少数派シリーズ/スポーツ
「金メダル確実!」とメディアが煽るのは視聴率を取りたいため、結果・選手を潰す
■メディアの圧力でいくつ金メダルを逃しどれだけ潰された選手がいたのだろうか?
オリンピックが近づく、あるいは大会中もTV局・新聞などのメディアが「金メダル確実!」と騒ぎ立てる。こうした煽り傾向は夏のオリンピック・冬のオリンピックを問わず、毎回、繰り返される。メディアが「金メダル確実!」と煽り、選手の特番や意気込などのインタビューを放送するのは「視聴率を取るため」や「新聞の販売数を伸ばすため」だ。「金メダル」が有望と煽れば、国民は深夜でも眠い眼をこすりながらもチャンネルを合わせてしまう。それこそ、メディアの思う壺。対象にされた選手・団体は委縮し良くて銀や銅メダル、可哀そうなのはメダルにさえ手が届かぬ場合がある。背景には、実力が銅メダルや入賞程度と思われても(それでも誇れるものだが)、そのまま予想してしまえばTVを見ない人が出てくるからだ。
選手はただでさえ国民から期待を掛けられ、さらには連日、低レベルのメディアの要求に応えなければならずプレッシャーは如何ばかりかと思う。その重圧に負けて、惨敗する選手を、過去、何度見てきたことか。結果、メディアのせいで、いくつ金メダルを取り逃し? 今までどれだけの選手が潰されてきたのだろうか? 成績が出せないと、突然、メディアは掌を返したように厳しく批判し始める。2年ごとの数々の夏冬オリンピックが開かれる度に、こうしたメディアと報道の在り方に疑問を持つ。それこそ各競技団体はこうしたことから選手を守るべきなのに、高齢・権力主義の競技団体のトップは己の保身に走ってばかり。こんな調子でオリンピックに向かえば、選手達がさらなるメディアの餌食にされてしまう。結局、メディアは選手のことを考えている訳ではなく、視聴率・購読数=自社の利益のために、選手を悪用しているだけだ。メディアの役割は、徒(いたずら)に選手を追い込むのではなく、伸び伸びした環境を作りながら選手との良い繋がりを作るべきなのだ。
■負けた選手は誰にも見られず羽田空港の職員用通路からひっそりと帰る
競技終了あるいはオリンピック終了とともに、メダル組は羽田空港ロビーで待ち構えたファン・報道陣・関係者の前を「凱旋行進」する。ここにも疑問というか、見にくさを感じることがある。帰国フライトの関係もあるが、いつものオリンピックではメダリストは帰りの便の機内から優遇され、ビジネスクラスの特権が与えられる。メダリストは羽田でもメダルを掛けて、ファンの前を歩く。それが、例のTVニュースのシーンだ。しかし予選落ちや4位以下の入賞者さえ、はっきりとコースが分けられ、空港職員用の通路から誰にも見られずひっそりとバスに乗り込む。“勝者の特権”とは言え、あまりにも差別が酷過ぎる。なぜなら開催国へ旅立つ前には、全選手を集めて「結団式」を行う。その際、「選手一丸となって・・・」の言葉は、選手や選手団役員幹部の口から何回も出た。そうであるならば、結果を問わず選手全員がファンの前を堂々と笑顔で行進すべきだ。
あまりにも勝者と敗者を分ける、国民やメディアの姿勢は問題だ。負けると悪者のごとく扱う姿は、見苦しい一言。世界には通用しなかったかもしれないが、日本を代表するトップクラスだ。もっと労(いたわ)りの心で、温かく迎えるべきなのだ。差別が勝負の厳しさ、次回へのパワーに繋がると言う人もいるが、投稿者は違うように思う。次にメダリストは、都内のメインストリートや地元の街をパレードする。「報告会」とやらで、地元の知事や首長を訪れることを”強制”される。投稿者の皮肉だが、選手が報告会で結果を報告するってことは、知事達はTVを見ていなかったのだろうか?(苦)。 申し上げたかったのは、高校野球優勝チームと同じように、選手や高校球児を利用して知事の知名度を上げるなど政治利用に使われることだ。選手を早く開放しゆっくりさせたり、次のために練習させればいいのにと思う。こんな姿を何十年も見せられてきた投稿者は、オリンピックに群がる輩を嫌う。
次号/五輪金メダル選手の「美談仕立て」の過剰報道は視聴率を取るためとは言えウンザリ
「金メダル確実!」とメディアが煽るのは視聴率を取りたいため、結果・選手を潰す
■メディアの圧力でいくつ金メダルを逃しどれだけ潰された選手がいたのだろうか?
オリンピックが近づく、あるいは大会中もTV局・新聞などのメディアが「金メダル確実!」と騒ぎ立てる。こうした煽り傾向は夏のオリンピック・冬のオリンピックを問わず、毎回、繰り返される。メディアが「金メダル確実!」と煽り、選手の特番や意気込などのインタビューを放送するのは「視聴率を取るため」や「新聞の販売数を伸ばすため」だ。「金メダル」が有望と煽れば、国民は深夜でも眠い眼をこすりながらもチャンネルを合わせてしまう。それこそ、メディアの思う壺。対象にされた選手・団体は委縮し良くて銀や銅メダル、可哀そうなのはメダルにさえ手が届かぬ場合がある。背景には、実力が銅メダルや入賞程度と思われても(それでも誇れるものだが)、そのまま予想してしまえばTVを見ない人が出てくるからだ。
選手はただでさえ国民から期待を掛けられ、さらには連日、低レベルのメディアの要求に応えなければならずプレッシャーは如何ばかりかと思う。その重圧に負けて、惨敗する選手を、過去、何度見てきたことか。結果、メディアのせいで、いくつ金メダルを取り逃し? 今までどれだけの選手が潰されてきたのだろうか? 成績が出せないと、突然、メディアは掌を返したように厳しく批判し始める。2年ごとの数々の夏冬オリンピックが開かれる度に、こうしたメディアと報道の在り方に疑問を持つ。それこそ各競技団体はこうしたことから選手を守るべきなのに、高齢・権力主義の競技団体のトップは己の保身に走ってばかり。こんな調子でオリンピックに向かえば、選手達がさらなるメディアの餌食にされてしまう。結局、メディアは選手のことを考えている訳ではなく、視聴率・購読数=自社の利益のために、選手を悪用しているだけだ。メディアの役割は、徒(いたずら)に選手を追い込むのではなく、伸び伸びした環境を作りながら選手との良い繋がりを作るべきなのだ。
■負けた選手は誰にも見られず羽田空港の職員用通路からひっそりと帰る
競技終了あるいはオリンピック終了とともに、メダル組は羽田空港ロビーで待ち構えたファン・報道陣・関係者の前を「凱旋行進」する。ここにも疑問というか、見にくさを感じることがある。帰国フライトの関係もあるが、いつものオリンピックではメダリストは帰りの便の機内から優遇され、ビジネスクラスの特権が与えられる。メダリストは羽田でもメダルを掛けて、ファンの前を歩く。それが、例のTVニュースのシーンだ。しかし予選落ちや4位以下の入賞者さえ、はっきりとコースが分けられ、空港職員用の通路から誰にも見られずひっそりとバスに乗り込む。“勝者の特権”とは言え、あまりにも差別が酷過ぎる。なぜなら開催国へ旅立つ前には、全選手を集めて「結団式」を行う。その際、「選手一丸となって・・・」の言葉は、選手や選手団役員幹部の口から何回も出た。そうであるならば、結果を問わず選手全員がファンの前を堂々と笑顔で行進すべきだ。
あまりにも勝者と敗者を分ける、国民やメディアの姿勢は問題だ。負けると悪者のごとく扱う姿は、見苦しい一言。世界には通用しなかったかもしれないが、日本を代表するトップクラスだ。もっと労(いたわ)りの心で、温かく迎えるべきなのだ。差別が勝負の厳しさ、次回へのパワーに繋がると言う人もいるが、投稿者は違うように思う。次にメダリストは、都内のメインストリートや地元の街をパレードする。「報告会」とやらで、地元の知事や首長を訪れることを”強制”される。投稿者の皮肉だが、選手が報告会で結果を報告するってことは、知事達はTVを見ていなかったのだろうか?(苦)。 申し上げたかったのは、高校野球優勝チームと同じように、選手や高校球児を利用して知事の知名度を上げるなど政治利用に使われることだ。選手を早く開放しゆっくりさせたり、次のために練習させればいいのにと思う。こんな姿を何十年も見せられてきた投稿者は、オリンピックに群がる輩を嫌う。
次号/五輪金メダル選手の「美談仕立て」の過剰報道は視聴率を取るためとは言えウンザリ