鷲峰山(じゅぶさん)高台寺は、臨済宗建仁寺派だそうです。
入口でいただいたパンフによると、
『東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が、慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年7月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめたという。
しかし寛永元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋(おたまや)、傘亭(かさてい)、時雨亭(しぐれてい)、表門、観月台等で現在国の重要文化財に指定されている。
尚豊臣秀吉夫人(北政所)は、天正16年(1588)に従一位に叙せられ、慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り、寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。』
入口でいただいたパンフによると、
『東山霊山(りょうぜん)の山麓、八坂法観寺の東北にある。正しくは高台寿聖禅寺といい、豊臣秀吉没後、その菩提を弔うために秀吉夫人の北政所(ねね、出家して高台院湖月尼と号す)が、慶長11年(1606)開創した寺である。寛永元年7月(1624)建仁寺の三江和尚を開山としてむかえ、高台寺と号した。造営に際して、徳川家康は当時の政治的配慮から多大の財政的援助を行ったので、寺観は壮麗をきわめたという。
しかし寛永元年(1789)以後、たびたびの火災にあって多くの堂宇を失い、現在残っているのは旧持仏堂の開山堂と霊屋(おたまや)、傘亭(かさてい)、時雨亭(しぐれてい)、表門、観月台等で現在国の重要文化財に指定されている。
尚豊臣秀吉夫人(北政所)は、天正16年(1588)に従一位に叙せられ、慶長8年(1603)に後陽成天皇より高台院の号を賜り、寛永元年(1624)9月6日、76才で亡くなられた。』