馬鹿琴の独り言

独り言を綴ります。時にはお相手して下さい。

山崎城に登ってきました

2024-02-24 20:59:14 | 城攻め

2024年2月24日山崎城に登ってきました。

今回はほとんど攻城団さんの山崎城址までのルートをなぞっております。

攻城団さんのサイトはこちら。

 

山崎城址までのルート(天王山山頂まで) | 山崎城のガイド | 攻城団(日本全国のお城情報サイト)

登山口から山崎城址がある天王山山頂までのルートを写真つきで案内します。山崎城についての付随情報。

攻城団

 

11時50分にJR山崎駅に到着です。

意外と小さい駅ですが、登山客っぽい方が大勢います。

お昼を食べようと思いましたが、登山客(にしてはお洒落っぽい)でお店がどこも一杯の模様。

駅前のデイリーヤマザキさんでおにぎりとどら焼きを買って、山頂で食べることにしました。

この時点で城攻めと言うより登山になりました。

上記の駅前を右へ。

踏切を渡りますよ。山に向かって北上です。

天王山登り口と書いてあります、坂道を登るのです。

観光案内図ですが少し見にくいですね。気を取り直して進みましょう。

分岐点。

右がアサヒビール大山崎山荘美術館に行くルート。

左が天王山、山崎城、宝積寺に進むルート。どっちにしろ、後で合流しますよ。

今は左へGO!

結構きつい坂を登って(住民の方々は大変ですね)、息も切れ切れ。

でも石段が見えてきました!

宝積寺。聖武天皇勅願のお寺だそうです。

中に入ります。

室町時代作の待宵の鐘ですって。

秀吉得意の一夜で作った一夜之塔。

でも建立は1604年慶長9年だそうで、すでに秀吉は死去しています( ゚Д゚)

本堂は工事中でした。

秀吉が腰掛けたという出世石。座りたいのを我慢します(´・ω・`)

社務所に誰もいらっしゃいません。お昼時でしたがピンポンして人をお呼びします。

天下分け目の天王山、山崎城の御城印GETです。

この時点で12時21分です。駅から30分弱ですかね。

宝積寺の弁財天、向う側へは行けません。

天王山山頂を目指しましょう。

後、1.1キロですよぉ。

ここまでフェンスがありますがこの先はありません、注意します。

この道を登りますのです。

また分岐を左へ。

10分くらいヒイヒイ歩くと休憩所が出てきました。

飲み物をここでいただきます、ゴクゴク。

秀吉の道、中国大返しです。奥に見えるお城は、水攻めされた備中高松城かな?

桂川、宇治川、木津川が合流しております。

現在の場所は7合目です。さあ、進みますよ。

ここで降りたらすべてがおじゃん。

鳥居が見えてきました。

その右脇に旗立松があります。

秀吉が旗を立て掛けて、味方を鼓舞したそうです。ただし松は7代目なんですって。

山崎合戦の石碑と説明版。

旗立松展望台です。

アホと煙は高いところへ、ということで登ります。

以前行ってきた山崎合戦場らしき場所が見えました。

さ、登りましょう。しかし。

秀吉の道、諸将来たらずです。

左上が淀城、左下が勝龍寺城と思われます。

秀吉の道、天下分け目の天王山。

困った顔の明智光秀さん。部下が敗走しております。

金の瓢箪の旗印のそばに総大将の羽柴秀吉さん。比較的冷静なお顔ですよ。

また分岐。これは右を行きましょう。

十七烈士のお墓を目指して石段を登るのです。

開けたところに十七烈士のお墓がありました。

幕末のころの久留米藩藩士の真木和泉さん他十七烈士。

幕末期、蛤御門の変で幕府と戦うも敗戦した真木和泉さんはここに逃げ込み、自害したそうです。

享年52才!!(意外とお若いです、南無……)

十七烈士のお墓の後ろを通って進みます。

ん、何か見えてきました。

朽ち具合がやっぱりホラー感があるのです。

右から天照大神、月読神、蛭子神を祀っていました。

秀吉の道、明智光秀の最期です。

月が満月になっていますが……陰暦天正10年6月13日(ユリウス暦1582年7月2日)でもあれだけ丸く見えるのでしょうかね。

またしばらく歩くとお社が。酒解神社本殿です。

今ごろですが無事を祈願します。

神社の横を通って、

暗い道を登りますよ。雨の名残りで少々ぬかるんでおります。

頂上まであと100メートル!

迷わず左へ!

最後の階段?……ではないです。

これか?これなのか?

これでした!

山崎城跡でございます!

天王山山頂270.4メートルもクリア、お疲れ様でした。

上から見下ろすと何か見えます。

秀吉の道、秀吉の「天下人への道」はここからはじまった、です。

右上は大阪城かしら。

石垣とかは見当たりませんねえ、節穴なのできっと見落としていると思います。

井戸ですが水は湧かないらしく、穴を掘って雨水を溜めた模様です。

駅を降りてから1時間20分でしたね。

他に城跡が見つからないので、コンビニで買った昼食をいただきます、しばし休憩。

では下山、石垣もめぼしいのが見当たりません( ;∀;)

竹やタケノコを取ってはダメなのです!!

一気に下山、順調に降りて宝積寺まで戻ってきました。

ここの分岐点を左に、アサヒビール大山崎山荘美術館ルートを通ります。

うーん、山荘はパスしました。混んでそうです。

異世界への……いえ、山荘への入り口。

最後の秀吉の道、本能寺の変です。

と言うより一番最初なんですね。

ルート的にはアサヒグループ大山崎山荘経由で山崎城攻略、天王山登山した後、宝積寺で御城印GETが正しいみたいです(笑)

大山崎町の公共下水道マンホールでした。

今こんなところ……と言ってもほぼ下山しております。

三叉路。右を登ると宝積寺。帰りですので左に折れます。

ほら行きに見たJRの踏切です。

帰りは阪急線大山崎駅まで歩きますよ。

14時15分です。早いですが、阪急電車で帰るのです、でわ。


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5 コメント

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マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-07-26 17:17:11
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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夜攻めた (馬鹿琴)
2024-02-27 00:30:47
私も怖がりですので昼しか無理ですねえ。
もし夜登るならヘッドランプ、懐中電灯など……やっぱり無理です。
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夜襲 (栗八)
2024-02-26 19:50:37
お城好きの方々は、夜攻めたという話がありそうですが?(笑)
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山崎ウイスキー館 (馬鹿琴)
2024-02-26 00:56:28
がありますよ。要予約なんですって。

昼間ならハイキング、ピクニック感覚で登れます。
ワンちゃん連れて登っているご婦人がいましたので(笑)
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ヤマザキこわい (栗八)
2024-02-25 19:44:19
彦根に行った時に電車内から山崎駅の脇に蒸留器のモニュメントを見たような気がするのですが?
それで「山崎」だと気づいたのでした。

ここがあの「山崎」だったのですね。
天王山の登城道はこわい!

絶対、知らない間に取り囲まれてるでしょ!
昼間でも単独ではビビりそうです。
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