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学ぶ沖縄戦3・「地獄絵図」激しい戦闘で沖縄県民の1/4が死亡、集団自決、軍が食料強奪、県民餓死/少数派

2022年05月26日 | 戦争を繰り返すな
少数派シリーズ/二度と戦争を繰り返すな
Okinawamanabu 毎日新聞「学ぶ沖縄戦」1945年 第3回 
「地獄絵図」激しい戦闘で沖縄県民の1/4が死亡、集団自決、軍が食料強奪、県民餓死
沖縄戦での日本軍の組織的戦闘の終結から6月23日で77年。
なぜ沖縄が戦場となり、多くの悲劇が生まれたのかを考える。

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白旗を手に投降する少女=沖縄県公文書館提供

Q.77年前に沖縄で何があったのか?
A.当時の日本は、米国をはじめとする連合国との太平洋戦争中でした。米軍は1945年3月26日に沖縄本島西の慶良間(けらま)諸島に、4月1日に沖縄本島に上陸し、日本軍との地上戦が始まりました。これが沖縄戦です。逃げ場も少ない小さな島での地上戦は約3カ月に及び、軍人だけでなく多くの一般住民が巻き込まれて犠牲になりました。太平洋戦争末期、日本は米軍による空襲や原爆を受けましたが、米軍の地上侵攻があったのは現在の日本国土では沖縄と硫黄(いおう)島(東京都)だけです。沖縄県によると、沖縄戦での死者は約20万人。米軍は1万2520人で、残りの19万人弱が日本の犠牲者です。

このうち日本軍の軍人・軍属は9万4136人で、一般住民は約9万4000人(推計)。軍人・軍属の中にも沖縄県出身者が2万8228人いたとされ、一般住民と合わせると当時の県民の4人に1人に当たる約12万人が亡くなりました。沖縄戦では「鉄の暴風」と呼ばれる米軍の激しい砲爆撃のほか、住民同士が手をかけ合った「集団自決(強制集団死)」、日本軍による住民のスパイ視や殺害、食糧の強奪、さらに餓死などが起きました。小さな島々で一般住民を巻き込んだ地上戦であったがゆえに、その悲惨さはまさに「地獄絵図」でした。

2021年、毎日新聞が同タイトルで10回の連載を掲載したものです。
戦後77年など時間的な表現は、一部変えております。


投稿者からのひと言/別途投稿の内容と重複。今年の5月15日は、沖縄が本土復帰して50年。投稿者も感慨深い。前日に、TBS「報道特集」で過去の歴史を振り返っていた。「核抜き本土並み」のフレーズを、久しぶりに聞いた。番組で印象深かったことは、沖縄は戦後二重に「植民地」にされていたこと。それはご存じの通り、米国・米軍の植民地化。もう1つが、沖縄は日本の「植民地」にもなっていたことだ。沖縄に基地を押し付け、日米地位協定の壁、戦争危険負担、挙句に沖縄の方を差別し都合の悪いことを全て沖縄に無理強いしてきたこと。今現在でも自民党や右翼は、沖縄を差別・侮辱化する。あれから50年経って、番組が言う通り少しも変わっていない。本土の人間として、恥ずかしいし情けない。

Sankoub
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Akahatatop

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