【耐えがたきに堪え偲び難きを偲び】の昭和天皇の敗戦詔書に人々は地面に伏して涙した。
1945年8月15日正午・・・前日の公布された大東亜戦争終結の詔書
昭和天皇が朗読して今年で76年経ち、昭和20年生まれが943万人と言われ、
戦争経験者が生存20%以下で語り継げる人は、どんどん減ってしまう・・・
終戦の前後には、様々な流言飛語が乱れ飛び、私など子供心に大いに惑わされたものだ。
私はその頃【昭和20年】小学4年生だった堺市安井町に住んでいたが、
我が家の奥の部屋に焼夷弾が落ち玄関扉が開かず隣接の方々に叩き潰していただき、
火の手を避けながら必死で逃げ九死に一生を得た事が、いまだ思い出す。
空襲で堺市内が焼け野原となり焼けだされ親戚の家にて居候していたが、
天皇の玉音放送を聞き近隣の大人達は声を上げて泣いていたのが印象的だった。
朕チン(天皇)国政府をして米英支蘇(ベイエイシ)と4国に対してと昭和天皇が言われるのは、
【アメリカ・イギリス・フランス・カナダ・ロシア】を相手に戦ったいるんだもの
今では核保留の先進国だものね…わが軍隊も無理をしたものだよね・・無条件降伏だ。
平和って,自由って、素晴らしいものだ‥・・・・
歴史を見習い未来の子供達に何を引き継ぐかを考えるべきであろう。
【昭和20年7月10日未明の堺大空襲で市内が焼け野原となった】