少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.107
ROUND7 国民の命を守るため東京オリンピックの中止を!編 32
開会直前に一言「見識があれば五輪は呼ばないだろうな」(書籍:街場の五輪論)を再び思う
五輪カラーの並び順が誤っています。正解は最下段へ
■当ブログ「東京五輪の危うさ」カテゴリ投稿への8年間の思い「無駄骨でも意義は見い出せた」

東京五輪まであと3日となっても、不手際・ゴタゴタ続きです。組織委が”大会が呪われている”との発言はとんでもないことで、過去8年間の国・都・組織委の怠慢・出鱈目さのツケが一挙に露呈しただけです。さて投稿者は最後まで「五輪中止」を訴えますが、投稿は一応の区切りを付けたいと存じます。この機に、6年前に読んだ「街場の五輪論」(著者:内田樹・他)、その概要を当時投稿した文章をご案内します。前号の久米宏氏の言葉と、この著書に感銘した次第です。その後、私が五輪に疑問を投げ掛ける投稿の推進力になりました。著者は「現代五輪の在り方」「招致の見識」を問い、政治家や経済界にたぶらかされて巨額の税金を投入して行われる「東京五輪の姿」の哀れさを嘆いています。一方、現実を見れば諸外国の現状は市民が賢く、たかが2週間の大会より市民の社会保障の充実を求め、招致準備の初期段階で強く反対し、やむなく立候補を辞退する都市が相次いでいます。「街場の五輪論」は下記に紹介していますが、著者のこんな一文がありました。『私達の言い分は負け犬の遠吠えであっても、無駄骨する意義あり。国民の中には、そう思う方が少なからずいるはずだ』。投稿者はこの一文に支えられ、8年間、「無駄骨でも意義は見い出せた」。

久米氏が仰っていたように、私もスポーツ・競技自体を否定することではありません。問題は“五輪精神”よりも、オリンピックを喰いものにする政治家・経済界。そして見にくい巨額の利権争い、だらしない都や常識から外れた大会組織委員会、米国TV局の横暴と、それを煽るIOCなどを批判しているのです。オリンピックを利用した国家権力の誇示、どさくさ紛れの国の無駄な経済投資も酷いものです。競技場を始め経済インフラを含めたら、数兆円いや10兆円規模でしょう。1つのオリンピックにそんなお金を掛けるより、1桁少なくても、将来に向けた長期・広範囲な選手強化や底辺の拡大、大事な国民全体へのスポーツ振興や健康維持に充てるべきです。そうすれば、日本国民自体が北欧並みの“スポーツと運動を楽しむ国”になり得ます。今からでも、賢い選択をして欲しいものです。年月が経過しても、ブログにてその検証や事実を残しておく必要があると考えております。果たして「五輪開催」が正しい選択だったのか疑問に思われた方は、月日が経った後でも構わないので、投稿者の100編以上に渡るこの連載のうち多少でもご覧頂ければ幸いです。
↓ ↓ ↓
▽当時のブログ投稿・投稿内で「街場の五輪論」の概要説明 (当カテゴリVOL.8 2015年8月)

ここからが当時の投稿文/たまたま東京オリンピック関係の本を読んでいたら、「街場の五輪論」共著:内田樹(たつる)・小田嶋隆・平川克美、に巡り合いました。あまりにも投稿者と同じ考え方であったので、何だかくすぐったい気持ちで、あっと言う間に読み終えた次第です。印象深いところを、多面的にご紹介します。2013年の招致決定時点では、メディアを含め日本中が喜んでいました。しかしその後冷静に考えれば、予算・開催の意義、その他の点で多々問題があることが、段々と国民に分かってきたようです。皆様も、下記の内容に共感することが多いのではないでしょうか? 共著者の主張を、ピックアップします。
■著者「なぜ政治家がそこまでやるのか?」「単純に技を競う大会に見えない」

『オリンピックの代表選手は、異口同音に「オリンピックは特別」と言う。特別であるからこそ、一国の総理大臣がわざわざ招致のプレゼンテーションで訴える。世界陸上やグラチャンバレーの招致では、工作に行かないだろう。東京招致のプレゼンでは、総理・元総理のオンパレード。総理や(元)都知事などの猫なで声に作り笑い、いかにも作り物と分かる身振り手振りの大きさ。そのへつらう姿に、国民として情けないどころか、腹立たしくなった。』

『単なるスポーツ大会の呼び込みなのに、なぜ政治家がそこまでやるのか?それは実に簡単な話で、オリンピックは国威発揚の場所であり、過剰な商業的取引の場所だからだ。開催国による政治的プロパガンダができ、利権ができ、政権与党の強固な支持率確保ができる。国民的熱狂は、求心力を最大化したい為政者にとって、喉から手が出るほど欲しいものだ。若い方と違い年嵩を増すと、そうした背景がいとも簡単に透けて見えてくる。単純に、技を競う大会には思えない。』
■著者「私達の言い分は負け犬の遠吠えであっても、無駄骨する意義あり」

『「為政者の己のため」にオリンピックを開催した典型的な例は、ヒットラーの世界的野望から開かれた1936年・ベルリン大会、そして次の大会は日本初となる予定だった1940年・紀元二千六百年記念大会(戦争で中止)。東京が開催されていたら、どちらも極めて政治利用された大会だったろう。最近でも、2008年の北京大会。中国の世界へのお披露目の場とされ、プンプンと政治臭がする大会だった。どの国の為政者でも、意図的にオリンピックを政治利用するのは当たり前だ。』

『もう発展途上国のようなお祭り騒ぎではなく、成熟国・日本として、日本らしい落ち着いた大会を目指し、今後の大会のモデルになってもらいたい。新しい競技場も要らない、使えるものは補修し、派手なセレモニーも要らない。まあ~そんな見識があれば、そもそもオリンピックなんて呼ばないだろうな… 私達の言い分は負け犬の遠吠えであっても、無駄骨する意義あり。国民の中には、そう思う方が少なからずいるはずだ。』
※五輪カラーの正しい並び順/答 左から
青・黄・黒・
緑・赤
次号/それでも東京五輪の強行・辞任続きのゆがんだ姿「人間の尊厳守る理念も失った」
前号/五輪開催危惧はコロナの他、熱中症、震度4、台風・豪雨・雷・テロ対策が全く不十分