『被爆から10年後(12歳)に発病した佐々木禎子さんは、「鶴を千羽折れば幸せがやってくる」と知り、回復を願って鶴を折り続けましたが、9か月の闘病生活の後帰らぬ人に・・・。
この死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰め、平和を築くための像を作ろうという運動が始まり、全国からの募金で「原爆の子の像」が完成しました。』(パンフより)
ここには、他の場所にもまして多くの人が訪れ、千羽鶴を奉納している人たちも、複数いらっしゃいました。
私達も、折ってくれば良かったと思いましたが、後の祭りです。
急なスケジュールによる準備不足は、否めません。
■建立年月日:1958(昭和33)年5月5日
「これはぼくらの叫びです
これは私達の祈りです
世界に平和をきずくための」
(※この像の真下の石碑に刻まれた言葉)