BLOWING WIND・風のふくまま

風の吹くまま気まぐれな日々     
  明日も良い日になりますように。

『ジュリー&ジュリア』 60点

2009-12-17 20:49:58 | goo映画レビュー

ジュリー&ジュリア

2009年/アメリカ

ボナペティ

プロフィール画像

tatsujiiさん

男性

総合★★★☆☆ 60

ストーリー ★★★☆☆60点

キャスト ★★★★☆75点

演出 ★★★☆☆60点

ビジュアル ★★★☆☆60点

音楽 ★★★☆☆60点

メリル・ストリープが素のままで楽しそうに演じているように見えるほど
魅力的に感じる、明るくおおらかで何にでも好奇心が一杯の女性、彼女が作り
ボナペティと差し出されたらどんな料理も美味しく見えそうだ。

せっかくの料理映画なのだが詳しいレシピや作る過程があまり紹介されない
見るからに美味しそうな料理が出来上がって行く所や綺麗に盛り付けられた
料理の最初の一切れの切り口からあふれる美味そうな香りををじっくり見せて
思わずゴクリと喉が鳴るような場面が欲しかった。

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映画 『ジュリー&ジュリア』

2009-12-17 20:30:12 | 映画
 映画『ジュリー&ジュリア』@TOHOシネマズ・シャンテ

脚本・監督: ノーラ・エフロン

出演:メリル・ストリープ、エイミー・アダムス

ジュリー&ジュリア - goo 映画

およそ50年前にフランス料理を一般の家庭に紹介し、アメリカの食卓に
一大革命をもたらした伝説の料理研究家ジュリア・チャイルドと、
彼女の料理本に登場する524レシピを1年にわたって毎日作り続けブログに
綴ることを決意した現代のOLジュリー・パウエル。

そんな2人の実話を基に、悩める2人の女性の人生が料理を媒介に時を越えて
重なり合うさまをハートフルに描く女性ドラマ。






ボナペティ!!食べることが大好きなジュリア(メリル・ストリープ)
第2次大戦後のパリに夫の赴任と共に訪れすっかり料理に目覚めて
名門料理学校のコルドンブルーで料理修行する事になる。

プロのシェフの養成学校に素人の主婦が入り込みドタバタ大騒ぎになるが
彼女の持ち前の明るさと強い意欲でしっかりと料理を身に付けて行く。

一方50年後の2002年、彼の仕事の都合でニューヨークに引っ越して来た
ジュリー(エイミー・アダムス)は周りの友人はキャリアーを誇る仕事をして
いるが自分には誇れるものが無い。

悩みぬいたジュリーは大好きな料理で尊敬するジュリアの書いたレシピのすべてを
自ら作りブログに書く事を思いつく、目標は全レシピ544種類を1年間で作る事。

50年前、素人の主婦がコルドンブルーを修了し、アメリカ人のためのフランス料理
のレシピ本を完成させアメリカの家庭料理に革命を起こしたと言われるジュリア。

2002年ジュリアのレシピを学び自ら作ることで同じく一人の女性として誇りを
持てるようになるジュリー。

物語は50年を隔てた二人の物語を同時に進行して時代が違っていても女性として
仕事として認められるようになるまでの悩みやトラブルを描く。


メリル・ストリープが素のままで楽しそうに演じているように見えるほど
魅力的に感じる、明るくおおらかで何にでも好奇心が一杯の女性、彼女が作り
ボナペティと差し出されたらどんな料理も美味しく見えそうだ。

せっかくの料理映画なのだが詳しいレシピや作る過程があまり紹介されない
見るからに美味しそうな料理が出来上がって行く所や綺麗に盛り付けられた
料理の最初の一切れの切り口からあふれる美味そうな香りををじっくり見せて
思わずゴクリと喉が鳴るような場面が欲しかった。



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遂に遂に寛平さんアジアに入りました!!

2009-12-16 21:25:14 | Weblog
 遂に遂に寛平さんアジアに入りました!!

アースマラソンに挑戦中の寛平さん

スタートしてから363日目にヨーロッパを横断し

遂にアジアに入りました。





ヨーロッパ総移動距離 4177.7km
        RUN日数 115日
        RUN時間 734時間44分

一歩60cmの積み重ねがこの途方もないデータになり
遂にはヨーロッパを抜け、アジアに帰ってきました。

この素晴らしい挑戦を応援して下さい

当ブログ左欄の『ガンバレ寛平』からご覧になれます。
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『バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>』 80点

2009-12-15 20:21:00 | goo映画レビュー

バグダッド・カフェ <ニュー・ディレクターズ・カット版>

1987年/西ドイツ

20年前

プロフィール画像

tatsujiiさん

男性

総合★★★★☆ 80

ストーリー ★★★★☆75点

キャスト ★★★★☆80点

演出 ★★★★☆75点

ビジュアル ★★★★☆80点

音楽 ★★★★☆90点

荒涼たる砂漠の真ん中の寂れたドライブイン
白茶けた砂漠、砂埃の舞うだだっ広い空
他には何も無い中で何かが始まる期待感と共に
映画の出だしから懐かしの名曲「Calling you」が掛かって
すっかり物語の世界へ引き込まれる。

20年前の映画を監督自身によりデジタルリマスターした物、
20年前にも話題になったと思うが見ていない、その頃は何をしていた
頃だったのか、などと思い浮かべながら、テーマ曲に聴き入ってました。

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映画 『バグダッド・カフェ』

2009-12-15 19:58:28 | 映画
映画『バグダッド・カフェ』@ユーロ・スペース

<ニュー・ディレクターズ・カット版>

監督:パーシー・アドロン

製作国 西ドイツ、初公開年月 1987年

出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒト、 ジャック・パランス

主題歌: ジェヴェッタ・スティール 『コーリング・ユー』

あらすじ: アメリカ西部の砂漠の真ん中にたたずむ寂れたモーテル、
バグダット・カフェに、夫とけんか別れしたドイツ人旅行者ジャスミン
(マリアンネ・ゼーゲブレヒト)がたどり着く。

不機嫌な女主人ブレンダ(CCH・パウンダー)が営む店は変わり者ばかり集まり、
いつも気だるいムードが漂っていた。ジャスミンが現れてから、店に集う皆の心が
癒やされていく……。
(シネマトゥディより)





ロスアンゼルスとラスベガスの間の砂漠の真ん中で

ドイツ人夫婦がドライブ中に大喧嘩になり奥さんは亭主と別れ

車を降りて大きな荷物を引きずりハイウェイを歩き出す。

ハイウェイ沿いに有る寂れたドライブインとガスステーションとモーテル

他には何も無い。


 荒涼たる砂漠の真ん中の寂れたドライブイン

白茶けた砂漠、砂埃の舞うだだっ広い空

他には何も無い中で何かが始まる期待感と共に

映画の出だしから懐かしの名曲「Calling you」が掛かって

すっかり物語の世界へ引き込まれる。



『バグダッド・カフェ』挿入曲 ♪Calling you/Jevetta Steele




 20年前の映画を監督自身によりデジタルリマスターした物、

20年前にも話題になったと思うが見ていない、その頃は何をしていた

頃だったのか、などと思い浮かべながら、テーマ曲に聴き入ってました。



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デジブック 『 イルミネーション』

2009-12-14 10:11:37 | デジブック

 デジブック 『 イルミネーション』

銀座・日比谷のXmasイルミネーションです。

丸の内ナイトクルーズというイベントが有るようです

寒いけど暖かい準備をしてお出かけしてはいかがですか。

http://www.marunouchi.com/night_cruise/event/index.html





Xmasイルミネーションのデジブックです。

http://www.digibook.net/d/9d15cb17b1da9a85a74553f7882afcbf/?viewerMode=fullWindow



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Xmas イルミネーション 銀座・丸の内

2009-12-13 09:10:50 | 写真
映画を見た帰りに銀座・丸の内の

Xmasイルミネーションを見に行った。





丸の内のミレナリオもやらなくなり

例年より少し淋しい気がする

不況の影響が少し出ているのだろうか。


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マイケル・ジャクソン オックスフォード スピーチ

2009-12-12 09:15:23 | Weblog
マイケル・ジャクソン オックスフォード スピーチ 2001年

マイミクの日記から許可をいただき転載します。





全文の原文を見つけましたのでリンクを紹介します。
http://www.allmichaeljackson.com/speeches/oxforduni01.html
Heal The Kids - Oxford Speech



(一部抜粋ですが、かなりの長文です)

神の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、
プロとしてのたくさんの夢をかなえることができました。

しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。

5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、
実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。

今夜わたしは、ポップの聖像(この意味はともかく)としてでなく、
同世代、つまりもう子どもではない世代の聖像として、ここに立っています。

私たちはみな、幼児期の産物です。

子ども時代は、人格形成に大きく影響します。

でも、わたしにはすばらしい子ども時代はありませんでした。

両親や周りの大人からの愛情を一身に浴び、最大の心配事といえば月曜日の朝のスペリングテストしかないような、夢中になって遊べるはずの貴重な時期を過ごさずに来てしまいました。

ジャクソン・ファイブをご存じの方は、わたしが若干5歳という年齢でデビューしたことをご存じでしょう。

それ以来、歌い、踊り続けています。

ステージに立っている時や音楽を作り出している時は確かに大きな喜びで満たされていましたが、小さいころのわたしはそれよりも何よりも普通の少年でいたかったのです。

木の上に家を作ったり、水風船をぶつけっこしたり、友だちとかくれんぼしたりしたかったのです。

でも、これはわたしの運命で、周りで遊んでいる子どもたちの笑い声をうらやむことしかできませんでした。

……

みなさんの同情を買うために、この話をしたのではありません。

わたしが言いたいのは、子どもらしくない幼児期を過ごしているのは、ハリウッドの子役たちだけではないということです。

今日、それは世界共通の不幸であり、世界的規模の悲劇です。

現代では、子ども時代が悲惨な状況になってきているのです。

喜びを感じたことのない、権利を与えられない、自由を許されない、子どもらしさを知らないたくさんの子どもたちが生み出されているのです。

今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、できるだけ速やかに通過することを求められます。

この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。

わたしたちは、親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本を出しています。

無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはならないのです。

かつて世代間を結びつけた強力なのりがはがれるように、愛を与えられない子どもたちは、両親、祖父母、ほかの家族たちから距離を取りつつ成長しています。

こうして、新しい世代――O世代と呼びましょうか――が生み出されました。O世代はX世代から、バトンを受け取りました。O世代は富も成功も、きれいな服も、かっこいい車もすべて手に入りますが、心はやるせなさで満ちた世代です。

彼らの胸の空洞、心の底に広がる荒野、中心にぽっかりあいた空間も、かつては鼓動や愛で満たされていたはずです。

そして、苦しんでいるのは子どもだけではありません。大人も同じです。

子どもの体をした小さな大人を育てようと努力すればするほど、大人の中の子どもらしさも失われていきます。大人の生活にも、子ども的な部分を必要とする場合がたくさんあるのです。

みなさん、

愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。

世代から世代へと受け継がれていく宝です。

昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。家には電気も通らず、セントラルヒーティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。

しかし、家は暗くも寒くもありませんでした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子どもたちのことを最優先に考えたのです。

……

どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。

髪の色が赤か茶色かを知る以前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならないのです。

12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきました。

その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。

少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。

「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。

少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。

わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。

「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たいんだ」。

そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。

――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。

少年は今天国にいます。

おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。

わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなっていました。
あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。

少年はちょうど10歳でした。少年が持ちこたえようとベストを尽くしたことは間違いありません。

彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実感していたことだけは確かです。

わたしは彼のことが大好きでした。愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。

クローバー愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている実感をもってこの世から去るなら、
生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。 クローバー

たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。

上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。会社の同僚に打ち負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。

愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。

自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからです。

それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。

しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。

どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。

本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。

生まれた時に、享受できなかったものなのです。

想像してみてください。

ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。

399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。

これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。

実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為が多発しています。アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。

しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみがないわけではありません。

調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをしたり、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。

こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているのです。

イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!

……

この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。

子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。

アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。

放っておかれるという形の虐待。

あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。

両親が帰宅する。 でも、本当にうちに帰ってきたのではない。

頭の中はまだ仕事場にある。じゃあ、子どもたちは?

与えられた感情のかけらで間に合わせているだけ。 そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。

なぜわたしが自分の時間や財産の多くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。

わたしは統計の示す悲しい数字に、魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。

私たちの活動の目標は単純です。

――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。

わたしは、今日初めて公に講演をしています。

みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。

人にはそれぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。子育てはダンスのようだと言われます。

親が足を一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。

ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。

子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。

……

ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世界中の子どもたちに呼びかけているのです。

今日ここにいる人からはじめましょう。許してあげてください。

もう一度愛する方法を親たちに教えてあげてください。

わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強要しました。

父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。

ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。

そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。

父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように思われました。

その点における父の力はずば抜けたものでした。父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできませんでした。

でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。

自分を愛してくれる父親がほしかったんです。

父は愛情を示してくれたことがありませんでした。

目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。

肩車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。

でも、4歳のころ、小さなカーニバルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。

それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、父は忘れてしまったことでしょう。

しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。

子どもとはそんなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。

わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。

たった一回の経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。

自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問しました。

もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わかってほしいと思います。

しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。

パパラッチに追いかけられるので、公園や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?
わたしの選んだ道があの子たちにどんな影響を与えるのでしょう?

どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。

その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと思います。

「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、ぼくたちを愛する努力をしてくれた」

とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。

あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでなく、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。

わたしたちはみな人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。

このことを考える時、つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを思わずにいられません。

子どものころ、愛されたという実感はないけれど、
父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得ないのです。

父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。

愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。

子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。
―兄弟みんなそうでした。シロップに覆われたドーナツが大好物で、父はそのことを知っていました。

数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。

まるでサンタクロースみたいでした。 夜中まで起きていて、ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。

でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなることを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。

父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。

しかし、ドーナツの件ではわかっていたようです。心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。

ちょっとしたことで完全ではありませんが、その記憶は 

“父ができることをしてくれた”

ということです。

そこで今日これからは、

クローバー父がしてくれなかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。クローバー

そして、父を非難するのをやめようと思います。

わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。

父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。

わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子どもたちを厳しく育てました。

アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつかないでしょう。

……

父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。

心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。

そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子どもたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。

父の厳しさはひとつの愛情の表れだった。

完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。

父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。

自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。

時とともに、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。

怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。

復しゅうしたいと思っていたところも、折り合いをつけられるようになりました。はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。

10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。

わたしは心で感じたことを、その名に託しました。よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の基盤となっていることを聞きました。

みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にいやせると信じているとお思いですか?

わたしが子どもたちを本当に癒せると考えているとお思いですか?

コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

1993年に2歳で殺害されたジェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?

―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじまるのです。

世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。

子どもたちをいやすためには、まず子どもたちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。

わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉めました。

みなさんにも、そうしてほしいのです。モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。

親を非難するのではなく、尊敬しましょう。

物事をいい方向に考えましょう。

だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思うのです。

父を許したい。「お父さん」をほしいから。

結局わたしには彼しかいないのです。わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父との新しい関係を踏み出したいのです。

過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。

□憎しみに満ちた世界でも、望みをもたなければなりません。

□怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。

□絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。

□不信感に満ちた世界でも、信じなくてはなりません。

親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。

親にあざむかれたとお思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。

親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してください。

ご両親に無償の愛を与えてください。

これは、みなさんに望むことであり、

自分自身に言い聞かせていることでもあります。

そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。

そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻されるでしょう。



みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。

わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。

インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。

「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」

さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。

子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。

ジェシー・ジャクソンの言葉にあるよう、

互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。

許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。

しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。

結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。

みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。

世界をいやし、痛みを取り去ろう。

そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。


Michael Jackson
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映画 『キャピタリズム』

2009-12-11 11:29:29 | 映画
映画『キャピタリズム』@TOHOシネマズ・シャンテ

監督:マイケル・ムーア

キャピタリズム~マネーは踊る~ - goo 映画


『ボウリング・フォー・コロンバイン』のマイケル・ムーア監督が
キャピタリズム(資本主義)支配下の経済問題に迫るドキュメンタリー
巨大企業が利益を追求すると、世界にどのような影響が出るのかを検証する。






マイケル・ムーア監督は

『ボウリング・フォー・コロンバイン』ではアメリカの銃社会問題に噛み付き

『華氏911』ではブッシュ大統領の無能ぶりを皮肉り

『シッコ』ではアメリカの医療問題に突っ込みを入れた。

ドキュメンタリーとしては監督自身のアポ無しの突撃取材なども有り
エンターテイメントとしても十分楽しめる内容の映画だった。

さて、今回は「キャピタリズム」アメリカ資本主義に噛み付こうと
という訳だが、ちょっと相手がでかすぎて狙いが絞れなかったようだ。

ニュース画面をつないで監督のナレーションでつなぐシーンが多く
監督もかなりお疲れのようでいつもの切れとブラックユーモアが
不足気味に感じた。

オバマ大統領の誕生と並行するかのように敗者だった民衆が立ち上がり
助け合い、巨大資本に立ち向かうアメリカの変化が描かれるが
民衆の力は果たしてキャピタリズムに対抗し得るのか。

教訓としては弱者は助け合って泣き寝入りしないで
正当な主張はきちんと堂々とするべきであるという事だろうか。




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『キャピタリズム~マネーは踊る~』 65点

2009-12-10 22:39:43 | goo映画レビュー

キャピタリズム~マネーは踊る~

2009年/アメリカ

マイケル・ムーア

プロフィール画像

tatsujiiさん

男性

総合★★★☆☆ 65

ストーリー ★★★☆☆60点

キャスト ★★★☆☆70点

演出 ★★★☆☆60点

ビジュアル ★★★☆☆60点

音楽 ★★★☆☆60点

今回は「キャピタリズム」アメリカ資本主義に噛み付こうと
という訳だが、ちょっと相手がでかすぎて狙いが絞れなかったようだ。

ニュース画面をつないで監督のナレーションでつなぐシーンが多く
監督もかなりお疲れのようでいつもの切れとブラックユーモアが
不足気味に感じた。

オバマ大統領の誕生と並行するかのように敗者だった民衆が立ち上がり
助け合い、巨大資本に立ち向かうアメリカの変化が描かれるが
民衆の力は果たしてキャピタリズムに対抗し得るのか。

教訓としては弱者は助け合って泣き寝入りしないで
正当な主張はきちんと堂々とするべきであるという事だろうか。

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習作

2009-12-10 11:10:48 | Weblog
Photoshopで作ってみたコラージュの習作です。

タイトルは画のイメージから後でつけました。





出来上がると何でもない画になりますが

Photoshopを使いこなせていない為

手数と時間だけは掛かってます
コメント (2)
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夜景

2009-12-09 11:15:36 | 写真
 有楽町へ映画を見に出かける

映画が終わる頃はすっかり暗くなっている

有楽町周辺もXmasのイルミネーションが飾られていて

とても華やかな雰囲気になっている。





今年も銀座・丸の内のXmasイルミネーションの

写真を撮りに出かける季節が来た

いつも寒い中を歩き回るのだが

この季節にしかない華やかな夜景を撮りに

冬のカメラ散歩を楽しみにしたい。



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自然教育園

2009-12-08 11:01:14 | Weblog
庭園美術館の散歩に続いては
お隣の自然教育園に向かいます。

ここは目黒から近い都内に有るとは思えない
自然のままの地形と樹木が残されていて
深い山奥に分け入ったような気分になれる場所です。





池に移る景色などちょっとしたハイキング気分です
庭園美術館と自然教育園の写真をデジブックにしてみました。






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庭園美術館

2009-12-07 12:36:33 | 写真
紅葉の見頃には少し遅いのですが
目黒の庭園美術館に出かけました。

美術館では古伊万里展をやってましたが
今日は庭園だけの入場です。

日本庭園の紅葉はほとんど散ってしまってました
芝生のある洋庭園も薔薇が淋しく一株だけ咲き残ってました。

好天の日曜日とあってカメラを持ったグループや
スケッチをするグループなどで賑わっていました。





庭園の銀杏の下には落ち葉が積もり

上を歩くとカサカサと音を立て

フワフワした足元が心地よい

銀杏の黄・紅葉の赤茶色・山茶花のピンク

カラフルなグラデーションの絨毯の上を歩く

初冬の贅沢な散歩でした。



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アングラ

2009-12-05 20:25:35 | Weblog
 新宿3丁目アンダーグランド

怪しい場所にある妖しいアングラ芝居
知り合いの娘さんが出演しているので
この機会に久々にアングラ芝居の鑑賞をした。

舞台版『妹と油揚』at SPACE雑遊

作・演出:天願大介

出演:寺十 吾、鴇巣直樹、外波山文明、若松武史
 
   月船さらら、出口結美子

作・演出の天願大介氏のコメント

悪意と怪異とエロスに妖怪とサウナを足し、八戸産の隠し味を加えて
美女と怪獣たちをじっくり煮込んだ極上の闇鍋です。
新宿の地下深くにお座敷を用意いたしました。
どうぞ心ゆくまでご賞味ください。







新宿3丁目に在るアングラ劇場・SPACE雑遊に急な階段を下りていく
50人も入れるかと思われる客席と手の届く様な舞台
開演前の劇場は仄暗くほぼ満席の客で静かなざわめきが有る。

低い天井には換気装置の配管や照明器具がむき出しで見える
その装置類を張り巡らし蜘蛛巣の様に荒縄が張ってある
これも舞台演出の一部のようだ、舞台は古びた民家の一部屋の様で
正面に田舎の古い家にあるような4枚のふすまが閉じている。

上手には小さな台所、下手には冷蔵庫や物置棚、壁にはハンガーに着替えが
掛かっている、生活感を表現しているような舞台装置だ。

アングラ劇場ならではの舞台と客席の近さと一体感がある
役者もアングラ界では知られた名優、怪優の出演で
舞台での存在感に圧倒される。

美女と野獣、妖怪とエロス、まさに闇鍋のごとく混沌とするが
もっと魑魅魍魎のおどろおどろしい世界かと思っていたが
意外やコミカルで昔のアングラ芝居とはかなり違った印象だと思った。
闇鍋はお腹一杯いただきました。

芝居が終わり、急な狭い階段を上がり地上の現実に戻ると
師走の冷たい雨が降りしきっていた。





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