食品のカラクリシリーズ 森永ヒ素ミルク事件/食べ物視点
森永ヒ素ミルク事件を厳しく糾弾した中坊公平氏のご冥福をお祈りします
乳幼児130人が死亡、1万3千人が重い障害になった事件を忘れるな
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■森永乳業は食品の品質検査は必要ないと言い切る暴挙に出た
「平成の鬼平」と言われた中坊(なかぼう)公平氏が、2013.5.3に亡くなりました。元・日弁連会長を務め、森永ヒ素ミルク事件、香川県・豊島(てしま)の産業廃棄物不法投棄、豊田商事事件などの弁護士活動にご尽力されました。投稿者として特筆することは、強い信念を持って「森永ヒ素ミルク事件」の被害者へ、弁護団長として取り組まれたことです。
森永ヒ素ミルク事件とは、1955(S30)年に森永乳業・徳島工場製の粉ミルクを飲んだ乳幼児が、ヒ素中毒になり130人が死亡、1万3千人が重いヒ素中毒になった事件です。今もって脳性マヒ・知識発達障害など重複障害や重障害に苦しみ、就職差別・結婚差別にも及びました。また乳幼児に森永の粉ミルクを飲ませた母親が、自分が我が子を殺した・重障害児にさせたと、今もって自責の念で悶々としておられることです。
裁判中、森永乳業はそもそも食品の品質検査は必要ないものと言い切り、今では到底考えられない暴挙に出たのです。この態度に被害者側や団長を務める中坊団長が猛反発、森永側がヒ素が原因だったと認めたのは事件から15年も経った1970(S45)年の裁判中でした。遂に1973(S48)年、被害者救済を求めた裁判は、森永に加害責任を認めさせました。
■長年、森永乳業・雪印乳業の不買運動を続ける投稿者一人
事件から18年も経過し、しぶしぶ責任を認めた森永乳業は社会から厳しい糾弾が続きました。中坊団長は、裁判中はもちろん日常も被害者の立場で活動され、森永製品の“不買運動”にも取り組みます。中坊氏は、その後も消費者問題など「市民派弁護士」として、数々の事件などに活躍することになったのです。
ここからは、投稿者として個人的な発言です。あまりにも酷かった森永乳業の態度を後年知り、以来、数十年に渡り森永乳業・製菓を問わず、“不買運動・一人”を続けています(実際は妻も買いません)。抵抗をしても何の影響も与えませんが、被害当事者でなくても許せません。しかしマスコミは、中坊氏が亡くなったニュースではスポンサーに気を遣い、どのTV局も「森永ヒ素ミルク事件」の説明は一切せずに、他の事件の弁護士活動を紹介していました。マスコミも、消費者よりもスポンサー重視といった態度は変わりません。
私の不買メーカーの中で、「雪印メグミルク」もそうです。2000年に集団食中毒を起こし“雪印”の名では売れないとみるや、「メグミルク」に分社・ブランド変更して雲隠れしたことです。消費者が事件を忘れ掛けた2011年に、「雪印メグミルク」として再び表舞台に出てきました。こんにゃくゼリーの会社も、酷い対応でした。極めて悪質であり、今後も絶対買いません。
こんにゃくゼリーで22人死亡も改善せず拡販を優先させたメーカーの悪質さ
メーカーはこんにゃくゼリー死亡事故を全て消費者の責任にした