馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

岡豊城に登ってきました

2023-09-24 01:32:26 | 城攻め

2023年9月23日続100名城180番目岡豊城に登ってきました。

四国攻略第四弾です、またバスで攻めてしまいました。

屋島、高松の時に、6時半の高知行きがあったのを見つけていたので利用します。

ほら満席の高知エクスプレス1号です。

6時30分発です、早起きでした。

気づいたら12時前、高知駅です。あっという間でした。

13時9分領石出張所行きの路線バスに乗るのですが、時間があるのでJR高知駅内を少し探検。

おー「らんまん」の牧野さんは高知出身でしたね。

とさでん路面電車は、JR高知駅南側のすぐそばから出発しています。

南側にやたら手を振っている人々がいるなと思ったら、観光列車「志国土佐時代の夜明けのものがたり」が出発していました。

写真では分かりにくいのですが、坂本龍馬の顔が車体にラッピングされています。

詳しくはこちらを参照して下さい。

 

高知を走る観光列車「志国土佐 時代の夜明けのものがたり」 - JR四国

高知から窪川を走る観光列車、「志国土佐 時代の夜明けのものがたり」。時代を変えた土佐の偉人と彼らが思い描いた日本の未来、そして彼らを支えた女性たちに思いを馳せな...

高知を走る観光列車「志国土佐 時代の夜明けのものがたり」 - JR四国

 

更に駅の南側には、土佐勤皇党の坂本龍馬、中岡慎太郎、武市半平太の像が。

観光案内所では「竜とそばかすの姫」のポスターが。あれも高知が舞台でしたね。

お昼ですが適当なお店が見つからず駅弁を購入して、待合所でいただきました。

土佐かつおめし、お値段は500円と圧倒的なコストパフォーマンスでした。

高知駅の階段はアンパンマン。お子さんたちにはたまらないでしょう。

13時9分のバスに乗って30分ほど、学校分岐のバス停に到着しました。

高知県立歴史民俗資料館と岡豊城跡の看板が見えました、向かいましょう。

いきなりこんな道を登ります、山城はまだまだキツいです。

付近のマップです。土佐日記の紀貫之さんの屋敷跡があるんですね。

土佐の国司を受領していましたっけ。

歩いて10分、ぜえぜえ言いながら登ると、歴史民俗館の建物が見えてきました。

イケメン長宗我部元親の飛翔之像、槍を持って天を突いてます。

おや?ちょっと待って下さい?

うん?おかしいな?

扉が閉まって……ませんか?

9月19日から来年3月28日まで 休  館  中 なんですって!!Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン

設備改修って、じゃあ私の続100名城スタンプと御城印はどうなるの?

 

絶望に陥る私ですが、岡豊山スタンプラリーが行われていることに気づきました。

お知らせ / 高知県立歴史民俗資料館[Tel.088-862-2211]

チラシによれば城址内のスタンプを7個集めれば、缶バッジか御城印を景品としてもらえるそうです!!

これはやらない手はありません!

ただ帰りのバスの時間が14時46分ですので、急がなくてはなりません。帰るまであと1時間20分です。

長宗我部元親の後ろの階段を登りましょう。

全体案内板がありました。

こんな感じで登って行きます。

①チェックポイント:二之段

②チェックポイント:堀切と井戸

ほらすぐ後ろが井戸です。

建物の礎石があります。

③チェックポイント:詰

詰とは本丸に相当する曲輪のことです。

結構広いです。

浦戸湾が見えるんですよ。

④チェックポイント:土塁・石積み

進むと見事な虎口がありました。

良く整備されています。

こちらにも礎石がごろごろ。

振り返ってみました。

石垣が積まれています。

土佐で虎口が取り入れられたのは、岡豊城が初めてなんだとか。

お馴染み城址跡です。

題字は、土佐勤皇党の生残りで中岡慎太郎暗殺後に陸援隊隊長となった伯爵田中光顕。

⑤チェックポイント:横堀

表示板の後ろが横堀なんですよ。

次が苦戦しました。なかなか見つからないのです。

階段を降りたらありました。

⑥チェックポイント:竪堀

最後は坂道を登ったところにありました。

⑦チェックポイント:伝厩跡曲輪

初めて坂本龍馬の話を書いた坂崎紫瀾による征清凱旋碑。古いものですねえ。

眺めは良くありませんでした。

スタンプラリーの七つを全部集め終わりました。

記念品に交換してもらいましょ。御城印が欲しいなあ。

山を下りる途中にある山村民家で交換です。

らんまんバージョンをいただきました。元親さんも右隅にいます。

続100名城スタンプもGET、無事にミッションクリアです。

んっ、降りる途中に香川五郎次郎親和さんのお墓!?

後20分あります、寄って行きましょう。

長宗我部元親の次男坊親和さんは、長宗我部家の讃岐攻略の際、香川家に養子に送られます。

しかし秀吉には勝てず、香川家はお取潰し、豊臣政権下で人質となった後、土佐に戻ってきます。

秀吉の九州島津攻めの際に長宗我部元親の長男信親が戦死すると、運命が暗転、秀吉は親和を跡取りに薦めますが、元親は四男である長宗我部盛親に跡を継がせてしまいます。

同年失意の親和は死去、ここに葬られたそうです。寂しい話ですね。

では、14時46分のバスに乗ってJR高知駅方面、高知城に向かいましょう。


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
見てるだけなのに (栗八)
2024-02-09 23:05:16
いや~疲れました(笑)

四文字の姓はかっこいい!!!!
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高知駅から (馬鹿琴)
2024-02-10 01:51:34
結構離れていますので忙しく見て回る必要がありました(笑)
衝撃の歴史民俗館休憩が衝撃的でしたが。
返信する
場所確認 (栗八)
2024-02-10 18:36:23
びっくりしました。
行動力に感心いたします。
「おこう」と読めなかったです。
勉強になります。
除草もされてて、パンフもあって大事な城ってわかります。
返信する
衝撃の歴史民俗館休憩が衝撃的 (馬鹿琴)
2024-02-11 16:01:16
ビックリしてあほな文章を書いてしまいました(笑)

私も昔おかとよ城と呼んでいました。
長宗我部氏創業の地ですからね、大切にされていたのだと思います。
山内になんか従うまいとか思ってたのかも(笑)
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