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泉房穂・前明石市長①「熱血」の源は50年以上前の弟の不遇、優しい社会へ変えたい/少数派

2024年03月16日 | 政治情勢2
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/政治情勢
泉房穂・前明石市長①「熱血」の源は50年以上前の弟の不遇、優しい社会へ変えたい


右は明石市立天文科学館

■まず投稿者の文章|明石市職員に「火つけてこい」発言が発端で全国に知られる
昨今、泉房穂氏はTV情報番組に“引っ張りだこ”だ。23年末、テレ朝「羽鳥慎一モーニングショー」に出演し、出鱈目な自民党政治をバッサリ斬った。投稿者はリアルタイムで見ており、溜飲が下がった。当日解説の“御用ジャーナリスト”の田崎史郎氏も、たじたじとなった。視聴率は、普段より5割も上がっていた。TBS「ひるおび」や“朝までテレビ”でも吠え、新聞の連載も持っている。投稿者が泉氏を知ったのは、本文のように明石市職員に「火つけてこい」とワイドショーで大騒ぎした時。でも「悪い人間ではない」と直感し、その後の言動から「熱血漢の人格者」と認識した。皆様にもお伝えしたく、毎日新聞の記者がインタビューして、まとめた特集記事をお伝えする。こういう方が政治のリーダーシップを執れば、どれだけ良くなるものを。思えば20年以上前、本文に書かれた石井紘基議員が殺されたことを覚えている。その方の下に、泉氏がいたのは初耳だった。また「熱血」の源は、障害がある弟さんのことだ。社会の冷たさに反発して、政治家になった。2回に渡り、お伝えする。

■弱い人を助けるどころか見殺しにするような冷たい社会に復讐(社会の改善)
毎日新聞を活用しました/市長を引退してから、むしろ存在感が高まっていないだろうか。兵庫県明石市の前市長、泉房穂さん(60)だ。「誰ひとり取り残さないやさしいまちづくり」を掲げた市政運営が評価された一方、問題発言が続き、毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばした。今は各地の選挙で応援に駆け回り、連戦連勝。23年8月に還暦を迎えて「第二の人生」に踏み出し、何を目指すのか。日本の政治を4時間ノンストップで語り尽くした。日曜の昼下がり、泉さんは1人で毎日新聞東京本社にやってきた。東京メトロ竹橋駅で見知らぬ女性に「握手してください」と話しかけられたそうで、にこにこしている。「東京で僕の顔を知ってくれてる人がいるのは、うれしいことやね」。こうして話をするのは33年ぶりだ。

前回は1990年の冬。泉さんは、後に民主党の衆院議員となる石井紘基・社会民主連合事務局長(当時)の秘書として、衆院選に初出馬する石井氏の選挙事務所を取り仕切っていた。私は学生ボランティアとして選挙運動を少し手伝った。東京・三軒茶屋の街頭選説で、候補者本人が話し終えた後、泉さんに突然、マイクを渡されたことがあった。「言いたいこと、何でもしゃべって」と。私は「消費税3%を貧乏学生は重く感じる」という話をした。「僕は30年も前からずっと同じことをしてきたんやな」と笑う泉さん。政党幹部でなく、名もなき聴衆に演説してもらって選挙を盛り上げるのが、昔も今も変わらぬ泉流なのだ。この衆院選で落選した石井氏に「人の役に立ちたいなら、まず弁護士になるのがいい」と助言された泉さんは、ゼロから勉強して94年に司法試験に合格した。ちなみに司法修習生の同期には橋下徹・元大阪市長がいる。

2002年に恩師の石井氏が右翼活動家に刺殺された。これを機に「遺志を継ぎ、困っている人のために法律や制度を作りたい」と衆院議員になった。11年に明石市長に転じ、在任中は悪い意味でも世間の注目を浴びることになる。道路用地買収が進まないことに腹を立て、市職員に「火つけてこい」と暴言を吐いて19年2月に辞職。翌月の出直し選で3選を果たしたものの、22年10月には市議に対し「次の選挙で絶対に落としてやる」と威圧したことが問題になり、責任を取って23年4月の任期満了で引退すると表明した。職員への暴言後、橋下さんはメールマガジンで司法修習生時代を振り返り、<泉さんは、僕より6つ年上で、当時から熱血感溢(あふ)れる人><まあ典型的な関西のおっちゃん。勢いで押していくんだけど、ちょっと走り過ぎるところがあるなとも感じていた>と評していた。「怒りを抑えられないダメな部分が出てしまった」。泉さんは改めて反省の言葉を口にした。

「熱血」の出発点は50年以上前にさかのぼる。明石市で生まれ育った泉さんには、四つ下の弟がいる。酸欠状態で生まれ、病院側は両親に「このままにしましょう」。命が助かったとしても障害が残るのは明白だから、放置して死なせるという意味だ。旧優生保護法が根拠だった。両親が泣いて懇願し、自宅に弟を連れて帰ってきた。泉さんは「弱い人を助けるどころか、見殺しにするような冷たい社会に復讐したい、これが政治を志した原点だった」と明かす。脳性まひで「一生立てない」と診断された弟だったが、どうにか歩けるようになった。だが、弟の小学校入学を前に当時の市教育委員会は「歩きにくいのなら近くの小学校でなく、養護学校へ行ってください」と伝えてきた。「障害がある子にバスと電車を乗り継いで遠い学校に行けと平然と言う。行けるわけないやんか! 10歳にして故郷を憎みました。自分がやさしい社会に変えたると決めたわけです」。半世紀前のことに、泉さんは目を見開いて激怒している。<次回に続く>

■人物略歴 泉房穂(いずみ・ふさほ)
1963(S38)年、兵庫県明石市生まれ。東大教育学部卒業後、NHKとテレビ朝日
でディレクター。2003年、民主党から衆院初当選。05年落選。11年から3期12
年、明石市長を務めた。弁護士、社会福祉士の資格を持つ。著書に「社会の変え方」、共
著に「政治はケンカだ!」など。

Sankoub
次号/泉房穂・前明石市長②各地で選挙応援・明石の子育て支援が「日本標準政策」に

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