顔見知りの子であったり、知らない子達の中であっても、子供達が集まって遊ぶ場所で、息子がまだよく理解できないであろう頃から言い続けてきたのは、”順番を守る”ということ。
息子には兄弟がなく、家庭内では、常に自分がイチバン。でも、外ではそうでないということを教えるべきだと思っていたから。
すべり台でもおもちゃでも、面白そうなものに子供たちは殺到する。そこに我先では危険が伴うことだってある。
そのせいかな、公園でも、友達の家でも、スーパーのレジでも、息子は順番を守るし、辛抱して待てるようにもなりました。
”順番”の他にはもう一つ、”お友達に手をあげてはいけない”ということ。
これに関して今のところ、お友達を叩いたり、引っ張ったりということはあまりないみたい。性格によるところもあるのかな。
とはいえ、内向的とか人見知りが激しいというのではなく、息子の場合、”平和的に”友達と駆け回ったり、飛び跳ねたりが、楽しくて嬉しくて仕方ないといった感じ。
そこには、たとえ”真似”であっても、”戦い”の要素は不要・・・その辺が、ちょっと潔癖すぎるのではないか、男の子なんだから・・・とも思うほど。
子供たちは、それぞれ性格が異なれば、興味を持つこと、遊び方にも違いがある。
気持ちが高揚してくれば、誰よりも先に遊具やオモチャに飛びつきたくなってしまう子もいるし、戦闘モードに入ってしまう子もいるし。
そんな場面に遭遇した時、息子は『えっ?!・・・(何で?)・・・』という表情を見せるのだけど、結果的に割り込みを許すし、掴まれた腕や服を振り払うでもないし。
怪我につながるような強い力がそこに働いていない限り、または、同じことが繰り返されているのでなければ、なるべく私は口出しせず、子供たちの動向を見守ったり、それとなく注意したりという立場でいるのだけど。
『ちがうよ』とか『やめて』と、息子が言えたらいいなと思いつつ。
いじけて私の元にすがってくる時には、『されて嫌だったら、”やめて”って言うんだよ』と教えるけど。
自分で言えるようになるには、もうちょっと時間がかかりそうかな。
幼稚園に行けば様々な子がいて、自分たちで解決しなければならない場面にも遭遇するだろう。
今は、そのための準備期間。息子にとって100%楽しいとはいえないシーンでも、その乗り切り方や我慢も少しずつ身に付けてね、とちょっとハハは意識的に距離を置いたりしているんです。
でも、帰宅してから『仲良く遊べたね♪』とか『えらかったね』と息子の目を見て伝えると、すごく喜ぶ訳ではないけれど、安心したような表情をする。
ハハはちゃんと見ているんだよということが、3歳の息子にも伝わっているのかな。そうだといいのだけど。
*子供たちの遊びの中で、色んな場面、思いもよらないシーンに遭遇し、子供だけでなく親だって戸惑うことも実はたくさん! 色んな子がいて色んな親がいて、考えさせられたり、学んだり・・・そんな毎日です。
その大変さを感じております。。。
最近、幼稚園を舞台にしたドラマの「斉藤さん」を見ています。
様々な子に、様々な親がおり、
小さなことでも
「間違っていることは、間違っているということを伝えないとダメ!」
という「斉藤さん」の姿勢を支持しつつも、
当たり前のことが結構難しいんだよね。。。と思いながら観てる自分がいるのでした。
そもそも、”当たり前”のとらえ方も、人それぞれだしね。
自分だけのことならね、自分がどう思われようと、『別にいいもんね~』と、開き直っちゃえばいい時もあるけど、そうできない難しさもある。
特別な教育をしている訳でもないし、望んでいる訳でもないけど、育児は正直言って、大変!
それは事実だと思うよ。
でも、思いがけない喜びや笑いも沢山もたらしてくれます。
親に育ててもらったから、今は、育てる側の立場にあるのだな、と。
まさに、My turn!! なのであります。
・・・それから・・・、タイトルを思いつかず、時々、横文字なんぞ使ってみたりするのですが・・・ちょっとヘンだぞ!な時は、そぉっと教えて下さいね(笑)。
まだ日本には「救い」があると思うのですが、、、
残念ながら今の環境って
「この子さえ良ければ」
「一番になりなさい」
「なんでうちの子だけ」
「うちの子に限って」
の一辺倒なような気がしています。
「はい」「ありがとう」「すみません」「おかげさま」
これを教えるだけでも
日本はどんなに変わる事だろう。。。
taroの顔、特に遊んだりしている姿を見ていても、
今回書かれているatsuさんの方針、なんとなく感じておりました。
いい親御さんに恵まれ、taroは幸せだわと。
自分は、そう思います。
”我が子カワイイ”のは、どこの親も一緒。でも、時に、客観視も必要だな、と。我が子のこと、自分のことも。
実はワタシ、特別コドモ好きでもなく、親になる自分というのも想像したこともなく、理想像も持たなかった訳でして・・・こんな親を持つ息子がシアワセなのかどうかは、甚だ疑問です・・・が、それはさておき、taroのハハとなってから、よそのコドモもカワイイと思うようになりましたねぇ。息子の存在は、思わぬ変化(効果?)を私にもたらしたようです。
そうそう、うちの息子クン、返事は『はい!』ですよ。
これって、他のママさんには新鮮に聞こえるようだし、スイミングのコーチにも褒められました♪
言葉を話すのが、”超”遅かった息子は、3歳近くまで『はい』だけでコミュニケーション。返事は勿論、呼び止めるのも、”欲しい”も”あげる”も全て『はい』(&ジェスチャー)。つまり、躾というより単にその名残。
そういえば、”おかあさん”が言えるようになった2歳4ヶ月までは、私も夫も『はい、はい』って感じで呼ばれてたっけ。それも思い出になりました。