先日「本願力にあいぬれば」のCDのお話をしましたが、そもそもこのお話をいただくにあたり、相当のご縁があったことを知らされました。
愛知県の岡崎在住の平田さんという方が、先に合唱曲での曲集「親鸞聖人のご和讃より、本願力にあいぬれば」を出版されたところからお話は続くのですが、たまたまその楽譜を目にされた一人の女性(波多野さんの奥様)が平田さんに「素晴らしい!」の声をかけられたところに話は続きます。
ここからは、平田さんのお話です
聞けば、波多野さんのご両親は熱心な浄土真宗のご門徒さんで、私の親鸞和讃の曲が13曲溜まったころ、誰もが歌えるように出版して欲しいという声をたくさんいただき、2005年に「本願力にあいぬれば」が出ました。
それが出発で、波多野均氏の奥様のみち子さんがこの曲集に目を留められ、見ず知らずの私に電話を下さり、「すばらしい。」と。それから交流が始まりました。
みち子さんはドイツに28年間暮らされ、ドイツ人に声楽を教えておられた方です。約10年前に均氏とご結婚されました。その後みち子さんは高田本山コーラス海の指導者となり、私を講師に呼んでくださったりしているうちに、私は波多野均氏のご両親にお会いしました。
ご両親はとても熱心な念仏者でいらっしゃいます。ご子息である均氏が、和讃とお念仏を歌われたら、どんなに喜びなさることだろうか、と強く感じました。
ちょうどその頃、「本願力にあいぬれば」のCDを出すべきだとの声をまた頂くようになっていました。これは是非、波多野先生に、そしてちょうど合唱団もご指導されていらっしゃることだし、と思いお願い致しました。
その時点では、音源ができればいい、くらいの軽い考えでした。しかし、波多野先生が「カメラータを知っているから、そこで録音をお薦めします。昔若いときにドイツで井阪さんに声をかけてもらったことがあり、帰国後、1度井阪さんの音楽祭で歌いました。」とのことで、井阪さんに電話してくださいました。
名古屋に来ていらっしゃる井阪さんに、一人でドキドキしてお会いして、いろいろお話しするうちに審査合格しました。井阪さんの実の母が浄土真宗のお寺のご出身で、自分は、真宗のことはよく知ってるんだと、その時言われたのが、これも不思議でした。
そんなこんなで、すべて波多野家のおかげで、1枚目のCDができたのです。
波多野家も100枚CDを買ってくださったり、他の大勢の念仏者の方が動いてくださって、1枚目が2年間で黒字、残すところあと300枚になったので、2枚目は、初めから少し勇気と元気を持って取り組みました。
これは阿弥陀さんが用いて(はたらいて)くださっている、という元気です。秋津さんに是非演奏していただきたい、とお願いするエネルギーはこれでした。すばらしい演奏をしていただけて、ほんとうに感謝しております。波多野先生にも、依頼した当初から秋津さんのことを大変喜ばれてました。
秋津さんが僧侶でなかったら、いくらチェロが上手いと感心しても頼む勇気はありませんでした。このCDは、ほんとうに仏縁でできているものだなぁ、とつくづく感じます。
「平田さんの和讃曲のおかげで、これからの若い人たちを、音楽でお寺に誘える。」と各寺院のご住職や坊守さんに言っていただけると、私もほんとうに嬉しく元気が湧きます。
以上です。
長くなりましたが、近々発売になります「本願力にあいぬれば」のCDのことについて、お話しました。
ではまた
愛知県の岡崎在住の平田さんという方が、先に合唱曲での曲集「親鸞聖人のご和讃より、本願力にあいぬれば」を出版されたところからお話は続くのですが、たまたまその楽譜を目にされた一人の女性(波多野さんの奥様)が平田さんに「素晴らしい!」の声をかけられたところに話は続きます。
ここからは、平田さんのお話です
聞けば、波多野さんのご両親は熱心な浄土真宗のご門徒さんで、私の親鸞和讃の曲が13曲溜まったころ、誰もが歌えるように出版して欲しいという声をたくさんいただき、2005年に「本願力にあいぬれば」が出ました。
それが出発で、波多野均氏の奥様のみち子さんがこの曲集に目を留められ、見ず知らずの私に電話を下さり、「すばらしい。」と。それから交流が始まりました。
みち子さんはドイツに28年間暮らされ、ドイツ人に声楽を教えておられた方です。約10年前に均氏とご結婚されました。その後みち子さんは高田本山コーラス海の指導者となり、私を講師に呼んでくださったりしているうちに、私は波多野均氏のご両親にお会いしました。
ご両親はとても熱心な念仏者でいらっしゃいます。ご子息である均氏が、和讃とお念仏を歌われたら、どんなに喜びなさることだろうか、と強く感じました。
ちょうどその頃、「本願力にあいぬれば」のCDを出すべきだとの声をまた頂くようになっていました。これは是非、波多野先生に、そしてちょうど合唱団もご指導されていらっしゃることだし、と思いお願い致しました。
その時点では、音源ができればいい、くらいの軽い考えでした。しかし、波多野先生が「カメラータを知っているから、そこで録音をお薦めします。昔若いときにドイツで井阪さんに声をかけてもらったことがあり、帰国後、1度井阪さんの音楽祭で歌いました。」とのことで、井阪さんに電話してくださいました。
名古屋に来ていらっしゃる井阪さんに、一人でドキドキしてお会いして、いろいろお話しするうちに審査合格しました。井阪さんの実の母が浄土真宗のお寺のご出身で、自分は、真宗のことはよく知ってるんだと、その時言われたのが、これも不思議でした。
そんなこんなで、すべて波多野家のおかげで、1枚目のCDができたのです。
波多野家も100枚CDを買ってくださったり、他の大勢の念仏者の方が動いてくださって、1枚目が2年間で黒字、残すところあと300枚になったので、2枚目は、初めから少し勇気と元気を持って取り組みました。
これは阿弥陀さんが用いて(はたらいて)くださっている、という元気です。秋津さんに是非演奏していただきたい、とお願いするエネルギーはこれでした。すばらしい演奏をしていただけて、ほんとうに感謝しております。波多野先生にも、依頼した当初から秋津さんのことを大変喜ばれてました。
秋津さんが僧侶でなかったら、いくらチェロが上手いと感心しても頼む勇気はありませんでした。このCDは、ほんとうに仏縁でできているものだなぁ、とつくづく感じます。
「平田さんの和讃曲のおかげで、これからの若い人たちを、音楽でお寺に誘える。」と各寺院のご住職や坊守さんに言っていただけると、私もほんとうに嬉しく元気が湧きます。
以上です。
長くなりましたが、近々発売になります「本願力にあいぬれば」のCDのことについて、お話しました。
ではまた