『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

懐かしい「打ち水」を思い出した。

2022-07-23 12:23:29 | 喜怒哀楽をポジティブに
「これぞ夏空!」というような青空と真夏の熱風・・・
外気温はぐんぐん上昇し、既に猛暑日の様相を呈している。
その中をハガキ投函のため歩いてみた。

ついでに近隣のAさん宅の花のようすを見てみようと思い、回り道を・・・。
Aさん宅には一年中様々な花が咲き、その花たちは傍を通る
私たちにいつも思い思いの表情で語りかけてくれるように揺れている。
以前はご夫婦で手入れされ、花の数もどんどん増えていたが、数年前に
ご主人が亡くなってから一時はその数も減ったように見えたが、最近は
奥さんも元気を取り戻されたのかその種類や数も一段と増えているように
見える。

数年前、老人会の席で奥さんは千恵子選手と同じ腎臓機能の低下の
改善(現状維持)のため食事はタンパク質等の制限のある生活をして
いらっしゃるということを偶然知り、以来「同病相憐れむ」の意味も含め、
千恵子選手も以前に増して話す機会が多くなっていた。

Aさんは今後も長く腎臓病と付き合っていかなければならない生活で
あるとはいうもののいつも明るい笑顔で元気に挨拶を交わして
いただけるので私たちもつい立ち止まって花の話題で時間が
過ぎてしまうことも屡。
老人会の集まりもコロナ禍では自粛ということで最近は顔を合わせる
機会も少なかったが今日は日除け用の帽子の下からいつもの笑顔の
挨拶が・・・そして手にはじょうろを・・・
帽子は被っていても強い日差しで頬は紅潮、汗が次々と頬を伝わり
滴り落ちるのが気がかりだがまもなく終わりだということで
「ほっ」とした。

今日のこの暑さの中、かなり早い時間から花たちへの水遣りを
されていたようで、挨拶を交わしたころにはそろそろ終わる予定
だったようだが・・・
それでも門扉と道路の境に点在する鉢植えに少し高くから水を
撒いた後、じょうろに残った水を道路に広く散水・・・・
既に熱で熱くなり始めたアスファルトの色が黒ずんでくると同時に
みるみる気温がさがっていくような気がした。

その瞬間、いつもと変わらぬ水遣りの光景がその時は、あの懐かしい
「打ち水」を思い出させてくれたのだ。
やはりこの暑さの所為だったからなのだろう。
「打ち水」の美しい光景というと和服の女性が木製の手桶からやはり
木製の柄杓で円を描くように蒔く姿をイメージするが・・・

私たちが子供の頃、この時節には多くの家庭でもそれぞれの
「打ち水」がみられた。
それは風情と言うよりは実質的な「涼」を得るためで、道具も
木桶に木柄杓・・ではなくブリキのバケツにアルミ製の柄杓を使い、
夏休みの子供たちの役目のようでもあったような気がする。
(木桶、木柄杓は墓参りの時に使っていたが・・・)

熱くて触れないような石や砂利にアルミ製の柄杓で水をかけ、
その蒸発していく様子や石から滴り落ちるお湯のようになった水滴を
触ってキャーキャーと騒いだこともあった。

今は、手で撒くよりもホースを使うことが多いと思うがそれは
「打ち水」というより「水撒き」という表現が適切かもしれない。

「打ち水」という古き良き日本の風習が、環境やエコの観点からも
見直され、暑さ対策にも効果があるということで最近は各地で
イベントとして行われているようだ。

現在はほとんど舗装されているので熱せられた道路上はすぐ蒸発
してしまうが各地のイベントでの計測などでは平均で2℃ほど
気温が下がったという.
本当は直射日光が強く当たるところより日陰に水を撒く方が
ゆっくりと蒸発することで効果が現れるとともに陽が当たる場所との
温度差によってその周辺にちいさな風が起こり涼風に繋がるという。

実質的な効果とちょっとした風情を楽しむ「打ち水」を我が家でも
考え、やってみたい。


今日の千恵子選手の『絵手紙コーナー』 
                                      (青の太文字はfumiel-shimaの一言)

隣家のサルスベリが      勢いよく伸びるノウゼンカズラも   
風にそよぐ          太陽と青空が好きなようだ         

  

周辺ではまだあまり見ないが少し離れると
合唱も聞こえてくるようだ
  

夏椿には「矜持」を感じる     ジャガイモの花を知らない人が
                 あまりにも多いことに驚いた。
  



コメント (9)
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