タイトルには、その1とありますが、気まぐれブログでありますので、
とびとびの更新になったり、最後まで記録するかどうかは定かではありませんので、どうかご了承くださいませ。
さて、今から遡ること8~9カ月ほど前、
お客様より、大工さんに建ててもらった東屋の丸太の残りを利用して家具を作りたいとの相談を受けたのが始まりです。
現場まで出向いて見せて頂くと、そこには大中小の丸太の切れ端がたくさんあり、
これらを使って東屋のテーブルやスツールなどなどを作れたらいいなあとのご要望。
残った材を、ちゃんと最後まで使ってあげたいという、お客様の気持ちは、
木が好きな自分としては素直にうれしく、何とかしたくなってしまうものです。
具体的なプランが出来上がったころ、丸太を引き取りに行ったのが昨年の年の瀬が迫る頃。
丸太は、意外にも重たく、特に一番大きな、大黒柱の残りの丸太は超がつくほどヘビーでありまして、
お客様と2人がかりで必死になって軽トラの荷台に乗せたのが印象に残っています。
丸太は、いつも懇意にして頂いている有水製材所にお願いして、それぞれの家具に合わせて製材して頂きました。
丸太の状態では乾燥に何年も掛かるでしょうが、製材すれば幾分か早く乾燥します。
製材してから半年以上が経ち、乾燥がいい感じで進みました。
これが一番大きな丸太で直径45cm、長さが70cmほどあります ↓
6枚に製材してもらったものです。
端っこを除いた4枚を使って、テーブル(キッチン作業台)を作ります。
乾燥前と乾燥後で、重さは恐らく、1/3くらいになったかと思われます。
すごーく重たかったのがウソのようです。
とりあえず、こんな感じかなあと並べて視認してみる ↓
常識ならば、長手方向は一枚の板で作るのが常なのですが、
この丸太の長さは70cmでしたので思い切っての継ぎ足しです。
先入観を白紙にすれば、新たな発想が湧いてきます。
まずは、長方形にカットすることに。
年輪の中心をセンターにとって、決まった幅の板状にするために両側の部分をカットするのですが、
この丸太、年輪の中心が片方にずれています。
ああ、そういえば、森の中で切り株を見つけたら、その切り口の年輪を観察すれば方位がわかるというような話を思い出しました。
つまり、切り株を上から見たときに、年輪の中心がある方向に偏っていた場合、
その年輪の幅が狭い方が北で、幅の広い方が南の方位を指しているということ。
日のあたる方が生長が良く、日の当らない北側は生長が遅いために年輪の幅もそれに比例するということらしい。
それぞれの生育環境によって一概には言えないと思いますのでご参考までに。
話がそれましたが、この丸太を見てみると ↓
年輪の中心が左側に寄っています。
ということは、年輪幅の狭い左側が北側で、幅の広い右側が南側になりますね・・・
むむっ!
その南側に何やら文字が記してあります。
ズーム ↓
おおっ!
そこにはまさに南という文字が書いてあります。
つまり、この大黒柱をどのような向きで据えるかという設計において、
この大黒柱を担当した大工さんは年輪の偏りから、この丸太がまだ立ち木であったころに思いを馳せ、
立っていたそのままの方角で、東屋の大黒柱として、改めて生かそうとした配慮を推察することが出来ます。
その昔、法隆寺や薬師寺を再建した西岡棟梁は、木を買わず山を買えというお話をされていました。
つまり、一つの建物を山に見立てて、建物の南側には、その山の南側で育った木を使うということで、
立ち木であった状態・環境をそのまま建物に置き換えて、木組みをして作れば100年どころか1000年もつ建物ができるということ。
参照 → 宮大工口伝
あっ、またまた話がそれてしまいました。
丸ノコで長方形に形を整えて ↓
改めてこんな感じかなと並べてみる ↓
崇高な木のお話の後だけあって、この4枚の板材の並べ方をどのようにすれば良いのか。
木組は木の癖で組めと、かの口伝はおっしゃっていますが、
大きな声では言えない独学のワタクシなのでありますので、
もうそこはチョッカンで組ませて頂きます。
とびとびの更新になったり、最後まで記録するかどうかは定かではありませんので、どうかご了承くださいませ。
さて、今から遡ること8~9カ月ほど前、
お客様より、大工さんに建ててもらった東屋の丸太の残りを利用して家具を作りたいとの相談を受けたのが始まりです。
現場まで出向いて見せて頂くと、そこには大中小の丸太の切れ端がたくさんあり、
これらを使って東屋のテーブルやスツールなどなどを作れたらいいなあとのご要望。
残った材を、ちゃんと最後まで使ってあげたいという、お客様の気持ちは、
木が好きな自分としては素直にうれしく、何とかしたくなってしまうものです。
具体的なプランが出来上がったころ、丸太を引き取りに行ったのが昨年の年の瀬が迫る頃。
丸太は、意外にも重たく、特に一番大きな、大黒柱の残りの丸太は超がつくほどヘビーでありまして、
お客様と2人がかりで必死になって軽トラの荷台に乗せたのが印象に残っています。
丸太は、いつも懇意にして頂いている有水製材所にお願いして、それぞれの家具に合わせて製材して頂きました。
丸太の状態では乾燥に何年も掛かるでしょうが、製材すれば幾分か早く乾燥します。
製材してから半年以上が経ち、乾燥がいい感じで進みました。
これが一番大きな丸太で直径45cm、長さが70cmほどあります ↓
6枚に製材してもらったものです。
端っこを除いた4枚を使って、テーブル(キッチン作業台)を作ります。
乾燥前と乾燥後で、重さは恐らく、1/3くらいになったかと思われます。
すごーく重たかったのがウソのようです。
とりあえず、こんな感じかなあと並べて視認してみる ↓
常識ならば、長手方向は一枚の板で作るのが常なのですが、
この丸太の長さは70cmでしたので思い切っての継ぎ足しです。
先入観を白紙にすれば、新たな発想が湧いてきます。
まずは、長方形にカットすることに。
年輪の中心をセンターにとって、決まった幅の板状にするために両側の部分をカットするのですが、
この丸太、年輪の中心が片方にずれています。
ああ、そういえば、森の中で切り株を見つけたら、その切り口の年輪を観察すれば方位がわかるというような話を思い出しました。
つまり、切り株を上から見たときに、年輪の中心がある方向に偏っていた場合、
その年輪の幅が狭い方が北で、幅の広い方が南の方位を指しているということ。
日のあたる方が生長が良く、日の当らない北側は生長が遅いために年輪の幅もそれに比例するということらしい。
それぞれの生育環境によって一概には言えないと思いますのでご参考までに。
話がそれましたが、この丸太を見てみると ↓
年輪の中心が左側に寄っています。
ということは、年輪幅の狭い左側が北側で、幅の広い右側が南側になりますね・・・
むむっ!
その南側に何やら文字が記してあります。
ズーム ↓
おおっ!
そこにはまさに南という文字が書いてあります。
つまり、この大黒柱をどのような向きで据えるかという設計において、
この大黒柱を担当した大工さんは年輪の偏りから、この丸太がまだ立ち木であったころに思いを馳せ、
立っていたそのままの方角で、東屋の大黒柱として、改めて生かそうとした配慮を推察することが出来ます。
その昔、法隆寺や薬師寺を再建した西岡棟梁は、木を買わず山を買えというお話をされていました。
つまり、一つの建物を山に見立てて、建物の南側には、その山の南側で育った木を使うということで、
立ち木であった状態・環境をそのまま建物に置き換えて、木組みをして作れば100年どころか1000年もつ建物ができるということ。
参照 → 宮大工口伝
あっ、またまた話がそれてしまいました。
丸ノコで長方形に形を整えて ↓
改めてこんな感じかなと並べてみる ↓
崇高な木のお話の後だけあって、この4枚の板材の並べ方をどのようにすれば良いのか。
木組は木の癖で組めと、かの口伝はおっしゃっていますが、
大きな声では言えない独学のワタクシなのでありますので、
もうそこはチョッカンで組ませて頂きます。
父が 何でも自分で作る人で 1年かけて自宅まで作ったくらいなんですが。
やはり、良い木材にはかなわないです。
季節によって膨張したり縮んだり、息をしている感がたまらないです。
仕上がり、時間がかかっても、是非ともアップしてください~楽しみにしてます~♪
自宅を作ってしまうお父さん、凄いですね。根気がないと出来ないことです。
思い出の詰まった親しみのある家だと思います。
今回のテーブルは、縦方向に継ぐので難易度が高く、かなり冒険的な仕事になりそうです。
同時進行で、他のお客様の仕事もしていますので、ブログの更新はまめにできないと思いますが、今後ともよろしくお願いします。