東日本大震災から6年7カ月。
宮城県内の応急仮設住宅は9月30日現在で2,867戸、5,717人が居住しています。最も多い時期の入居戸数は21,610戸(ピーク時から18,743戸の減少)、入居者数は53,269人(ピーク時から47,552人の減少)。しかし、民間賃貸借上住宅にもいまだ5千人近くの方が「間借り」をしており、独居老人世帯が取り残されている現状が浮き彫りになっています。
全国に10万もの里親がいる「おのくん」が生まれた場所。小野駅前仮設住宅集会所が、9月いっぱいで閉鎖になるとの連絡を受けて、30日に開催された感謝祭へうかがってきました。
ふんばろう宮城プロジェクトのメンバーにも「おのくん里親」が多く、震災の視察にこられた方の多くをお連れしました。また、毎年ゴールデンウィークに開催されるおのくん祭りにも、ブースを出させていただき売上を寄付する取り組みを続けています。
10月からはJR陸前小野駅近くにある「空の駅」へ拠点を移し、引き続き地域の復興支援活動に取り組むそうですが、なんとなく寂しい気持ちになります。会長の武田文子さん、新城隼さんは「みんなのお陰でここまでこれた。感謝しかない」と語ってくれました。そして「これからが本番」とも。
次のステージに歩みを進めた"おのくん"に集う仲間たち。これからも応援していきます。(こせきかつや)
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<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖される。入居者の女性らがキャラクター人形「おのくん」を手作りし、年間2万人近い来訪者と交流してきた。「おのくんを通じて楽しい時間を過ごせた」。女性らは思い出を胸に刻み、最終日の30日に感謝祭を開く。
東松島市によると、小野駅前仮設住宅の入居者は1日現在、11人。2011年12月には約280人がいたが、生活再建が進み、閉鎖が決まった。
おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフの人形。自治会長武田文子さん(66)らが12年4月に作り始めた。1個1000円で販売し、全国的な人気を集め、国内外の延べ10万人が「里親」となった。グッズや絵本なども生まれた。
現在は30~60代の女性20人が仮設住宅の集会所のほか、市内の野蒜、牛網両地区に再建した自宅などでおのくんを作っている。
震災から6年半となる今でも「里親」との交流が続く。その一人、兵庫県川西市の小野昂希(こうき)さん(22)は今月6日、初めて集会所を訪れ、「自分の名字と同じおのくんに会えてうれしい。見た瞬間、親近感が湧いた」と喜んだ。
武田さんは「震災後、ここまで来られたのは応援してくれた皆さんのおかげ。これからも明るく、前へ進んでいきたい」と言う。
おのくん作りの拠点は10月、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る予定。武田さんらは、地元食材を使った料理とコーヒーを提供したり、高齢者の居場所として活用したりする構想も描く。
おのくんのPR活動などのプロジェクトに携わる同市の新城隼さん(46)は仲間を募っている。感謝祭本番、感謝祭に向けての催し、空の駅の運営など取り組みは多岐にわたり、「デザイナーやライターなどさまざまな人たちと一緒に構想を練り、形にしたい」と協力を呼び掛ける。
集会所の連絡先は0225(98)8821。PR活動などに関する連絡先は「ソーシャルイマジン」0225(90)3314。【河北新報の9月22付紙面から引用】
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<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖された。キャラクター人形「おのくん」を手作りしてきた入居者の女性らはこの日、感謝祭を開催。おのくんの購入を通して支援してきた県内外の「里親」らと親睦を深めた。
仮設住宅の集会所前に出店が並び、焼きそばやたこ焼きを提供。おのくんの関連グッズや絵本を販売した。おのくんの着ぐるみがギターを演奏し、会場を沸かせる場面もあった。
おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフ。おのくんを作ってきた女性たちは震災後の日々を振り返り、感謝の言葉を口にした。「震災に遭って大変な思いをしたけれど、おのくんに出会えて心のゆとりができた」「この仮設で皆さんと過ごせて楽しかった」
おのくん作りの拠点は1日、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る。仮設住宅の自治会長武田文子さん(66)は「今までのように気軽に立ち寄ってほしい」と望む。
徳島市の会社員正木伸一郎さん(47)は震災から間もなく武田さんと会い、仮設住宅の入居者らに徳島産の野菜を届けたり、年越しそばを振る舞ったりしてきた。正木さんは「生活再建に伴い仮設住宅がなくなることは大きな前進だと思う。引き続き交流したい」と話した。【河北新報10月1日付紙面から引用】
宮城県内の応急仮設住宅は9月30日現在で2,867戸、5,717人が居住しています。最も多い時期の入居戸数は21,610戸(ピーク時から18,743戸の減少)、入居者数は53,269人(ピーク時から47,552人の減少)。しかし、民間賃貸借上住宅にもいまだ5千人近くの方が「間借り」をしており、独居老人世帯が取り残されている現状が浮き彫りになっています。
全国に10万もの里親がいる「おのくん」が生まれた場所。小野駅前仮設住宅集会所が、9月いっぱいで閉鎖になるとの連絡を受けて、30日に開催された感謝祭へうかがってきました。
ふんばろう宮城プロジェクトのメンバーにも「おのくん里親」が多く、震災の視察にこられた方の多くをお連れしました。また、毎年ゴールデンウィークに開催されるおのくん祭りにも、ブースを出させていただき売上を寄付する取り組みを続けています。
10月からはJR陸前小野駅近くにある「空の駅」へ拠点を移し、引き続き地域の復興支援活動に取り組むそうですが、なんとなく寂しい気持ちになります。会長の武田文子さん、新城隼さんは「みんなのお陰でここまでこれた。感謝しかない」と語ってくれました。そして「これからが本番」とも。
次のステージに歩みを進めた"おのくん"に集う仲間たち。これからも応援していきます。(こせきかつや)
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<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖される。入居者の女性らがキャラクター人形「おのくん」を手作りし、年間2万人近い来訪者と交流してきた。「おのくんを通じて楽しい時間を過ごせた」。女性らは思い出を胸に刻み、最終日の30日に感謝祭を開く。
東松島市によると、小野駅前仮設住宅の入居者は1日現在、11人。2011年12月には約280人がいたが、生活再建が進み、閉鎖が決まった。
おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフの人形。自治会長武田文子さん(66)らが12年4月に作り始めた。1個1000円で販売し、全国的な人気を集め、国内外の延べ10万人が「里親」となった。グッズや絵本なども生まれた。
現在は30~60代の女性20人が仮設住宅の集会所のほか、市内の野蒜、牛網両地区に再建した自宅などでおのくんを作っている。
震災から6年半となる今でも「里親」との交流が続く。その一人、兵庫県川西市の小野昂希(こうき)さん(22)は今月6日、初めて集会所を訪れ、「自分の名字と同じおのくんに会えてうれしい。見た瞬間、親近感が湧いた」と喜んだ。
武田さんは「震災後、ここまで来られたのは応援してくれた皆さんのおかげ。これからも明るく、前へ進んでいきたい」と言う。
おのくん作りの拠点は10月、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る予定。武田さんらは、地元食材を使った料理とコーヒーを提供したり、高齢者の居場所として活用したりする構想も描く。
おのくんのPR活動などのプロジェクトに携わる同市の新城隼さん(46)は仲間を募っている。感謝祭本番、感謝祭に向けての催し、空の駅の運営など取り組みは多岐にわたり、「デザイナーやライターなどさまざまな人たちと一緒に構想を練り、形にしたい」と協力を呼び掛ける。
集会所の連絡先は0225(98)8821。PR活動などに関する連絡先は「ソーシャルイマジン」0225(90)3314。【河北新報の9月22付紙面から引用】
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<おのくん>制作女性ら「里親」と交流 東松島仮設閉鎖で感謝祭
東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅が30日、閉鎖された。キャラクター人形「おのくん」を手作りしてきた入居者の女性らはこの日、感謝祭を開催。おのくんの購入を通して支援してきた県内外の「里親」らと親睦を深めた。
仮設住宅の集会所前に出店が並び、焼きそばやたこ焼きを提供。おのくんの関連グッズや絵本を販売した。おのくんの着ぐるみがギターを演奏し、会場を沸かせる場面もあった。
おのくんは靴下や綿が材料で、サルがモチーフ。おのくんを作ってきた女性たちは震災後の日々を振り返り、感謝の言葉を口にした。「震災に遭って大変な思いをしたけれど、おのくんに出会えて心のゆとりができた」「この仮設で皆さんと過ごせて楽しかった」
おのくん作りの拠点は1日、JR陸前小野駅前の交流施設「空の駅」に移る。仮設住宅の自治会長武田文子さん(66)は「今までのように気軽に立ち寄ってほしい」と望む。
徳島市の会社員正木伸一郎さん(47)は震災から間もなく武田さんと会い、仮設住宅の入居者らに徳島産の野菜を届けたり、年越しそばを振る舞ったりしてきた。正木さんは「生活再建に伴い仮設住宅がなくなることは大きな前進だと思う。引き続き交流したい」と話した。【河北新報10月1日付紙面から引用】
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