脳出血で無職になった親父のブログ

株式投資に腕時計が好きなオッサンのブログです。年齢を重ねスピリチュアルにも興味を持ったお蔭で人生感も変わりました。

徒然なるままに(^-^)子供を育む環境って?

2017年07月24日 17時33分19秒 | 住む
住むにあたって気になるのは環境(^-^)
通勤や買い物の利便性は(^-^)もちろんですが子供の教育環境は結構、ウエイト高いのでは?ないでしょうか。
公立の小中学校が特に(^-^)
荒れてる環境は避けたいのが親心。地方や東京からの転勤族が関西に来られる時は特に気になるようです。コテコテの大阪( ゚д゚)は、とうやら避けたいみたいです。
関西は長らくな都があった京都や奈良。古墳や寺社仏閣が多いところは、それなりの文化や習慣もありますし昔ですから身分制度も特に厳しかったところでもあります。
また、大阪市内には生野区には焼肉で有名な鶴橋はコリアンタウンです。
関西の繁華街と言えばキタの梅田、ミナミの難波、京都河原町、神戸三宮(^-^)
話は逸れましたが転勤族の方は大阪コテコテ文化が比較的にキツくない北摂地域や阪神間に住まわれるのが無難と言えば無難。
北摂とは大阪府豊中市、吹田市、箕面市、高槻市、茨木市、池田市(^-^)
阪神間なら神戸市東灘区、芦屋市、西宮市かなぁ。でもね。阪神間は阪急沿線が無難です。
西宮市なら西宮7園と言われるところ。
阪神間は国道43号線、国道2号線、山手幹線が東西に走っていますが山手幹線より山側が良いかなぁ?物価は高いけど(^-^)
下町には下町の良さがあるのでふ。
物価は安く気取らなくていいですしね。
尼崎市は阪急沿線の武庫之荘駅や塚口駅周辺と阪神尼崎駅、杭瀬、センタープールなどの駅周辺とは違いが一目瞭然。です。どちらを選ぶか?
それは当人次第ですが転勤族は尼崎には住みません(^-^)
話は逸れましたが学校区が気になるのは仕方ないことですし、例え私立へ進学するとしても住んでいる地域の人となりも気になるところですね。
私も転勤族でしたから気にしました。
北海道札幌のときは子供幼く、直ぐに転勤で他に行くと思っていたので駅近が第1(^-^)でしたが東京転勤のときは東急田園都市線か東急東横線が同僚からオススメと言われ横浜市青葉区に住んでいましたが確かに環境は良かったですね。
札幌から神戸に転勤してきたときは灘区の六甲駅近くと東灘区JR住吉駅近くでした。ほんとは摂津本山や阪急岡本駅周辺で探してましたが中々、高く予算オーバー( ゚д゚)
でも住吉駅も便利でしたよ。なんだかんだ言っても大阪南部や河内と比べたら、妻と子供には良かったかも。その昔、私は八尾市や柏原市にも住んでいましたが確かに柄の良くない人は少なくありません。でもね。八尾市に住んでいた時ですが駅から徒歩10分のマンションでしたが、ある日腰痛で苦しんでいた時の事。私は休むに休めなく研修日でしたのだ腰痛を我慢し駅に向かって歩いていたら、やはり?ダメでした。思わずガクッときた!と思った瞬間、地面に這いつくばってしまったのです。通勤時間帯でしたので多くの方が私の側を通り過ぎるのですが何度、声をかけられたことか『にいちゃん!大丈夫か?』と。中には『俺が駅までおぶって行ったろか?』とか。
下町の温かさ(^-^)でも言葉だけで充分です。
みんな通勤してますもん。するとね。丁度、向かいにあったタバコ屋のオッチャンが『にいちゃん!救急車、呼んだったからな!もう少し頑張りや!』私は這いつくばったままの姿で『ありがとうございます!』😊と。数分後、私は近鉄八尾駅前の病院へ運ばれ病院から支社へ連絡。研修欠席を伝える事が出来ました。だって!携帯なんか無い時代でしたから。下町で柄が悪い!と言われてる河内ですが人情は深い街なのです。
子供の教育に進学は大切な条件かも知れませんが人として温かい人間へと育む環境も大切なことでは無いかなぁ(^-^)
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子供は親を選んで生まれてきます( ゚д゚)

2017年07月24日 13時13分37秒 | スピリチュアル
昨夜、長女から電話がありました。
彼氏のこと、仕事のことなどなど(^-^)
そんな雑談の中で
『病院行ってきた。』ポツリと。
彼氏の赤ちゃんが流れてから病院に行ったとこことでした。先生は女医さん。
中を見てもらったそうで
『次の生理が来そうね。』洗浄と処方箋をもらったそうですが先生から
『赤ちゃんはね。残念だったけど決して自分を責めたらあかんよ。今回は赤ちゃんが身を引いただけ。貴方が悪いわけじゃないの。とにかく彼氏と仲良くしたら、また来てくれるから。』と言ってくれたそうです。
長女は長女なりに産みたかったそうです。
なんで?生理不順で2年近くも避妊もしなかったのに?何故?このタイミングで来てくれたのか?
そして何故流れたのか?長女なりに考えているそうです。『お父さんは、どう思う?』
私はストレートに返しました。赤ちゃんは親を選んで生まれてくること。そして一旦は、長女と彼氏の間の子として選んで生まれるつもりだったけど、生まれる事でパパとママを幸せに出来ないから、やっぱりやめたんじゃないかな?赤ちゃんの本当の気持ちは長女と彼氏が死んだら迎えに来てくれて『あの時の妊娠は私です。』って。
そして、その時の本当の気持ちを教えてくれるよ。と。長女は『そんなん。死んでからじゃ意味ないやん!』大切なのは今回の事を赤ちゃんの目線で彼氏と話をすることが大切じゃないかな?
長女はわかったのか?わからなかったのか?
長女のお腹に命が宿ったとき、未だ魂はおりていません。でも空の上から、その魂は見ていたのでしょう。その後、私は夢を見たのです。砂浜の穴の中に赤ちゃんが、何故か穴の中は水で溢れていました。場面が変わって今度は少し離れた所から私は見ていて、いつのまにか穴の側で、オカッパ頭の女の子が砂で穴を埋めていたのです。
『あ!赤ちゃんが死んでしまう!』そう思った私は急いで穴へ行き穴の中から赤ちゃんを助け出したのですが、赤ちゃんは寂しそうに私を見つめました。そこで夢から覚めたのですが、その事を再び長女に話をしました。
そして長女に『彼氏と、もう一度仲良くすることと、今ある高級ブランド品を売ってしまう事。断捨離。新しい物を入れるには古い想いを捨てないと新しい想いは入らないよ。』長女は黙ったままでした。ブランド品にのめり込んだ長女の心は多くのものを失っています。それに気づいて欲しい。それから赤ちゃんが何故、この世へと生まれる事をやめてしまったのか?彼氏と話し合いをして欲しいなぁと。思う今日この頃です。
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結婚式でお祝いスピーチ(^-^)

2017年07月24日 09時17分18秒 | わが半生
結婚式(^-^)
いいもんです(^-^)幸せをお裾分けして頂ける気持ちになりますね。
ここ数年
結婚式に出る事はなくなりました。
思えば会社に勤めた頃はよく出席させてもらぅたもわです。
来賓の挨拶(^-^)何度となくさせて頂きましたが何度もやっても緊張感は半端ありません。
まずは考えた事を文字にして、そして暗記。
暗記したも棒読みは失礼なので自分の気持ちを込めて時に身振り手振りも交え長くもなく短くもない挨拶(^-^)
私は3分と決めていました。
結婚式前日には妻の前でスピーチをして時間を測ってもらって(^-^)
一番の思い出は札幌のホテルでのスピーチ。
新婦側の来賓として。
ところが?2日ほど前だったと思います。
持病の腰痛が!( ゚д゚)
え?え?なんで?とにかく整形外科へ行きまして注射と痛み止めを処方されましたが歩くと?
ん?やっぱり『痛い!』そして結婚式当日の朝。
痛みは少し治り歩けるには歩けるけど?思いっきり腰をかばいながら新札幌駅にある結婚式会場のホテルへと向かいました。
ロビーで挨拶のスピーチをブツブツと呟き暗唱していると1人の部下が私のかけていたソファに座ると声をかけてきました。
『緊張感します?スピーチ。』私は『大丈夫。なんやけど腰痛がね。』思わず言ったりしたもんだすから部下は心配して『大丈夫ですか?スピーチの途中で倒れないでください!』そんな会話も束の間。いよいよ会場へ行こうとソファから席を立った途端、ビシッ!あ!あ!私は部下の肩を借りながら会場へと向かったのです。
会場は穏やかな幸せの空気に包まれ新婦の同僚や友人、親族の方々が既に席に座っていました。
『もう大丈夫だから。』部下に、ありがとうと一言って肩から手を離し自力で自分の席に精一杯、痛みをこらえて向かいました(-。-;
(ホンマ、大丈夫かいな?)席から数メートル先のマイクの場所まで歩けるだろうか?と。
北海道の結婚式は、とにかく大勢の方々が来られるんです。お祝いも会費制で全員同じ。その日は確か11000円でした。会場は広く200名くらいの来賓客です。え?こんな?大勢の前で話すの?私は腰痛と緊張感ばかり。北海道でのスピーチは初めてだったのです。
式が始まり、司会者は慣れた話し方で進行が始まると頭の中はスピーチの事で頭はいっぱい(-。-;
とにかく200人程の方々の前で話す???
もう腰痛の事はスッカリ忘れていました。
新郎側のスピーチが終わり、いよいよ私。
『それでは次に新婦側のお祝いのスピーチ•••』紹介され席を立ったとき?不思議と腰痛もなく、と言いますか全く忘れていたのです。マイクの前に立ち3分間。妻と何度も時間を計っていましたので長くもなく短くもなく(^-^)
無事、スピーチを終えて席に戻ると隣に座っていた部下が『マネージャー、腰?大丈夫みたいでさね。』と言われ、???『あれ?ほんまや!』なんと腰痛は治りました。『これも幸せのお裾分けかもな。』私は部下に言いました。
そして結婚式の披露宴は活況の中、無事に滞りなく終わりました。北海道では引き出物はありません。ケーキと確かスプーンだったかな?それを頂いてJR新札幌駅へ向かうと、ふと前に歩いている和服の女性。その子は新婦の同僚でした。
私は声をかけて『駅まで一緒に行こう。』と誘いました。その子は新札幌駅から岩見沢へ帰るので札幌までは一緒に帰ることに。
雑談をしていると?突然『来年、私も結婚するんです(^-^)マネージャー!私の結婚式もお祝いスピーチお願いします(^-^)』と言うので『おめでとう〜!そうなんや。でも?俺、転勤してるかもな。』と返すと『じゃあ、転勤先から来てくださいね。だってマネージャー、今日のスピーチ、とても素敵でしたから。』思わぬ誉め言葉に照れてしまいましたが心の中では嬉しかったのです。
もう16〜17年前くらいのことでした。
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