少数派シリーズ/東京オリンピックの危うさVOL.109
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 1
「五輪一色のTV中継でいいのか」NHK・民放の大騒ぎ報道は菅首相の意に沿ったもの
7/26付しんぶん赤旗 読みにくいことをご容赦
■安田菜津紀氏「メダル数と重症者数を(いっしょに)報道するのはグロテスクな世界」
上記の複写から、投稿者がピックアップした部分です/フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは『AERA』(7月26日号)で、「オリンピックのメダルの数と重症者の数を報道するというのは、ある種グロテスクな世界」と、放送のあり方を問いかけています。緊急事態宣言を出しながら、それとまったく矛盾する五輪開催に突き進んだことが、国民への誤ったメッセージとなり、現に人出は増えています。「無観客」であっても、選手、大会関係者、ボランティア、報道関係者など、さまざまな場面で感染拡大のリスクを大きくさせています。この矛盾をそのまま放置して、五輪一色という報道のあり方を続けていいのかが、厳しく問われています。
投稿者によって、タイトル付けを行いました。
■投稿者|メディアは五輪一色にならずに様々なことを取り上げるのが使命
ここから投稿者の文章(暑い夏なので手間の掛からぬ複写)/さて投稿者は信念上、五輪のTV中継は一切見ませんが、いつもの生活パターンでNHKを始め多くの民放ニュースを見ます。57年ぶりの五輪とは言え、NHKはニュースの大半が五輪ばかりです。平常時ならともかくコロナ禍、感染スピードが急速化・感染爆発の予兆が見えるこの時期にも関わらず、コロナ関連は後半の申し訳程度の時間だけ。いくら何でも、それはメディアとして問題でしょ。そもそも、アナウンサーが浮かれ過ぎ、賛美し過ぎる。以前はそうでもなかったが、菅首相に忖度するNHK幹部の指示による”演技・演出”かもしれない。穿った見方をすれば、五輪中継を盛り上げて・盛り上げていけば国民は喜び、五輪批判も政府のコロナ対策の失敗も忘れて、秋の総選挙は票を投じてもらえるだろうとした目論見でしょう。国民は、舐められたものだ。今、NHKがやっていることが、典型的なメディアを使った国威発揚なんです。太平洋戦争も、当時のラジオ・映画ニュース・新聞が率先して煽りに煽って、悲惨な戦争へ向かわしていったのです。若い方には良い機会です、こうした異常事態が政府主導の「国威発揚」「メディアを使った煽り」であることを実体験をして下さい。
一方、新聞の第1面は過去と異なり、日本人選手が金メダルを取っても左上に小さく載せる程度で抑制的と思いきや・・・ページをめくりスポーツ欄になると、スポーツ紙のようにデカデカと過剰なほどの見出しと大きな写真が載るその矛盾さ。五輪強行開催によって国民が二分してしまったように、新聞社も社会部対運動部・広告部が二分しているのでチグハグな紙面構成になっています。新聞も五輪の公式スポンサーになっているので、基本的には五輪批判は腑抜け状態には変わりない。新聞と特にNHKは、五輪に関しても政権ではなく国民のほうを向くべきです。つまり、いつの時でもメディアは様々なことを取り上げるべきなのです。医療者や感染者は、五輪どころの話ではないのです。ある医療者は政府のコロナ対策の失態に腹を立て、感染を助長する五輪中継は絶対観ないと言う。別に医療者は毎晩コロナ対応で帰宅が遅く、観たくても観る時間がないとも言っていました。五輪開催中とは言え特にコロナ禍なので、医療者を始め苦しむ感染者や後遺症の方、不況・貧困で悩む方の視線で問題を取り上げるのが使命ではないでしょうか。コロナ対策失態における五輪開催は、菅首相と今後の五輪そのものの印象を悪くするだけだ。
■開会式の視聴率56.4%・瞬間視聴率は61.0%|米国入場がラスト3番目なのも視聴率のため
ビデオリサーチによると、7月23日の開会式の平均視聴率(関東)は56.4%、瞬間視聴率は61.0%。1964年開会式の平均視聴率61.2%には及ばないものの、高い数値と発表した。ピークの瞬間視聴率は2回あり、ダンサー森山未來のダンスパフォーマンスと各国選手団入場開始のシーンだった。
再び投稿者の文章/ニュースで知ったが、入場行進が<あ~お順>なのでアメリカは最初のほうに入場するはず。ところが、最後から3番目だった。関係者は今後の開催都市を強調するため、最後206番目を東京(日)、205番24年パリ(仏)、204番28年ロサンゼルス(米)の順に並べたと言う(規則は先頭はギリシャ・最後は開催国)。明らかにウソ口実で、ここにも五輪の商業主義・米国NBCテレビへの忖度がミエミエ(あるいは圧力を掛けられたか)だ。本当の理由は、最初のほうにアメリカが入場してしまうと本国での視聴率が上がらないからだ。アメリカを最後のほうに持って行くための屁理屈、誰かがアイディアを考えついたのでしょう。その理屈なら、既に32年オーストラリア・ブリスベンに正式決定しているので203番目に行進すべきだった。視聴率と資金稼ぎのためには、IOCはこんなことまで認めてしまうのだ。商業五輪の「哀れ」としか言えない。本来の順は、米国はアフガニスタンに続いて8番目。実際の行進はロシアは3番目、オーストラリアは37番目だった。それにしてもバッハ会長は、何様だと思っているのか。投稿者は皇室主義ではないが、天皇と同列・同格、いやそれ以上の慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度だった。IOCと言えどもたかが民間人、勘違いが甚だしい。既号のように「ノーベル平和賞」を狙っているので、世界にアピールできることは何でもやってしまうのだ。でも逆効果と思うが。以上、投稿者はTV中継を観ていたかのような文を書く(苦)。
次号/日本選手のメダルラッシュ本当の理由は「選手強化費」大幅増加の効果によるもの
前号/それでも東京五輪の強行・辞任続きのゆがんだ姿「人間の尊厳守る理念も失った」
ROUND8 コロナ禍・猛暑下の東京五輪開催の過ち検証編 1
「五輪一色のTV中継でいいのか」NHK・民放の大騒ぎ報道は菅首相の意に沿ったもの
7/26付しんぶん赤旗 読みにくいことをご容赦
■安田菜津紀氏「メダル数と重症者数を(いっしょに)報道するのはグロテスクな世界」
上記の複写から、投稿者がピックアップした部分です/フォトジャーナリストの安田菜津紀さんは『AERA』(7月26日号)で、「オリンピックのメダルの数と重症者の数を報道するというのは、ある種グロテスクな世界」と、放送のあり方を問いかけています。緊急事態宣言を出しながら、それとまったく矛盾する五輪開催に突き進んだことが、国民への誤ったメッセージとなり、現に人出は増えています。「無観客」であっても、選手、大会関係者、ボランティア、報道関係者など、さまざまな場面で感染拡大のリスクを大きくさせています。この矛盾をそのまま放置して、五輪一色という報道のあり方を続けていいのかが、厳しく問われています。
投稿者によって、タイトル付けを行いました。
■投稿者|メディアは五輪一色にならずに様々なことを取り上げるのが使命
ここから投稿者の文章(暑い夏なので手間の掛からぬ複写)/さて投稿者は信念上、五輪のTV中継は一切見ませんが、いつもの生活パターンでNHKを始め多くの民放ニュースを見ます。57年ぶりの五輪とは言え、NHKはニュースの大半が五輪ばかりです。平常時ならともかくコロナ禍、感染スピードが急速化・感染爆発の予兆が見えるこの時期にも関わらず、コロナ関連は後半の申し訳程度の時間だけ。いくら何でも、それはメディアとして問題でしょ。そもそも、アナウンサーが浮かれ過ぎ、賛美し過ぎる。以前はそうでもなかったが、菅首相に忖度するNHK幹部の指示による”演技・演出”かもしれない。穿った見方をすれば、五輪中継を盛り上げて・盛り上げていけば国民は喜び、五輪批判も政府のコロナ対策の失敗も忘れて、秋の総選挙は票を投じてもらえるだろうとした目論見でしょう。国民は、舐められたものだ。今、NHKがやっていることが、典型的なメディアを使った国威発揚なんです。太平洋戦争も、当時のラジオ・映画ニュース・新聞が率先して煽りに煽って、悲惨な戦争へ向かわしていったのです。若い方には良い機会です、こうした異常事態が政府主導の「国威発揚」「メディアを使った煽り」であることを実体験をして下さい。
一方、新聞の第1面は過去と異なり、日本人選手が金メダルを取っても左上に小さく載せる程度で抑制的と思いきや・・・ページをめくりスポーツ欄になると、スポーツ紙のようにデカデカと過剰なほどの見出しと大きな写真が載るその矛盾さ。五輪強行開催によって国民が二分してしまったように、新聞社も社会部対運動部・広告部が二分しているのでチグハグな紙面構成になっています。新聞も五輪の公式スポンサーになっているので、基本的には五輪批判は腑抜け状態には変わりない。新聞と特にNHKは、五輪に関しても政権ではなく国民のほうを向くべきです。つまり、いつの時でもメディアは様々なことを取り上げるべきなのです。医療者や感染者は、五輪どころの話ではないのです。ある医療者は政府のコロナ対策の失態に腹を立て、感染を助長する五輪中継は絶対観ないと言う。別に医療者は毎晩コロナ対応で帰宅が遅く、観たくても観る時間がないとも言っていました。五輪開催中とは言え特にコロナ禍なので、医療者を始め苦しむ感染者や後遺症の方、不況・貧困で悩む方の視線で問題を取り上げるのが使命ではないでしょうか。コロナ対策失態における五輪開催は、菅首相と今後の五輪そのものの印象を悪くするだけだ。
■開会式の視聴率56.4%・瞬間視聴率は61.0%|米国入場がラスト3番目なのも視聴率のため
ビデオリサーチによると、7月23日の開会式の平均視聴率(関東)は56.4%、瞬間視聴率は61.0%。1964年開会式の平均視聴率61.2%には及ばないものの、高い数値と発表した。ピークの瞬間視聴率は2回あり、ダンサー森山未來のダンスパフォーマンスと各国選手団入場開始のシーンだった。
再び投稿者の文章/ニュースで知ったが、入場行進が<あ~お順>なのでアメリカは最初のほうに入場するはず。ところが、最後から3番目だった。関係者は今後の開催都市を強調するため、最後206番目を東京(日)、205番24年パリ(仏)、204番28年ロサンゼルス(米)の順に並べたと言う(規則は先頭はギリシャ・最後は開催国)。明らかにウソ口実で、ここにも五輪の商業主義・米国NBCテレビへの忖度がミエミエ(あるいは圧力を掛けられたか)だ。本当の理由は、最初のほうにアメリカが入場してしまうと本国での視聴率が上がらないからだ。アメリカを最後のほうに持って行くための屁理屈、誰かがアイディアを考えついたのでしょう。その理屈なら、既に32年オーストラリア・ブリスベンに正式決定しているので203番目に行進すべきだった。視聴率と資金稼ぎのためには、IOCはこんなことまで認めてしまうのだ。商業五輪の「哀れ」としか言えない。本来の順は、米国はアフガニスタンに続いて8番目。実際の行進はロシアは3番目、オーストラリアは37番目だった。それにしてもバッハ会長は、何様だと思っているのか。投稿者は皇室主義ではないが、天皇と同列・同格、いやそれ以上の慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度だった。IOCと言えどもたかが民間人、勘違いが甚だしい。既号のように「ノーベル平和賞」を狙っているので、世界にアピールできることは何でもやってしまうのだ。でも逆効果と思うが。以上、投稿者はTV中継を観ていたかのような文を書く(苦)。
次号/日本選手のメダルラッシュ本当の理由は「選手強化費」大幅増加の効果によるもの
前号/それでも東京五輪の強行・辞任続きのゆがんだ姿「人間の尊厳守る理念も失った」