食品のカラクリと暮らしの裏側

食品の安全・安心が総崩れ、また政治・社会の矛盾や理不尽さも増大
暮らしの裏側の酷さやまやかし、危険性・不健全さに迫る!

吉野家◇明治の頃に開いた店主の出身が大阪・吉野町だったことから/社名・商品名のイワレ

2022年04月21日 | 社名・商品名のイワレ
Nametp175 社名・商品名のイワレ[食品編]
吉野家|明治の頃に開いた店主の出身が大阪・吉野町だったことから

Sindk1613a0002_001257

◆吉野家は"市場が原点"、築地市場が豊洲へ移転に伴い店舗も移転・朝4:30~13時まで
牛丼チェーン店・吉野家は、ほとんどの方が利用したことがあると思います。しかし吉野家のいわれをご存じの方は、少ないでしょう。「安い・美味い・早い」のであれば、どうでもいいのかもしれませんが(笑)。始まりは1899(M32)年、松田栄吉氏が、当時、日本橋にあった魚市場に開きました。市場の労働者は忙しくきつい仕事だったので、滋養のある牛肉を素早くご飯といっしょに掻き込んで満足してもらう意図でした。当時は肉は高級品で、うな重と同じくらいの価格でも客は途絶えなかったようです。この頃は出身地を屋号とするのが一般的で、大阪・吉野町(現在の大阪市福島区)に因んだそうです。別の出身地だったら、当然、現在の吉野家の名称や“吉牛”という言い方も変わっていたでしょう。その後、関東大震災もあり魚市場は築地に移り、吉野家も店舗移転しました。1958(S33)年、息子が株式会社化しました。

店のカラーがオレンジなのは、米国視察の際にオレンジ色のコーヒーショップが目に移り、遠く(1km先)からでもよく見え目立つため採用されました。旧築地市場内にあったのが1号店で、市場が豊洲へ移転されても吉野家は"市場が原点"なのでついていきましたね。豊洲市場店(市場内)、ここが実質1号店になるのでしょう。ただ営業時間が市場に合わせ変則的で、朝の4:30~13時まで、日曜は休業です(投稿時現在)。 因みに1960年代後半の頃、2号店は新橋駅前にありました。現在の西口SL広場の場外車券売場南側辺りです。後に私も入ったことがあるのですが、今とまるで異なり肉は固く・玉ねぎも多く、ごつごつ感、塩辛い味でした。昨今、若い方はツユダクが好きなので、総体的に標準的でもつゆが多い店が増えました。吉野家創業時のような、すき焼きをそのまま丼にしたもの(全く別の個人店)はよく食べますが、チェーン店の牛丼は好きではありません。ところで御三家とも、カレー・からあげ・鰻丼・鉄火丼・朝定など町の「何でも定食屋さん」になってしまいました。

Sankoua
吉野家「生娘」騒動から見えるもの・既に吉牛戦略に国民全体が洗脳されてしまった
吉野家の牛丼は米国人が全く見向きもしない脂身肉ばかりが盛られる

TOPページへ

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 回転寿司店では大騒ぎや酔っ... | トップ | 吉野家「生娘」騒動から見え... »
最新の画像もっと見る

社名・商品名のイワレ」カテゴリの最新記事