パソコン故障で修理に出している間、素晴らしい書物に出会いました。
「火花」はお笑い芸人の又吉直樹の書いたものですが、これがなんと芥川賞受賞です。
芥川賞は純文学作品が対象とされ、大衆文学作品を対象とする「直木賞」とならび
我が国の2大文学賞です。
又吉氏は1980年生まれのまだ若手の芸人ですが、幾多の書物を発表しています。
この「火花」が何故芥川賞なのかとの思いがあり、そんな興味が読む気になったのです。
熱海の花火大会で知り合った天才肌の先輩芸人「神谷」との間で花火ならぬ「火花」を発し
ながらも切磋琢磨しながら成長してゆく過程を描写していますが、この著者は確かに文才に
恵まれています。
お笑い芸人は話は旨くても文才はどうか?との思いがあったのですが、それは間違っていました。
「笑われたらあかん、笑わせなあかん」
「発想の善し悪しが、日常から遠くへ飛ばした飛距離でもなく、受け手側が理解できる場所に落とす技術でもなく
理屈抜きで純粋に面白いほうを択べとする感覚的なものによるならば、ぼくは神谷さんに永遠に追いつけない。」
「楓の根の辺りから青っぽい匂いがしていた。静かに揺らぐ木々が街頭に照らされ、地面に影を作っていた。僕は
公園の風景を眺めながら引き攣りそうな顔面を両手で撫ぜていた。」
「新人の神様が塗り忘れた楓と汚いおっちゃんが塗り忘れた楓とどっちがより塗り忘れている?」(世田谷公園で辺りの
木々が如何にも秋らしく色づいているのに、なぜか一本の楓だけが緑色のままだった)
「神谷さんは真正のあほんだらである。日々、意味の分からない阿呆陀羅経を、なぜか人を惹きつける美声で唱えて、
毎日少しのばら銭をいただき、その日暮らしで生きている。無駄なものを背負わない、そんな生き様に、憧れて、憧れて、
憧れ倒して生きてきた。」
最後に二人はまた熱海の花火大会を見に行っていた。
「花火が上がるたびにそれを提供する企業名が告げられるが、それまでよりも少し明るい声の場内アナウンスが
「ちえちゃん、いつもありがとう。結婚しよう」とメッセージを告げた。
誰もが息を飲んだ。次の瞬間、夜空に打ち上げられた花火はお世辞にも派手とは言えず、とても地味な印象だった。
そのあまりにも露骨な企業と個人の資金力の差を目のあたりにして、思わず僕は笑ってしまった。馬鹿にしたわけではない。
支払った代価に「想い」が反映されないという、世界の圧倒的な無情さに対して笑ったのだ。しかし次の瞬間、僕たちの耳に
聞こえてきたのは、今までとは比較にならないほどの万雷の拍手と歓声だった。
それは、花火の音を凌駕するほどのものだった。
神谷さんも僕も冷えた手の平が真っ赤になるまで、激しく拍手をした。
「これが人間やで・・・」と神谷さんはつぶやいた」