今日は3月11日。東日本大震災が起こってから、3年が経ちました。という事は、僕がプチ避難生活が始まった時から、3年が経過した…という事でもあります。
あの日は、もちろん仕事中でした。1階での作業が一段落して、2階に戻って来て椅子に座り、ラジオのスイッチを入れました。
通常。仕事場のラジオは、地震が起こった時にすかさず情報が聞ける様にと、NHKにあわせてありました。
あの日もラジオのスイッチを入れたら、ちょうど国会中継が放送されていました。と、すぐさま。ラジオから緊急地震速報のチャイム音が。
すぐさま自分の携帯を注視。ならない事を確認したので「地元では揺れは小さいのかな?」と判断しました。
確かに、最初の揺れは小さいものでした。それがどんどん大きくなって来て、そして揺れが収まりかけて来たかな?と思った瞬間!更に大きい揺れが来ました。
その時の、自分の視界に映るものの揺れ方・動き。そして、壁を叩くフォークリフト作業で使うパレットがぶつかる音・・・忘れません。
自分は、幸い3ヶ月ちょっとの「プチ避難生活」で済みました(それでも、大家さんとの駆け引きは大変でしたよ…)
それでもね、生活する場所が突然変わるのって、凄いストレスになるのです。被災者の方々は、そんな生活を3年も続けてきたのですよね。しかも「まだ」終わらないのです…。
マスコミなどの報道では「記憶が風化してきて…」などと良く聞く様になりました。しかし人間は、辛い事をいつまでも引きずる事は出来ない生き物かもしれません。
それでは、長い人生を生きて行く事は出来なくなるのではないかな?と思うのです。日本人は、自然災害の「最前線」で生きているのです。
震災時の秩序ある行動や、パニックや暴動を起こさない…という事を、海外では驚いている様です。
日本人は、災害と隣り合って生きて来ているので、辛い記憶は薄れてきても、一番「日本人として」大切な部分は引き継がれて来ている様な気がしてなりません。
震災から「まだ」3年です。考え様によっては、今が1番辛い時なのかもしれません。本当の意味の「復興」が来るその日まで、まだ時間がかかりそうです。
あの日は、もちろん仕事中でした。1階での作業が一段落して、2階に戻って来て椅子に座り、ラジオのスイッチを入れました。
通常。仕事場のラジオは、地震が起こった時にすかさず情報が聞ける様にと、NHKにあわせてありました。
あの日もラジオのスイッチを入れたら、ちょうど国会中継が放送されていました。と、すぐさま。ラジオから緊急地震速報のチャイム音が。
すぐさま自分の携帯を注視。ならない事を確認したので「地元では揺れは小さいのかな?」と判断しました。
確かに、最初の揺れは小さいものでした。それがどんどん大きくなって来て、そして揺れが収まりかけて来たかな?と思った瞬間!更に大きい揺れが来ました。
その時の、自分の視界に映るものの揺れ方・動き。そして、壁を叩くフォークリフト作業で使うパレットがぶつかる音・・・忘れません。
自分は、幸い3ヶ月ちょっとの「プチ避難生活」で済みました(それでも、大家さんとの駆け引きは大変でしたよ…)
それでもね、生活する場所が突然変わるのって、凄いストレスになるのです。被災者の方々は、そんな生活を3年も続けてきたのですよね。しかも「まだ」終わらないのです…。
マスコミなどの報道では「記憶が風化してきて…」などと良く聞く様になりました。しかし人間は、辛い事をいつまでも引きずる事は出来ない生き物かもしれません。
それでは、長い人生を生きて行く事は出来なくなるのではないかな?と思うのです。日本人は、自然災害の「最前線」で生きているのです。
震災時の秩序ある行動や、パニックや暴動を起こさない…という事を、海外では驚いている様です。
日本人は、災害と隣り合って生きて来ているので、辛い記憶は薄れてきても、一番「日本人として」大切な部分は引き継がれて来ている様な気がしてなりません。
震災から「まだ」3年です。考え様によっては、今が1番辛い時なのかもしれません。本当の意味の「復興」が来るその日まで、まだ時間がかかりそうです。
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