少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.120
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 12
2021年東京五輪開催期間中の最高気温・暑さ指数調査A
最高気温の平均は32.7℃・ここ12年間の6番目、35℃を上回る日はなかった
それでも選手59人・関係者91人計150人が熱中症に!競技時間の変更が続出
■招致決定の2013年から今年21年まで大会17日間・マラソン日の気温推移をプロット
2021年7月23日(金)から8月8日(日)までの17日間、東京オリンピックの競技が繰り広げられました。懸念されたように、猛暑の中の激闘によって選手・関係者150人が熱中症に罹ってしまいました。また高温によって、競技時間が直前に変更されるお粗末も生じたのです(詳しくは後段)。さて投稿者は過酷な猛暑・炎天下で行う大会方針に抗議する主旨から、招致が決まった2013年(気象データの取り出し2010年~)から今日に至るまで、毎年、期間中の気象をプロットして参りました。①大会期間中の7/24~8/9(21年は7/23~8/8)の最高気温・湿度[表A1-3] ②女子マラソンの8/7(当初は8/2)、男子マラソン8/8(同8/9)が行われる午前6~10時までの気温・湿度の変化 ③マラソンの温度計測は、当初の東京と変更された札幌との両都市の比較です。1日の暑さは最高気温で決まるものではありませんが、一応の目安と捉えて下さい。なお小学校の夏休みの宿題のように、毎日、自宅の温度計を測っていたのではなく(笑)、気象庁サイトのデータを転記したものです。④さらに、いずれも環境省・熱中症予防情報サイト(下記リンク)「暑さ指数」を併記。それらの結果を、2回に渡ってご紹介致します。
嫌と言うほど書いたように、当時の招致委員会がIOC委員会に提出した開催計画書に、「この時期は晴れる日が多く、かつ温暖でアスリートに理想的な気候」と記してあることを、市民団体がスッパ抜きました。何でこの猛暑・酷暑が、温暖・理想的と言えるのでしょうか! 大嘘をついて、東京五輪を勝ち取ったのです。大会が終わり分かったことは、投稿者が疑っていた通り、大会組織委員会はこの時期の東京が高温・多湿であることを海外に伝えていませんでした。伝えていないどころか、ひた隠ししていたことは事実です。そのため東京に着いて初めて“東京の惨状”を知った選手は、「嘘だった」ことを抗議、テニスなどの選手は競技時間の変更を要求しました。そりゃそうでしょ! なお投稿者は猛暑の危険性、懸念される選手と観客(コロナ禍で無観客に変更)への熱中症の悪影響を、13~19年まで、毎年、当調査の記事を更新する度に、散々、申し上げてきました。詳しくは下記、19年版のリンクを参照願います。従って今回は、20年(延期)と21年(開催)の期間中の気温などに絞ってご報告致します。因みにもう一方の難題、投稿時点でのオリパラのコロナ感染者数は、オリパラ区分不明ながら選手30人以上、選手を含んだ関係者は855人(五輪547人・パラ308人)です。
■表Aー3/直近3年間の大会期間中の東京の気温比較 =======
■テニス・サッカー・女子マラソンなど直前に競技時間を変更、組織委の怠慢が露呈
ここから、大会期間中の最高気温・湿度・暑さ指数をご案内致します。下記[表A-2]が、延期された20年・開催された21年を含む2016~21年までの一覧表です。[表A-1]が、2010~15年+前回大会の1964年です。どちらもクリックすると、拡大します。上記[表A-3]のように、今年21年の大会期間中の「最高気温の平均」は「32.7℃」で、17日間に35℃を上回る日はありませんでした。投稿者が計測をまとめた10~21年の12年間のうち、中くらいの6番目です。歴代1位は15年・35℃、続いて19年34.0℃と14年34℃、12年・14年の33℃の順です(※15年までは最高・最低温度は、小数点以下を四捨五入)。なお予定通り20年に開催されれば、皮肉にも11年・13年と同じ”最も低い”「31.0℃」でした。もちろん夏は夏なので暑く、8月が35℃前後の日が続きましたが、7月が30℃を割った日が多かったためです。ここで言う暑さの比較は飽くまでも大会期間中であって、一般的な7~8月丸々を引っくるめた夏の暑さの評価とは異なります。もう1つの指標「暑さ指数の平均」(同じく下記リンク参照)を、17年から計測を始めましたが、19年32.0度に比べ21年は31.0度でした。
今年21年は6番目の暑さとは言え選手・五輪関係者には厳しい暑さには違いなく、組織委の発表では選手59人・関係者91人、計150人が熱中症に罹りました。選手6人を含め8人が救急搬送され、2人が重症だったそうです。もし有観客だったら、あるいは19年の「最大級猛暑」だったら、とんでもないほどの選手・観客が運び込まれたでしょう。それこそ、亡くなる方もいたと推察します。日本の猛暑を、初めて体験した外国選手は如何ばかりか? 既号のように男子テニスのジョコビッチ・メドベージェフ選手は「最悪の環境」と訴え、競技開始時間を変更させました。女子サッカー決勝も午前11時から午後9時に、女子マラソンに至ってはスタート時間の繰り上げ変更の決定が競技前夜で、一部の選手は就眠後でした(詳細は次号)。組織委は招致した13年から猛暑が厳しいことを分かっていた訳で、それ以前に日本人なら夏はとんでもなく暑いことは常識です。にも関わらずほとんど対策されず、組織委の安易さ・デタラメが露呈しました。何度も申し上げるようにコロナ対策同様、猛暑対策でも選手のことを考えてこなかったのです。そもそも暑さ指数31度以上は、「危険」(原則、運動禁止)なのです。コロナ禍の開催然り、選手が危険に面してもオリンピックは「特別扱い」なのでしょう。日本の暑い夏に開催すること自体が、間違っています。
←「表Aー2」2016~21年までの気象データ
←「表Aー1」2010~15年までの気象データ
*クリックすると[表]が拡大します。
「暑さ指数」(WBGT)の説明
環境省・熱中症予防情報サイト[暑さ指数に関するサイト]
19年猛暑調査・東京五輪の過酷さ1◇炎天下の激闘で選手や多数の観客に熱中症の危険
19年猛暑調査・東京五輪の過酷さ2◇狂気の沙汰!マラソン選手が熱中症で倒れる恐れ
次号/21年東京五輪猛暑調査B◇五輪マラソン会場を札幌に移転したことは間違いではなかった
前号/五輪組織委は医療用マスク3.3万枚・ボランティア向け弁当10数万食を大量廃棄
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 12
2021年東京五輪開催期間中の最高気温・暑さ指数調査A
最高気温の平均は32.7℃・ここ12年間の6番目、35℃を上回る日はなかった
それでも選手59人・関係者91人計150人が熱中症に!競技時間の変更が続出
■招致決定の2013年から今年21年まで大会17日間・マラソン日の気温推移をプロット
2021年7月23日(金)から8月8日(日)までの17日間、東京オリンピックの競技が繰り広げられました。懸念されたように、猛暑の中の激闘によって選手・関係者150人が熱中症に罹ってしまいました。また高温によって、競技時間が直前に変更されるお粗末も生じたのです(詳しくは後段)。さて投稿者は過酷な猛暑・炎天下で行う大会方針に抗議する主旨から、招致が決まった2013年(気象データの取り出し2010年~)から今日に至るまで、毎年、期間中の気象をプロットして参りました。①大会期間中の7/24~8/9(21年は7/23~8/8)の最高気温・湿度[表A1-3] ②女子マラソンの8/7(当初は8/2)、男子マラソン8/8(同8/9)が行われる午前6~10時までの気温・湿度の変化 ③マラソンの温度計測は、当初の東京と変更された札幌との両都市の比較です。1日の暑さは最高気温で決まるものではありませんが、一応の目安と捉えて下さい。なお小学校の夏休みの宿題のように、毎日、自宅の温度計を測っていたのではなく(笑)、気象庁サイトのデータを転記したものです。④さらに、いずれも環境省・熱中症予防情報サイト(下記リンク)「暑さ指数」を併記。それらの結果を、2回に渡ってご紹介致します。
嫌と言うほど書いたように、当時の招致委員会がIOC委員会に提出した開催計画書に、「この時期は晴れる日が多く、かつ温暖でアスリートに理想的な気候」と記してあることを、市民団体がスッパ抜きました。何でこの猛暑・酷暑が、温暖・理想的と言えるのでしょうか! 大嘘をついて、東京五輪を勝ち取ったのです。大会が終わり分かったことは、投稿者が疑っていた通り、大会組織委員会はこの時期の東京が高温・多湿であることを海外に伝えていませんでした。伝えていないどころか、ひた隠ししていたことは事実です。そのため東京に着いて初めて“東京の惨状”を知った選手は、「嘘だった」ことを抗議、テニスなどの選手は競技時間の変更を要求しました。そりゃそうでしょ! なお投稿者は猛暑の危険性、懸念される選手と観客(コロナ禍で無観客に変更)への熱中症の悪影響を、13~19年まで、毎年、当調査の記事を更新する度に、散々、申し上げてきました。詳しくは下記、19年版のリンクを参照願います。従って今回は、20年(延期)と21年(開催)の期間中の気温などに絞ってご報告致します。因みにもう一方の難題、投稿時点でのオリパラのコロナ感染者数は、オリパラ区分不明ながら選手30人以上、選手を含んだ関係者は855人(五輪547人・パラ308人)です。
■表Aー3/直近3年間の大会期間中の東京の気温比較 =======
■テニス・サッカー・女子マラソンなど直前に競技時間を変更、組織委の怠慢が露呈
ここから、大会期間中の最高気温・湿度・暑さ指数をご案内致します。下記[表A-2]が、延期された20年・開催された21年を含む2016~21年までの一覧表です。[表A-1]が、2010~15年+前回大会の1964年です。どちらもクリックすると、拡大します。上記[表A-3]のように、今年21年の大会期間中の「最高気温の平均」は「32.7℃」で、17日間に35℃を上回る日はありませんでした。投稿者が計測をまとめた10~21年の12年間のうち、中くらいの6番目です。歴代1位は15年・35℃、続いて19年34.0℃と14年34℃、12年・14年の33℃の順です(※15年までは最高・最低温度は、小数点以下を四捨五入)。なお予定通り20年に開催されれば、皮肉にも11年・13年と同じ”最も低い”「31.0℃」でした。もちろん夏は夏なので暑く、8月が35℃前後の日が続きましたが、7月が30℃を割った日が多かったためです。ここで言う暑さの比較は飽くまでも大会期間中であって、一般的な7~8月丸々を引っくるめた夏の暑さの評価とは異なります。もう1つの指標「暑さ指数の平均」(同じく下記リンク参照)を、17年から計測を始めましたが、19年32.0度に比べ21年は31.0度でした。
今年21年は6番目の暑さとは言え選手・五輪関係者には厳しい暑さには違いなく、組織委の発表では選手59人・関係者91人、計150人が熱中症に罹りました。選手6人を含め8人が救急搬送され、2人が重症だったそうです。もし有観客だったら、あるいは19年の「最大級猛暑」だったら、とんでもないほどの選手・観客が運び込まれたでしょう。それこそ、亡くなる方もいたと推察します。日本の猛暑を、初めて体験した外国選手は如何ばかりか? 既号のように男子テニスのジョコビッチ・メドベージェフ選手は「最悪の環境」と訴え、競技開始時間を変更させました。女子サッカー決勝も午前11時から午後9時に、女子マラソンに至ってはスタート時間の繰り上げ変更の決定が競技前夜で、一部の選手は就眠後でした(詳細は次号)。組織委は招致した13年から猛暑が厳しいことを分かっていた訳で、それ以前に日本人なら夏はとんでもなく暑いことは常識です。にも関わらずほとんど対策されず、組織委の安易さ・デタラメが露呈しました。何度も申し上げるようにコロナ対策同様、猛暑対策でも選手のことを考えてこなかったのです。そもそも暑さ指数31度以上は、「危険」(原則、運動禁止)なのです。コロナ禍の開催然り、選手が危険に面してもオリンピックは「特別扱い」なのでしょう。日本の暑い夏に開催すること自体が、間違っています。
←「表Aー2」2016~21年までの気象データ
←「表Aー1」2010~15年までの気象データ
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「表A1-3」の見方 (気象庁・環境省のデータを投稿者が編集作表・見にくいのはご容赦を)
①大会期間中の東京の最高気温と湿度を、2010年から追跡しています。
②計測対象日は、2010~20年までは当初期間の7/24~8/9、21年は7/23~8/8です。
③データは、九段・日本武道館に隣接する北の丸公園内の気象庁観測所のものです。広い公園内で、当然、風通しがよく極めて環境の良い(涼しい)場所です。その場所ですら、35℃以上に達します。直射の会場の気温は、15℃以上(実気温50℃以上)と言われます。
④「指数」とは、環境省・熱中症予防情報サイトの「暑さ指数」です。指数が28度以上(気温値と異なる)になれば「厳重警戒」(橙)=激しい運動は中止、31度以上になれば「危険」(赤)=運動は原則中止です。詳細は、下段のリンクをご参照願います。
<補足>
a)2015年までの最高温度・最低温度は、小数点以下を四捨五入。
b)データ全般的に最高温度が30℃を切った日は、前日または当日の降雨(台風・ゲリラ豪雨・雷雨など)による影響です。短期間のため、数日間、降雨があると期間中の平均気温が下がります。
c)因みに、1964年・東京オリンピック期間中の気温を記載します。
半世紀前と現在の10月を比較すると、当時は、結構、気温が低かったのですね。
「暑さ指数」(WBGT)の説明
環境省・熱中症予防情報サイト[暑さ指数に関するサイト]
19年猛暑調査・東京五輪の過酷さ1◇炎天下の激闘で選手や多数の観客に熱中症の危険
19年猛暑調査・東京五輪の過酷さ2◇狂気の沙汰!マラソン選手が熱中症で倒れる恐れ
次号/21年東京五輪猛暑調査B◇五輪マラソン会場を札幌に移転したことは間違いではなかった
前号/五輪組織委は医療用マスク3.3万枚・ボランティア向け弁当10数万食を大量廃棄