南野島男のGood Times

日常感じたことを面白おかしくエッセイ風に書きつづります。
これぞ笑いと勇気の玉手箱!

さよなら大鵬

2013-01-20 23:14:10 | Weblog
昭和の星がまたひとつ消えた。
日本相撲界の宝というべき大鵬が亡くなられた。
巨人大鵬玉子焼きという言葉は昭和史に残る流行語で、今時の流行語大賞などとは比べものにならないほど日本中に浸透していた言葉であった。大鵬の32回優勝という記録は未だに破られることのない大記録ではあるが、それ以上に大鵬というお相撲さんの人気を超えるお相撲さんはまず出てこないんじゃないかなと思う。横綱は強けりゃいいというもんじゃない。品格も実力も兼ね備えていなければ本当の横綱とは呼べない。それは土俵上の戦いぶりから土俵以外の言動まで全てに渡っての人間性が問われるのである。大鵬はその全てににおいて横綱の中の横綱であったと思う。その上あのイケメンだから人気が出ないはずがない。
当時は柏鵬時代と言われライバルの柏戸も立派な横綱であったが、何かいつもしょっぱそうな顔をした柏戸はあんまり好きにはなれなかった。
子供の頃は僕も大鵬に憧れて本気で大きくなったらお相撲さんになろうと思っていた。夕方になるとNHKの大相撲中継のテレビにかじりついて聞こえもしないのに大鵬!大鵬頑張れ!と叫んでいたものだった。あの頃はまだテレビもカラー放送ではなくて白黒だったし、VTRもない時代だったから分解写真でもう一度とアナウンサーが先ほどの取り組みを解説していた。その分解写真での模様をよく友だちと真似してコマ送りの動きをやって大鵬の投げるところを再現していたのを覚えてる。
今のような写真判定が導入されてなかったために結構誤審もあったはずである。誤審により連続優勝の記録が途絶えた時も大横綱大鵬は文句一つ言わず判定を認めた。たぶんあれが朝青龍なら判定を不服としてちゃぶ台じゃなく土俵をひっくり返しかねない怒り方をしていたかもしれない。
僕にとってのヒーローは力道山であり、王長嶋であり、大鵬であった。ヒーローはあくまでテレビの中の存在であり、手に届かない会えるはずのない憧れであった。大学生になった二十歳の頃その憧れのヒーロー大鵬に一度だけ僕は会うことになった。大鵬はもうその時は引退して大鵬親方と呼ばれている時代だった九州場所での出来事。僕はNHK大相撲中継のアルバイトで当時の九州場所が行われた九電体育館に行ってた時、たまたまトイレに行って用を足していたら隣にえらく大きな人が立って用をたしているではないか。こんな大きな人誰だろうと見上げたら何と大鵬だった。思わず僕はオシッコが止まってしまうくらい驚き感動した。憧れの大鵬が今隣でならんでオシッコしている、これは紛れもない事実だ、歴史に残る出来事だ、これが感動せずにいられる訳がない。心の中で大鵬や!と叫んだ。
トイレを出る時に軽く会釈をしただけだったがこちらを見た大鵬は微笑んでくれた気がした。
引退して親方になってる大鵬はちょんまげもまわしもしてはいなかったけど、僕の目には小学生の頃憧れていた頃の大鵬があの頃の姿で映った。わずか60秒ほどの突然の出来事だったけど僕の中では一生忘れられない思い出となることができた。
昭和の巨星が、そして僕のヒーローがまたひとつ消えて行った。
大横綱大鵬のご冥福を心よりお祈りいたします。