ツイッターのトレンドに「美術館女子」というワードが現れました。
はて?何のことだろう?と思うのと同時に、なんでもかんでも〇〇女子だとか〇〇男子だとかつけて、アイデアも乏しいしい、そもそも男女を分ける必要あるの?という気持ちでいっぱいになりました。
案の定、このワードに対して批判的な意見が多くあり、そもそもの企画に対しても、美術館を愛する人たちからかなりの不評を買っているようでした。
※ここでは、この企画の意図や主旨の説明は割愛します。興味のある方は、検索してみてください。
時代錯誤?
そもそも、アイデアを出す人とそれに賛成する人たちの意識に
「男はこうあるべき」
「女はこうあるべき」
という、決めつけがあるから、そういった残念なタイトルしか思い浮かばないのかもしれません。
かくいう私も、子どもの頃から、
「女の子なんだから、こうしなさい」
「女の子が、これをしてはいけない」
と、母や周りの人たちから言われながら育ちました。
ただ、不思議なことに父親からは言われた記憶が全くなく、どちらかというと当時は男子が得意と思われがちなことを、父から教わることが多かったような気がします。
父にしてみたら、ただ自分の知識や技術を、我が子に伝授していただけなのかもしれませんが、おかげで性別によって言動を制限されることに、疑問を持てるようにはなったかと思います。
しかし、母は違っていて、母方の祖父母がまさに「女の子は、こうあるべき。男の子は、こうあるべき」という教育をしてきた人たちですから、母も娘である私に対して、同じように言っていましたね。
そして、見事に母の考え方に違和感や嫌悪感を抱く娘が育ちました(笑)
「料理男子」「家事男子」「イクメン」もそろそろやめよう?
「美術館女子」というワードですが、そもそも美術館というパブリックスペースに性別を表す言葉が付いていることが、違和感を覚える最大の原因だと感じました。
このワードに、どういう意図があるのかわからない時点で、美術館はそもそも老若男女が楽しむことができるような場所であるはずなのに、わざわざなぜ「女子」を付けるのか?と、いちばん最初に感じましたね。
その後、発信元をたどれたので、コンセプトを追ってみると、これもまた美術館を何だと思っているのかな、と思わざるを得ない内容でした(苦笑)
ざっくりいうと、美術館を「モノ」扱いしている上に、美術館の本来の目的がなおざりになっている企画でした。
よくわからないのですが、その発信元は某新聞社で、新聞社は美術展の主催企業や協賛企業になっていることが多く、美術館にもっと足を運んでもらうための企画であるのかな、と推測しています。
ただ、方向性は間違っていると思いました。
美術館への集客を増やしたいのであれば、美術館で展示されている美術品や企画展のすばらしさを伝えなければいけないのに、箱としての魅力しか強調していない点と、わざわざ女子に呼びかけている点で、美術館の魅力が雑に紹介されてしまっていると、個人的には感じました。
少し、話が脱線しましたが、美術館にはたくさんの人々が集まりますから、わざわざ「女子」を集める必要性は全くないのですよね。
美術や芸術に魅力を感じるのは、そういう感性を持っている人ですから、性別も年齢も関係ないのですよ。
同じように、私は以前からとても違和感を抱く市民講座がありました。
それは「料理男子の〇〇(〇〇にはメニュー名が入る)」という講座です。
定期的に開催されるその講座ですが、実は男女共同参画を主とした活動をしている団体が主催していて、その料理教室企画では、参加者を男性に限定しています。
参加者を男性に限定していること自体は、それもありかな、と思っています。
なぜなら、それこそ私のように「女子は、男子は...」と育てられた家庭の男性だと、料理を覚えたくても覚えさせてくれなかったかもしれませんから、料理を習う入り口として、男性限定の料理教室は存在してもいいと思います。
また、女性が多い中に男性が数名という状況だと、料理に慣れた女性に気後れしてしまい、講座を楽しめない可能性もありますからね。
ただ、講座名に「男子」を付ける必要があるだろうか?というところが、ずっと引っかかっています。
ここで、私の中では「美術館女子」への違和感と、「料理男子」への違和感が一致します。
料理は、自分が食べて美味しいと感じるメニュー、あるいは以前食べて美味しかったメニューがあり、それを自分で再現できたらいいな、と思う気持ちが、料理教室や講座への参加という行動に繋がります。
美術鑑賞も、テレビや図録などで見て魅力的に感じた作品を、実際観てみたいという気持ちから、美術館や展示場へ足を運ぶ行動を起こすことになります。
どちらも、嗜好や経験が大きく作用する行動だと思うので、その魅力を肌で感じたい人が集まれるような企画にすべきだと思うのに、わざわざなぜ参加する人の性別を強調するのでしょうか?
好きな人が集まる、それではいけないのでしょうか?
老若男女関係なく、好きなモノは好きだし、嫌いなモノは嫌いです。
それを、なぜ性別で呼びかけたり区別してしまったりするのか、私には理解ができません。
「美術館女子」に反応を示した人たちは、女性軽視だ美術館軽視だ、という人も多く見受けられましたが、同じように「料理男子」も男性を軽視しているように思えます。
もし、男性にも料理や家事を積極的にしてもらいたい、という主旨なのであれば、料理教室や家事講座は逆効果だと思うのですよね。
だって、料理も家事も「やってみたい」「やりたい」と思う人しか、教室や講座には参加しませんから。
家事、料理は全て女性に任せるのが当たり前だと思っている人は、企画に「男子」を付けたって、見向きもしないと思うので、むしろ違う企画やタイトルで人を集めた方が効果的だと思います。
自分も気をつけたいことではある
私は、性別で行動を制限されることを不快に感じますが、もしかしたら、私が知らず知らずのうちにしている言動に、そういう性質を含んでいる可能性は、否定できません。
先ほども綴りましたが、私の母は私に対して「女の子だから」「女の子は」という躾と教育をしてきました。
私が大人になった今では、母は性別云々を超えて、差別的な考え方を発することも増えてきました。
いわゆる「老害」と表現される思考です。
母が育ったバックグラウンドを考えると、致し方ない部分もあるのですが、差別的な言葉が出る度に母を諭すのは、正直言って疲れます(苦笑)
例えば、小さい子ども連れの母子を見かけると、母親はこうしなきゃいけない、と私に言ってきますが、私は母に対して、母親に責任のすべてを負わそうとするその考え方はおかしいよ、と言ってきました。
また、外国人が事件を起こせば「外国人だから」といったことを言うので、私は「悪いことをする人間に、国籍は関係ない」と返します。
そして、最終的にはそういった発言は、頼むから私以外の人には言わないように心がけてくれ、と頼みます。
もっとも、母は何が悪いのかを理解していない節があるので、とても悩ましいのですが...
しかしながら、私にも結果的に差別につながる言動を、無意識のうちにしていることがあるかもしれません。
最近は、自分でも意識改革が進みつつありますが、自分が置かれたことのない状況下では、知識や認識の浅さから、悪びれることなく差別的な言動をしていたこともあるはずです。
もちろん、自分を肯定する気は全くないし、そういった言動をしていたかもしれない、と気が付いたときから、以後言動には気を付けて行動しています。
そして、もしも、私が何かを企画する際は「女子」「男子」といった枕詞を選ぶようなことはせず、広く興味を持ってもらえるような企画名を採用したい、そんなことを考えました。
女性限定じゃなくてもいいと思う今日この頃
イベントの内容によっては、危険を回避するために、女性限定や男性限定があってもいいと思いますが、基本的に「レディースデイ」というサービスは、要らないと思っています。
例えば、映画館はファーストデイ、レディースデイ、メンズデイ、シニアデイ、障がい者デイ、ジュニアデイ、会員限定割引と、お得に観られるサービスがありますが、私個人としては、レディースデイとメンズデイは必要ないと思っていて、その分違うサービスを考えたらどうだろう、と思います。
また、飲食店でのレディースセットも、サービス名とサービス対象者を考え直した方がいいような気がしています。
理由としては、男女に関係なく、食べる量や好みは人それぞれですし、わざわざレディーのことを考えたセットメニューを用意するのではなく、分量を変更できるサービスを実施したほうが、現代のニーズには合っているように思うからです。
同じように、お子様ランチも微妙だと思っています。
これも、料理の分量を「少なめ」「普通」「多め」などを設定して、子ども自身にメニューを選ぶ権利を与えてあげてほしいです(笑)
お子様ランチって、内容が偏りすぎてて、今の時代に合っていない気がしますから。
性別や年齢による限定サービスは、時に利用を躊躇ってしまう内容だったりします。
自分が対象者だったとしても、その内容をサービスされるよりは、他のサービスを受けたい、と思うことは、割と多かったりするのですよね。
今の時代、性別や年齢によるサービスに関しては、ニーズに対して再考する必要が出てきつつあるのかもしれませんね。
今回は、なんだか堅苦しい内容をダラダラと綴ってしまいました。
「なんとか女子」や「なんとか男子」は、10年くらい前まではいいアイデアだったと思うのですが、今はいかに男女が協力して一緒に物事を進めていくか、に意識が移りつつあると思いますし、またそうすべきだとも思います。
まだ、世の中には男女の役割を決めつけている人は、決して少なくはありませんから、できることなら、いろいろな企画は男女が同じように楽しめる内容であってほしいな、と思います。
はて?何のことだろう?と思うのと同時に、なんでもかんでも〇〇女子だとか〇〇男子だとかつけて、アイデアも乏しいしい、そもそも男女を分ける必要あるの?という気持ちでいっぱいになりました。
案の定、このワードに対して批判的な意見が多くあり、そもそもの企画に対しても、美術館を愛する人たちからかなりの不評を買っているようでした。
※ここでは、この企画の意図や主旨の説明は割愛します。興味のある方は、検索してみてください。
時代錯誤?
そもそも、アイデアを出す人とそれに賛成する人たちの意識に
「男はこうあるべき」
「女はこうあるべき」
という、決めつけがあるから、そういった残念なタイトルしか思い浮かばないのかもしれません。
かくいう私も、子どもの頃から、
「女の子なんだから、こうしなさい」
「女の子が、これをしてはいけない」
と、母や周りの人たちから言われながら育ちました。
ただ、不思議なことに父親からは言われた記憶が全くなく、どちらかというと当時は男子が得意と思われがちなことを、父から教わることが多かったような気がします。
父にしてみたら、ただ自分の知識や技術を、我が子に伝授していただけなのかもしれませんが、おかげで性別によって言動を制限されることに、疑問を持てるようにはなったかと思います。
しかし、母は違っていて、母方の祖父母がまさに「女の子は、こうあるべき。男の子は、こうあるべき」という教育をしてきた人たちですから、母も娘である私に対して、同じように言っていましたね。
そして、見事に母の考え方に違和感や嫌悪感を抱く娘が育ちました(笑)
「料理男子」「家事男子」「イクメン」もそろそろやめよう?
「美術館女子」というワードですが、そもそも美術館というパブリックスペースに性別を表す言葉が付いていることが、違和感を覚える最大の原因だと感じました。
このワードに、どういう意図があるのかわからない時点で、美術館はそもそも老若男女が楽しむことができるような場所であるはずなのに、わざわざなぜ「女子」を付けるのか?と、いちばん最初に感じましたね。
その後、発信元をたどれたので、コンセプトを追ってみると、これもまた美術館を何だと思っているのかな、と思わざるを得ない内容でした(苦笑)
ざっくりいうと、美術館を「モノ」扱いしている上に、美術館の本来の目的がなおざりになっている企画でした。
よくわからないのですが、その発信元は某新聞社で、新聞社は美術展の主催企業や協賛企業になっていることが多く、美術館にもっと足を運んでもらうための企画であるのかな、と推測しています。
ただ、方向性は間違っていると思いました。
美術館への集客を増やしたいのであれば、美術館で展示されている美術品や企画展のすばらしさを伝えなければいけないのに、箱としての魅力しか強調していない点と、わざわざ女子に呼びかけている点で、美術館の魅力が雑に紹介されてしまっていると、個人的には感じました。
少し、話が脱線しましたが、美術館にはたくさんの人々が集まりますから、わざわざ「女子」を集める必要性は全くないのですよね。
美術や芸術に魅力を感じるのは、そういう感性を持っている人ですから、性別も年齢も関係ないのですよ。
同じように、私は以前からとても違和感を抱く市民講座がありました。
それは「料理男子の〇〇(〇〇にはメニュー名が入る)」という講座です。
定期的に開催されるその講座ですが、実は男女共同参画を主とした活動をしている団体が主催していて、その料理教室企画では、参加者を男性に限定しています。
参加者を男性に限定していること自体は、それもありかな、と思っています。
なぜなら、それこそ私のように「女子は、男子は...」と育てられた家庭の男性だと、料理を覚えたくても覚えさせてくれなかったかもしれませんから、料理を習う入り口として、男性限定の料理教室は存在してもいいと思います。
また、女性が多い中に男性が数名という状況だと、料理に慣れた女性に気後れしてしまい、講座を楽しめない可能性もありますからね。
ただ、講座名に「男子」を付ける必要があるだろうか?というところが、ずっと引っかかっています。
ここで、私の中では「美術館女子」への違和感と、「料理男子」への違和感が一致します。
料理は、自分が食べて美味しいと感じるメニュー、あるいは以前食べて美味しかったメニューがあり、それを自分で再現できたらいいな、と思う気持ちが、料理教室や講座への参加という行動に繋がります。
美術鑑賞も、テレビや図録などで見て魅力的に感じた作品を、実際観てみたいという気持ちから、美術館や展示場へ足を運ぶ行動を起こすことになります。
どちらも、嗜好や経験が大きく作用する行動だと思うので、その魅力を肌で感じたい人が集まれるような企画にすべきだと思うのに、わざわざなぜ参加する人の性別を強調するのでしょうか?
好きな人が集まる、それではいけないのでしょうか?
老若男女関係なく、好きなモノは好きだし、嫌いなモノは嫌いです。
それを、なぜ性別で呼びかけたり区別してしまったりするのか、私には理解ができません。
「美術館女子」に反応を示した人たちは、女性軽視だ美術館軽視だ、という人も多く見受けられましたが、同じように「料理男子」も男性を軽視しているように思えます。
もし、男性にも料理や家事を積極的にしてもらいたい、という主旨なのであれば、料理教室や家事講座は逆効果だと思うのですよね。
だって、料理も家事も「やってみたい」「やりたい」と思う人しか、教室や講座には参加しませんから。
家事、料理は全て女性に任せるのが当たり前だと思っている人は、企画に「男子」を付けたって、見向きもしないと思うので、むしろ違う企画やタイトルで人を集めた方が効果的だと思います。
自分も気をつけたいことではある
私は、性別で行動を制限されることを不快に感じますが、もしかしたら、私が知らず知らずのうちにしている言動に、そういう性質を含んでいる可能性は、否定できません。
先ほども綴りましたが、私の母は私に対して「女の子だから」「女の子は」という躾と教育をしてきました。
私が大人になった今では、母は性別云々を超えて、差別的な考え方を発することも増えてきました。
いわゆる「老害」と表現される思考です。
母が育ったバックグラウンドを考えると、致し方ない部分もあるのですが、差別的な言葉が出る度に母を諭すのは、正直言って疲れます(苦笑)
例えば、小さい子ども連れの母子を見かけると、母親はこうしなきゃいけない、と私に言ってきますが、私は母に対して、母親に責任のすべてを負わそうとするその考え方はおかしいよ、と言ってきました。
また、外国人が事件を起こせば「外国人だから」といったことを言うので、私は「悪いことをする人間に、国籍は関係ない」と返します。
そして、最終的にはそういった発言は、頼むから私以外の人には言わないように心がけてくれ、と頼みます。
もっとも、母は何が悪いのかを理解していない節があるので、とても悩ましいのですが...
しかしながら、私にも結果的に差別につながる言動を、無意識のうちにしていることがあるかもしれません。
最近は、自分でも意識改革が進みつつありますが、自分が置かれたことのない状況下では、知識や認識の浅さから、悪びれることなく差別的な言動をしていたこともあるはずです。
もちろん、自分を肯定する気は全くないし、そういった言動をしていたかもしれない、と気が付いたときから、以後言動には気を付けて行動しています。
そして、もしも、私が何かを企画する際は「女子」「男子」といった枕詞を選ぶようなことはせず、広く興味を持ってもらえるような企画名を採用したい、そんなことを考えました。
女性限定じゃなくてもいいと思う今日この頃
イベントの内容によっては、危険を回避するために、女性限定や男性限定があってもいいと思いますが、基本的に「レディースデイ」というサービスは、要らないと思っています。
例えば、映画館はファーストデイ、レディースデイ、メンズデイ、シニアデイ、障がい者デイ、ジュニアデイ、会員限定割引と、お得に観られるサービスがありますが、私個人としては、レディースデイとメンズデイは必要ないと思っていて、その分違うサービスを考えたらどうだろう、と思います。
また、飲食店でのレディースセットも、サービス名とサービス対象者を考え直した方がいいような気がしています。
理由としては、男女に関係なく、食べる量や好みは人それぞれですし、わざわざレディーのことを考えたセットメニューを用意するのではなく、分量を変更できるサービスを実施したほうが、現代のニーズには合っているように思うからです。
同じように、お子様ランチも微妙だと思っています。
これも、料理の分量を「少なめ」「普通」「多め」などを設定して、子ども自身にメニューを選ぶ権利を与えてあげてほしいです(笑)
お子様ランチって、内容が偏りすぎてて、今の時代に合っていない気がしますから。
性別や年齢による限定サービスは、時に利用を躊躇ってしまう内容だったりします。
自分が対象者だったとしても、その内容をサービスされるよりは、他のサービスを受けたい、と思うことは、割と多かったりするのですよね。
今の時代、性別や年齢によるサービスに関しては、ニーズに対して再考する必要が出てきつつあるのかもしれませんね。
今回は、なんだか堅苦しい内容をダラダラと綴ってしまいました。
「なんとか女子」や「なんとか男子」は、10年くらい前まではいいアイデアだったと思うのですが、今はいかに男女が協力して一緒に物事を進めていくか、に意識が移りつつあると思いますし、またそうすべきだとも思います。
まだ、世の中には男女の役割を決めつけている人は、決して少なくはありませんから、できることなら、いろいろな企画は男女が同じように楽しめる内容であってほしいな、と思います。