少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.64
ROUND6 オリンピック精神を忘れた2020東京オリンピック編 3
五輪エンブレム選考の最大の疑惑は最初から「佐野氏ありき」の組織委員会
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2015年9月、旧ブログに投稿したものです。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
新国立競技場に続き、東京オリンピックエンブレムも白紙撤回される異常事態です。デザイナー佐野研二郎氏への疑惑が騒がれました。当シリーズでは切り口を変えて、デザイン選考における不透明性~最初から佐野氏案ありきの背景、エンブレムに群がる企業の汚れた思惑など~オリンピックの商業主義に視点を当てて説明致します。エンブレム・新国立競技場のコンペと、極めて共通点が存在します。どちらも高いハードル課した応募資格によって限られた応募対象者になった点、そして閉鎖的な五輪組織委員会の対応によって、問題が大きくなってしまったのです。
エンブレムの応募資格の条件は、2つありました。東京アートディレクタークラブ賞など指定された国内4賞と海外3賞のうち、2賞以上を受賞した人が対象です。条件の2つめは、日本語でのコミュニケーションが可能な人、日本国内での行事・打合せの交通宿泊費や海外から日本への渡航費は自己負担という、不可思議な設定です。コンペは国際的に広くオープンにしていると言いながら、実際は業界のトップクリエーターだけが応募できる条件、また事実上“日本人に限る”(外国人排除)趣旨だったのです。そのため応募数は104点しかなく、外国人の応募は4人だけでした。
審査委員は8人、永井一正委員長は日本グラフィックデザイナー協会・特別顧問、札幌冬季オリンピックの日の丸と雪の結晶をあしらったマークが有名です。委員の顔ぶれも、民主党のロゴをデザインした浅葉同協会会長など著名な方々です。選ぶ側も各賞を受賞された面々なので、応募側・選ぶ側とも狭いデザイン業界のいわば同業者仲間~「仲間内」(内輪)間の選定だったのです。因みに、佐野氏は7賞全てを受賞しています。選考はデザインのみ提示され原作者名は伏せたままとはいえ、同じ仲間内なのでデザインを見ただけで誰だか分かると言います。
2014年12月の選考で、佐野氏が選ばれました。しかし問題は審査委員の誰もが知らないまま、組識委員会との間で秘密裏に2度大幅な修正が行われたことです。デザイン画がないと分かりにくいのですが、当初、選定した元々の案は『T』の横線部分(両方の袖部分)が三角形で、赤い丸が縦線の右下にありました。その後、組識委員会が調査した結果、国際商標に類似デザインが存在することが判明しました。抵触する恐れから、組識委員会と佐野氏間で修正を重ねたそうです。そして、皆様ご存じのデザインが審査委員会に示されたのは、2015年7月発表のたった1週間前でした。
審査委員会はやむなく承諾しましたが、委員の中には選考無効を示す人もいたそうです。つまり選定されたデザインが使用NGになった時点で失格であり、2位のデザインを繰り上げするのが一般常識です。にも関わらず審査委員会への報告や相談もなく、組識委員会が勝手に佐野氏と交渉を続けたのは、「最初から佐野氏ありきだった」との疑惑が出ています。佐野氏も審査委員会に連絡せず大幅修正を受け入れたことから、デザイナーの資質やポリシーを疑われ、またデザイナー業界からも信頼を失いました。エンブレムも新国立競技場も、透明性がないままアンフェアに決定されたことが共通点で、また国民から怒りを買うことになってしまったのです。
ROUND6 オリンピック精神を忘れた2020東京オリンピック編 3
五輪エンブレム選考の最大の疑惑は最初から「佐野氏ありき」の組織委員会
ブログを移転したため、投稿日と記事の日時・状況と整合性がありません。記事は2015年9月、旧ブログに投稿したものです。アスリートファーストの尊重は微塵もなく、政治家・経済界・五輪関係者などは己の思惑・利益・保身のために、東京オリンピックの悪用が目に余ります。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えます。
新国立競技場に続き、東京オリンピックエンブレムも白紙撤回される異常事態です。デザイナー佐野研二郎氏への疑惑が騒がれました。当シリーズでは切り口を変えて、デザイン選考における不透明性~最初から佐野氏案ありきの背景、エンブレムに群がる企業の汚れた思惑など~オリンピックの商業主義に視点を当てて説明致します。エンブレム・新国立競技場のコンペと、極めて共通点が存在します。どちらも高いハードル課した応募資格によって限られた応募対象者になった点、そして閉鎖的な五輪組織委員会の対応によって、問題が大きくなってしまったのです。
エンブレムの応募資格の条件は、2つありました。東京アートディレクタークラブ賞など指定された国内4賞と海外3賞のうち、2賞以上を受賞した人が対象です。条件の2つめは、日本語でのコミュニケーションが可能な人、日本国内での行事・打合せの交通宿泊費や海外から日本への渡航費は自己負担という、不可思議な設定です。コンペは国際的に広くオープンにしていると言いながら、実際は業界のトップクリエーターだけが応募できる条件、また事実上“日本人に限る”(外国人排除)趣旨だったのです。そのため応募数は104点しかなく、外国人の応募は4人だけでした。
審査委員は8人、永井一正委員長は日本グラフィックデザイナー協会・特別顧問、札幌冬季オリンピックの日の丸と雪の結晶をあしらったマークが有名です。委員の顔ぶれも、民主党のロゴをデザインした浅葉同協会会長など著名な方々です。選ぶ側も各賞を受賞された面々なので、応募側・選ぶ側とも狭いデザイン業界のいわば同業者仲間~「仲間内」(内輪)間の選定だったのです。因みに、佐野氏は7賞全てを受賞しています。選考はデザインのみ提示され原作者名は伏せたままとはいえ、同じ仲間内なのでデザインを見ただけで誰だか分かると言います。
2014年12月の選考で、佐野氏が選ばれました。しかし問題は審査委員の誰もが知らないまま、組識委員会との間で秘密裏に2度大幅な修正が行われたことです。デザイン画がないと分かりにくいのですが、当初、選定した元々の案は『T』の横線部分(両方の袖部分)が三角形で、赤い丸が縦線の右下にありました。その後、組識委員会が調査した結果、国際商標に類似デザインが存在することが判明しました。抵触する恐れから、組識委員会と佐野氏間で修正を重ねたそうです。そして、皆様ご存じのデザインが審査委員会に示されたのは、2015年7月発表のたった1週間前でした。
審査委員会はやむなく承諾しましたが、委員の中には選考無効を示す人もいたそうです。つまり選定されたデザインが使用NGになった時点で失格であり、2位のデザインを繰り上げするのが一般常識です。にも関わらず審査委員会への報告や相談もなく、組識委員会が勝手に佐野氏と交渉を続けたのは、「最初から佐野氏ありきだった」との疑惑が出ています。佐野氏も審査委員会に連絡せず大幅修正を受け入れたことから、デザイナーの資質やポリシーを疑われ、またデザイナー業界からも信頼を失いました。エンブレムも新国立競技場も、透明性がないままアンフェアに決定されたことが共通点で、また国民から怒りを買うことになってしまったのです。