毎朝更新の携帯ブログ

全館輻射熱冷暖房住宅システムの開発者・福地建装・代表取締役会長
福地脩悦の毎日更新の携帯ブログです。

運命と生命…北斗市~函館~東京~平塚市

2007年12月27日 23時45分53秒 | Weblog
北海道から津軽海峡を渡る連絡船に乗り18時間かかって東京に上野に着いたのは、昭和42年、私が21歳の時でした。中卒で飯場暮らしのトビ職となり19歳で独立して21歳の時に上京して今の福地建装をつくりました。仲間を呼ぶにも住むところも無く、当時大学生だった、幼い時から親友でもあった小川徹雄君が春休みを利用して東京から迎えに来てくれました。私より一歳年上で彼は東京外国語大学の学生でした。

彼と上京して千葉県市川市本八幡駅の近くに4畳半一間の4連続きのアパートを借り、それから5人の仲間を呼び寄せ、仲間が上京するまでの一週間、彼と一緒にそのアパートで自炊や自立する準備を行ったのでした。
彼は大学卒業後、建設機械メーカーに就職し、フランス語と英語が堪能、その語学を生かしてアメリカ支社に駐在するため渡米しました。十年近くの期間、アメリカに住んでおりましたが、両親の希望と、国内の乳幼児用品メーカーの要請を受け入れて帰国しました。

元々、努力家だった彼でしたが、途中採用のハンデを乗り越えて順調に成果を残し、管理職から取締役になり一部上場企業の専務にまで登り詰めました。
順調に人生航路をステップアップする彼と異なり、トビ職家業から建築の仕事にシフトしたものの、一進一退の苦難を辿っておりました。何とか企業としての形を為してきたのですが、小川徹雄君とは何度も企業経営について議論を交わした事があり、現在に至るまでに彼の影響はとても大きいものがありました。

彼は今年の3月まで専務の現役でおりましたが、後進に道を譲ると言ってリタイヤし、週2回の出勤体制で残りの日々を平日ゴルフ三昧を楽しんでおりました。
今年の6月に彼と電話で話が弾み、語学の得意な彼と一緒にインドとエジプト旅行を挙行しようと話をしたばかりでしたが、その彼が8月の健康診断で自覚症状もないままに膵臓ガンの末期だと告げられ、今月になって入院し、あっと言う間に亡くなったと言う事です。
直接、医師からガン末期を宣告され、自らが死を迎えるためにホスピスに入り、死の寸前まで家族に対して早く逝く事の無念さを語っていたそうです。
誰よりも彼自身が無念だったでしょう…更に常に傍にいたご家族も辛いかった事でしょう…そして私も無念さが…

諸行無常と言いますが人生ってあまりにも無情なものです。
彼の遺影など見たくもなかったのですが…
神奈川県平塚市の自宅に祀られた英霊に合掌し、彼の生前の偉業を称え、受けた恩恵にお礼を申し上げて来ました。人の寿命は年齢どおりなどでありません。

「毎日を悔いなく充実した日々を送りなさい」と、遺影となった彼が言っているようです。彼はいつまでも心の中に生きています。
彼の奥さんの、娘さんの、息子さんの、私の心の中に…

写真は彼が毎日、通った平塚駅の夜を撮りましたが、夜の灯りも沈んで見えてしまいます。
仕事納めの明日は都内で仕事をし、夕方のフライトで北斗市の本社に戻ります。
毎日更新「一日ひと知識」をどうぞ参考に
ブログ総集編
北斗市周辺にお住まいを考えの方は