江戸しぐさシリーズ第15話
大人しぐさ5(教育2)/自発の意識を付けさせる
木造校舎
■大人しぐさ5・教育(2)自発の意識を付けさせる
商人は人間関係を保つのが基本なので、複雑な人間関係をロールプレイング(役割実演)で我が子に体得させたそうです。また想像力を駆使して、大人の真似をしながら学習していくのです。
誰かの足を踏めば、踏まれた相手は痛いだろうなと想像する。病気の人は辛いだろうなと想像する。人を騙せば、騙された人の心や騙した自分の心を想像する。どんどん重ねて、相手の気持ちや自分の心を推し量り、どうすれば良い関係になるかを考えていくのです。
一見受け身と思われますが、「自発」の意識を我が子に付けさせているのです。彼等の手本になるのは親や師匠、世間の大人です。大人を真似て、見る・聞く・話す~つまり考え方・表情・身振り・言葉使いを身に付けていくのです。これが「大人しぐさ」です。人の痛みが分からぬようでは、良い商人・大人に育たないことです。学校の成績中心の現在の親には、チクリと痛いところでしょうか。
「実学」とは、実用という単純な意味でなく、森羅万象に適切か具体的に対応する学問です。子供達はすぐ真似しますから、寺子屋ではロールプレイングやブレーンストーミングで、人間の手本として成長していくのです。
▽不粋オヤジの独りゴト
江戸の躾や教育は押し付け的と思っていたのですが、現在以上に伸び伸び自由に、また自発の意識を付けさせていたのですね。既号でも申し上げたように、どうしてこんな立派な精神が、現代に受け継がれていないのでしょうか? 江戸のような教育なら、落ちこぼれ・不良少年、そしていじめ自殺などは起こりようがありません。
このオヤジ、父親として偉そうなことを言っても、我が子の姿を見ているとガッカリします。これは、「子は親の通りにはならない、親のした通りになる」(これも既号)ですね。父親として、反省・大。以上、大人しぐさのページは終わりです。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。
大人しぐさ5(教育2)/自発の意識を付けさせる
木造校舎
■大人しぐさ5・教育(2)自発の意識を付けさせる
商人は人間関係を保つのが基本なので、複雑な人間関係をロールプレイング(役割実演)で我が子に体得させたそうです。また想像力を駆使して、大人の真似をしながら学習していくのです。
誰かの足を踏めば、踏まれた相手は痛いだろうなと想像する。病気の人は辛いだろうなと想像する。人を騙せば、騙された人の心や騙した自分の心を想像する。どんどん重ねて、相手の気持ちや自分の心を推し量り、どうすれば良い関係になるかを考えていくのです。
一見受け身と思われますが、「自発」の意識を我が子に付けさせているのです。彼等の手本になるのは親や師匠、世間の大人です。大人を真似て、見る・聞く・話す~つまり考え方・表情・身振り・言葉使いを身に付けていくのです。これが「大人しぐさ」です。人の痛みが分からぬようでは、良い商人・大人に育たないことです。学校の成績中心の現在の親には、チクリと痛いところでしょうか。
「実学」とは、実用という単純な意味でなく、森羅万象に適切か具体的に対応する学問です。子供達はすぐ真似しますから、寺子屋ではロールプレイングやブレーンストーミングで、人間の手本として成長していくのです。
▽不粋オヤジの独りゴト
江戸の躾や教育は押し付け的と思っていたのですが、現在以上に伸び伸び自由に、また自発の意識を付けさせていたのですね。既号でも申し上げたように、どうしてこんな立派な精神が、現代に受け継がれていないのでしょうか? 江戸のような教育なら、落ちこぼれ・不良少年、そしていじめ自殺などは起こりようがありません。
このオヤジ、父親として偉そうなことを言っても、我が子の姿を見ているとガッカリします。これは、「子は親の通りにはならない、親のした通りになる」(これも既号)ですね。父親として、反省・大。以上、大人しぐさのページは終わりです。
江戸しぐさは偽史であり昭和の時代に創作されたことが、多くの専門家や研究者に
よって明らかにされています。