泣きじゃくった事を覚えています。原因は覚えていません。
兄は家から10mほど離れた木に夜中まで縛られていました。兄もその理由は覚えていません。