どこでも咲いているハハコグサ。母と子ではなく「全体を覆う白い綿毛が「ほおけ立つ」ことから、かつてはホオコグサと呼ばれていた」という名前の由来は納得である。それでも母子草という名前ゆえに、俳句の世界では好まれた。「老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子」。「いつまでも子なき妻かや母子草 遠藤緑雨」は少し寂しいか。
(2020-04 川崎市 道端)
ハハコグサ [母子草]
花の色 黄
開花時期 4月 、 5月 、 6月
誕生花3 月 1日花言葉無償の愛
花の特徴 黄色い小さな花がつぶつぶになって固まって咲く。 花(頭花)は真ん中にある筒状の両性花と、周りにある糸状の雌花からなる。
葉の特徴 葉はへら形で、互い違いに生える(互生)。
実の特徴 花の後にできる実はそう果(熟しても裂開せず、種子は1つで全体が種子のように見えるもの)である。
この花について 属名の Gnaphalium はギリシャ語の「gnaphallon(フェルト)」からきている。 種小名の affine は「近似の」という意味である。
その他 春の七草の一つ御形(ゴギョウ・オギョウ)はこの花のことである。 若い葉や茎は食べられる。 今の草餅の材料は蓬(ヨモギ)だが、以前は母子草(ハハコグサ)が使われていたという。 全体にビロード状の白い綿毛がある。 和名の由来であるが、全体を覆う白い綿毛が「ほおけ立つ」ことから、かつてはホオコグサと呼ばれていた。それがハハコグサに変化したという。俳句の季語は春である。
母子草焦土は今も草の底 田川飛旅子
母子草山々人の世を離れ 飯田龍太
目鼻寄せ羅漢が笑ふ母子草 有馬籌子
母子草跼めば影に入りにけり ながさく清江
母子草やさしき名なり莟もち 山口青邨
老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子
菩提寺へ母の手を引き母子草 富安風生
百歩にて返す散歩や母子草 水原秋櫻子
老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子
母子草母居る時の我が家好き 岡林知世子
母子草なりの小さき絮とばす 田畑美穂女
笑ひこらへし叱り羅漢や母子草 福田万紗子
母子草咲く登呂人の炉址かも 岡田貞峰
島どこもばつてん訛り母子草 川村哲夫
目鼻寄せ羅漢が笑ふ母子草 有馬籌子
石仏の嘆き聞く日ぞ母子草 秋元不死男
風雪に耐えてなぞへの母子草 吉井初枝
母子草母となりても母恋し 宮尾 寿子
母子草一束ねして活けられし 寺岡 小夜子
花御堂花の卍は母子草 河野静雲
母子草咲いて仏母の日なりけり 伊藤虚舟
母子草空真青にかたまれり 上野好子
母子草跼めば影に入りにけり ながさく清江
母在りし日には見ざりき母子草 矢島渚男
女坂に向くひと叢の母子草 河野多希女
菩提寺へ母の手を引き母子草 富安風生
母子草やさしき名なり莟もち 山口青邨
父と子の暮しに慣れて母子草 五十島典子
母子草利根の船路はすたりける 水原秋桜子
老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子
娘の胸の少しふくらむ母子草 中村真由美
闇のほか土偶は知らず母子草 柴田三津雄
薄ら日や風に安らぐ母子草 田川美枝
母子草山々人の世を離れ 飯田龍太
母子草かなしき穂綿あげにけり 山崎保翠
いつまでも子なき妻かや母子草 遠藤緑雨
母子草咲く登呂人の炉址かも 岡田貞峰
母子草やさしき名なり莟もち 山口青邨
老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子
遺伝子のやさしさうにも母子草 後藤立夫
引きのこしおきたる母子草咲けり 黒田杏子 木の椅子
母子草浦波荒びそめにけり 黒川龍吾
老いて尚なつかしき名の母子草 高濱虚子
千代田城天守閣跡母子草 坂本蓬子
まだ起伏残る在所の母子草 松下康雨
我ら知らぬ母の青春母子草 寺井谷子
引きのこしおきたる母子草咲けり 黒田杏子
火に焦げし土よ春なる母子草 右城暮石 声と声
獄遠く近き日曇る母子草 古沢太穂 古沢太穂句集
梅雨屋上に汝が青年母子草 古沢太穂 古沢太穂句集
母子草幾日も経て声に出す 和知喜八 同齢
母子草うなずく海風蜥蜴の手話 八木三日女 石柱の賦
小ひさきは女人の墓か母子草 稲垣きくの 黄 瀬
母子草墓地買ふ人の来て佇てり 長谷川かな女 花寂び
雨となる雲沖に出て母子草 長谷川双魚 風形
母子草壁間のそれ踏絵かや 下村槐太 天涯
老いて尚なつかしき名の母子草 高濱虚子
あまたたび家出で立ちぬ母子草 池田澄子
法然の国に来てをり母子草 大峯あきら
母子草能に泣きたる帰り道 田川飛旅子
母子草灯下に光る夜を大切に 田川飛旅子
ごぎやうはこべらそれから先の戦かな 藤谷和子