1日過ぎてしまったけど5年前の昨日はFRIARS”N”SNIFFERSデビューギグでした。
大好きな岡山ペパーランドで。
ギグから久しいのでこんなこと記しておこう。
前バンドで出演したことあってもそれでも39歳の新人気分でステージに立った。
華を添えてくれる形でLRFもゲスト出演したりとお客さんも多く入って最高の日だった
あの日を振り返ってみる。
この先どうなるかわからないけどただ今のメンバーと共にバンドがしたくて色々と無理を重ねて企画に動いた。
親しい友人にはよく話す内容だけど俺は前のバンドのドタバタのトラウマもあったし自身で書いたリリック通り全く持ってNo one Likes usまんまの気分で
「どうせ俺は…」
「どうせ俺なんて…」
こんな卑屈な気持ちを持ち続けていた。
友人がいないと思っていたし実際にそんな俺は誰とスタジオに入っても続かなかった。
周りが華やかにバンドをしているのをみて余計にジェラシーを感じていた俺だからこの日を迎える時に生意気極まりなく
「俺だってやる時ゃヤルんだよ!」
「バカにしやがったあいつら見返してやるわ!」
これを見せつけたかった。
この日のLISTEN TO YOUR RADIO主催者のDJ teenage kicksこと河原くんは細かに動いてくれたし仲良くしてる対バンのROGUE TROOPER、ANNYその他バンドもこの日を全力で頑張ってくれてた。
遠方からも遥々とやって来てくれる人、何より地元備後地区の数少ない友人たちも来てくれた。
この事実にイベント前に少し感極まっていた。
リハ終えると通いまくったペパーランドスタッフから
「待ってましたよ!」
と声をかけられた辺りから意識が変わった。
俺が1人で人を拒絶していただけで過去の事は過去の事、いまの俺は本当はとても幸せな状況にいるのではないか?と。
だからギグスタートまえの楽屋でメンバーに向かって自然と口から出たのは「ありがとう」だった。
今もこれは毎回恒例だ。
思ってないなら言わんわ、恥ずかしいし。
その後もこれを言うと困った顔して返事はないがそれでいいと思っている。
彼らに伝わっていると思えばね。
そしてギグ中4曲目でケンカが起きた。
激しいモッシュで肩がぶつかった、倒れた、というライブハウスではよくある事のケンカ。
それにしても複数人での大立ち回りな・・・
ホールがざわつき客電がつく。もちろんプレイは止めないが。
目の悪い俺でも数人でくんずほぐれつにケンカしてるのが見えた。
せっかくの晴れ舞台に何してくれとんじゃ、、
俺より歳上の先輩数名がその輪に向かったあたりでヤバい、と思ったその時。
シンガーマサミツがステージから降りてそのすったもんだしてるとこにマイクを通して
「こっちみろや、コラァ!」
「俺らの番じゃ、オイ!」
ジミーパーシーが喧嘩続きのギグ中に泣きながら団結を呼びかけたというが
俺にはSHAM以上のオトコをひと回り歳下のはずの彼から感じた。
ギグが終わり楽屋で急いで着替えまだケンカ続行中の外に向かおうとするとCRIKEY CREWヒロキ氏が
「お前らの緊迫したサウンドだからケンカも起きるんだよ、カッコ良かったで!後は大丈夫、任せとけ」
と言ってくれた。
おかげで余韻に浸れたんだ。
暴力を肯定しないがそう言ってもらえた時にCRIKEY CREWを観るためペパーに通った10数年が俺の糧だと気付いた。
ホールに戻って友人たちから言われた言葉は忘れない。
その中でも
「やっとバンド再開できたね、おめでとう!」
この言葉で俺は諦めなかった自分を今だけは褒めてやりたかった。
この日を終え日が過ぎるごとに深く思っていた。
ギグ前に思っていた憎しみも(間違った)リベンジ感もどうでもよくなったんだ。
俺のあの勝手に挫折を感じて自暴自棄になった日はなんだったのだろうかと。
周りはみんな優しくてバンドを暖かく迎えてくれる。
事実その後いろんな土地でのイベントは暖かく招聘してくれた主催者は俺たちを大事に扱ってくれる。
その度に感謝の念が生まれる。
残念ながら全箇所ではなかったけど…
雑に敬意のかけらもなく扱われてもいまはそんなの後悔させるギグすっぞ、くらいな余裕があります。
それに心を開いて接していればそんな人が俺と繋がってくれる、そうでない人と出くわすなら俺がそんなヤツになってしまってる、という事。
FRIARS”N”SNIFFERSやってなきゃわからなかったことだ。
昨夜、ペパーランドでCRIKEY CREWのギグを観た。
俺は5年前のあの日、ここでギグをしたのだなと思いを馳せながら。
マイペースすぎると周りから言われても俺らのペースでこれからもギグを重ねたいと思う。
俺らと関わり暖かく接してくれる人たち全てに感謝します
そしてメンバーよ、ありがとう。
大好きな岡山ペパーランドで。
ギグから久しいのでこんなこと記しておこう。
前バンドで出演したことあってもそれでも39歳の新人気分でステージに立った。
華を添えてくれる形でLRFもゲスト出演したりとお客さんも多く入って最高の日だった
あの日を振り返ってみる。
この先どうなるかわからないけどただ今のメンバーと共にバンドがしたくて色々と無理を重ねて企画に動いた。
親しい友人にはよく話す内容だけど俺は前のバンドのドタバタのトラウマもあったし自身で書いたリリック通り全く持ってNo one Likes usまんまの気分で
「どうせ俺は…」
「どうせ俺なんて…」
こんな卑屈な気持ちを持ち続けていた。
友人がいないと思っていたし実際にそんな俺は誰とスタジオに入っても続かなかった。
周りが華やかにバンドをしているのをみて余計にジェラシーを感じていた俺だからこの日を迎える時に生意気極まりなく
「俺だってやる時ゃヤルんだよ!」
「バカにしやがったあいつら見返してやるわ!」
これを見せつけたかった。
この日のLISTEN TO YOUR RADIO主催者のDJ teenage kicksこと河原くんは細かに動いてくれたし仲良くしてる対バンのROGUE TROOPER、ANNYその他バンドもこの日を全力で頑張ってくれてた。
遠方からも遥々とやって来てくれる人、何より地元備後地区の数少ない友人たちも来てくれた。
この事実にイベント前に少し感極まっていた。
リハ終えると通いまくったペパーランドスタッフから
「待ってましたよ!」
と声をかけられた辺りから意識が変わった。
俺が1人で人を拒絶していただけで過去の事は過去の事、いまの俺は本当はとても幸せな状況にいるのではないか?と。
だからギグスタートまえの楽屋でメンバーに向かって自然と口から出たのは「ありがとう」だった。
今もこれは毎回恒例だ。
思ってないなら言わんわ、恥ずかしいし。
その後もこれを言うと困った顔して返事はないがそれでいいと思っている。
彼らに伝わっていると思えばね。
そしてギグ中4曲目でケンカが起きた。
激しいモッシュで肩がぶつかった、倒れた、というライブハウスではよくある事のケンカ。
それにしても複数人での大立ち回りな・・・
ホールがざわつき客電がつく。もちろんプレイは止めないが。
目の悪い俺でも数人でくんずほぐれつにケンカしてるのが見えた。
せっかくの晴れ舞台に何してくれとんじゃ、、
俺より歳上の先輩数名がその輪に向かったあたりでヤバい、と思ったその時。
シンガーマサミツがステージから降りてそのすったもんだしてるとこにマイクを通して
「こっちみろや、コラァ!」
「俺らの番じゃ、オイ!」
ジミーパーシーが喧嘩続きのギグ中に泣きながら団結を呼びかけたというが
俺にはSHAM以上のオトコをひと回り歳下のはずの彼から感じた。
ギグが終わり楽屋で急いで着替えまだケンカ続行中の外に向かおうとするとCRIKEY CREWヒロキ氏が
「お前らの緊迫したサウンドだからケンカも起きるんだよ、カッコ良かったで!後は大丈夫、任せとけ」
と言ってくれた。
おかげで余韻に浸れたんだ。
暴力を肯定しないがそう言ってもらえた時にCRIKEY CREWを観るためペパーに通った10数年が俺の糧だと気付いた。
ホールに戻って友人たちから言われた言葉は忘れない。
その中でも
「やっとバンド再開できたね、おめでとう!」
この言葉で俺は諦めなかった自分を今だけは褒めてやりたかった。
この日を終え日が過ぎるごとに深く思っていた。
ギグ前に思っていた憎しみも(間違った)リベンジ感もどうでもよくなったんだ。
俺のあの勝手に挫折を感じて自暴自棄になった日はなんだったのだろうかと。
周りはみんな優しくてバンドを暖かく迎えてくれる。
事実その後いろんな土地でのイベントは暖かく招聘してくれた主催者は俺たちを大事に扱ってくれる。
その度に感謝の念が生まれる。
残念ながら全箇所ではなかったけど…
雑に敬意のかけらもなく扱われてもいまはそんなの後悔させるギグすっぞ、くらいな余裕があります。
それに心を開いて接していればそんな人が俺と繋がってくれる、そうでない人と出くわすなら俺がそんなヤツになってしまってる、という事。
FRIARS”N”SNIFFERSやってなきゃわからなかったことだ。
昨夜、ペパーランドでCRIKEY CREWのギグを観た。
俺は5年前のあの日、ここでギグをしたのだなと思いを馳せながら。
マイペースすぎると周りから言われても俺らのペースでこれからもギグを重ねたいと思う。
俺らと関わり暖かく接してくれる人たち全てに感謝します
そしてメンバーよ、ありがとう。
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