蒸し暑い日が続きます。
この三連休、家族サービスなんかして一足早い夏休みを満喫しました。
また、観光客も多く、レンタカーがたくさん走っておりました。
やはり、閑散としているよりは賑わっている方が、
より一層、お休み気分を味わえるように思えてきました。
田舎のいいところは、都会の喧騒から離れて、
静の環境の中で、自分をゆっくりと見つめられることでしょうか。
忙しい都会暮らしでは、生活のための仕事ではなく、
仕事のために生活をしているような逆転したような状況で、
一体、何のために生きているのかと錯覚してしまうこともありました。
ですので、毎週末は喧騒を離れ、豊かな自然に憧れて、アウトドアなるものをしておりました。
出来るだけ人気を避けて、まず、一般の人は来ないであろうマニアックな場所を探して、
地図を見るのが楽しみで、週末はそこへ四駆に乗って出かけるのが恒例となっておりました。
マイナーな山への登山、道なき道を進んでの沢歩き、奥深い山中での野宿などなど。
そこは、大いなる自然の中に、小さな小さな自分という存在を置いてみて、
様々な自然の中での状況下で、新しい自分自身みたいなものを発見し、
ああ、生きているって素晴らしいなあと、感慨にふけってみたりしたものです。
自然を壊す人間の営みに嫌気が差し、自然と共に生きるのが一番、と単純に考えておりました。
そして時は過ぎ、ふと気が付けば、どういう縁があったのか、
今現在、こうして屋久島で生活させて頂いております。
最初の数年は、やはり都会暮らしと同じように、
屋久島の中でも、ひたすら人気を離れたスポットへ出かけておりました。
しかし、大自然が目の前にある中での生活で、
都会暮らしのように、入念にプランを立てて、準備をしっかりして、
気合を入れて出発し、奥深い自然の場所に立ち入るまでに時間もかけることもなく、
ふと、思い立ったら1時間も掛からずに大自然の中へ立てるという恵まれすぎた環境というものは、
逆に足が遠のくという結果になってしまい、
あれほど好きだった山歩きも、不思議なほどにピタッと行かなくなってしまいました。
なんだかんだで、今では緑溢れる環境の中で暮らしており、
少しですが、家庭菜園をしてみたり、日曜大工を覚え、
ちょっとは田舎暮らししているなー、
自然と何かしらの接点を持った生活をしているなあー、
という、漠然とした安心感みたいなものは感じております。
ですが、ここ数年、特に子供ができ、家族という単位となってからというもの、
ただひたすら田舎であれば良い、という田舎神話みたいなものが崩れてきて、
人間には自然だけがあればよいということではなくて、
バランスとして、雑多な人間社会の中で、悩みながら生きることも、
人間成長の必要な要素であるということに、経験上そんな気がしてきた次第です。
特に私の場合、個人で仕事をしており、上司や部下がいるわけでも、出勤時間があるわけでもなく、
お休みも決まっておらず、外から縛られるものはないので尚更です。
自分と社会という、双方の立ち位置というか、
両者にとって良い関係を維持する感覚というか、
そんな絶妙なバランスみたいなものは、
それなりに社会との関わり、または、否が応でも繋がりみたいなもの、
更に言えば、ストレスが無ければ、わからなくなってしまうのではと思います。
実際、ただでさえ、人付き合いが苦手な方なワタクシですから、
社会との接点が薄い状態が続きますと、
いざ、関係性が求められる状況下に置かれた場合、
どうしてよいか戸惑ってしまうことが多々あります。
ただひたすら、自然ばかり追い求めても、人間として完結することは難しいですね。
人間として生まれた以上、社会の中で揉まれた方が健全な姿なのかもしれません。
ということで、意識的に人が多いところへ出かけてみた、この三連休でした。