回転寿司の真相シリーズ234皿目 第3部/回転寿司に行くなら店を選ぼう編
ROUND14 回転寿司の歴史とスタイルの変遷
1970年の大阪万博開催が全国に回転寿司の存在を知らしめた
1960年代に入り、回転寿司のシステムの奇抜さ・珍しさ・安さ、一般寿司店の欠点を廃した明朗会計から人気を呼びました。徐々に店舗を増やしつつも、まだまだエリアは大阪だけでした。回転寿司に飛躍的な展開があったのが、当時、誰もが胸踊らせた、1970年(S45)の大阪万博の開催です。万博には半年間、全国各地から6,000万人もの入場者が集まり、人・人・人でごった返し、人しか見えなかったので、万博でなく“人博”と揶揄されました。
会場には、今では当たり前の企業であるマクドナルド・ケンタッキー・ミスタードーナッツなどが“日本初上陸“出店されました。とともに日本を代表して?「廻る元禄寿司」が”出場“しました。関西以外の方には、回転寿司システムは初お目見えでした。寿司の常識から外れたシステムに、さぞかし吃驚されたでしょう。それが回転寿司人気に火を付け、その後、全国各地に、続々と開店していくきっかけとなったのでした。
因みに1970年は、大阪万博の他にも大きな事件が起きた年です。日航よど号が赤軍派に乗っ取られ北朝鮮へ飛んだ日本初のハイジャック、作家の三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊で割腹自殺、人口1億人突破、銀座など歩行者天国のスタート、ウーマンリブやノーブラ運動などです。現在はガストに生まれ変わりましたが東京・ひばりが丘に「すかいらーく」1号店、名古屋近郊にケンタッキー1号店が出店したのも、同じ1970年のことでした。
酷い実態は全ての回転寿司店を示すものではありませんが
多くの店で横行しているのも事実です。