高台寺の圓徳院は、もとは北政所の屋敷であったところです。現在は上図の本堂である方丈と、その北側にある北書院から成り立っていますが、最初は北書院の位置にあった北政所化粧御殿とその前庭のエリアのみが屋敷地でした。
その北政所化粧御殿とその前庭は、慶長十年(1605)に伏見城の建物と庭園を移したものでした。現存していれば、伏見城の貴重な建築遺構として国宝か重要文化財に指定されているでしょう。
ですが、寛政元年(1789)2月の高台寺の火災で小方丈や庫裏などが焼失したため、寛政七年(1795)に圓徳院の北政所化粧御殿を高台寺の小方丈にするべく解体、移築しました。その代わりとして新たに北書院が建立され、現在に至っています。なお前庭は、伏見城からの移築のままに現存し、国の名勝に指定されています。
高台寺の小方丈となった北政所化粧御殿のほうは、文久三年(1863)7月に放火で焼失してしまいました。それ以後ずっと再建されないままでしたが、昭和63年の高台寺執事会にて再建が決定し、客殿建築検討委員会が設立され、北政所ねね様四百年遠忌記念事業の中核として建物の再建が進められています。
今年2024年は北政所ねね様四百年遠忌にあたり、小方丈の建物は2025年秋の竣工を目指しています。この日も屋根銅板寄進の窓口が開かれていましたので、U氏が「折角のご縁だ、我々も寄進しよう」と言い出して、二人で揃って寄進台帳に記帳し、それぞれ10口ずつを寄進しました。
上図の本堂は、慶長十年(1605)に木下利房により客殿として建てられたものを寛永九年(1632)の寺院化にともない方丈として現在に至っています。つまりは圓徳院創建時以来の建物ですが、文化財指定は受けていません。
本堂の背面部分にあたる控室は、文化財展示室になっていて、仏像や襖絵などが並べてありました。U氏が熱心に見ていたのが上図の韋駄天立像でした。室町前期頃の作とされ、もとは木下家の念持仏であったのを、高台寺屋敷を創設したおりに移安したといいます。
韋駄天立像の説明文です。普段は秘仏で非公開ですが、北政所ねね様四百年遠忌記念事業に関して修復され、特別に公開されている旨が書かれています。U氏が「滅多に見られない仏様を拝ませてもらってるわけか」と感心しつつ、韋駄天像と説明文とを交互に見ていました。
韋駄天立像の隣には、桐紋を並べた唐紙に山水図を墨で描いた襖絵が展示されていました。U氏が「これだ、これだよ、長谷川等伯大先生の襖絵・・・」と言い出したのを抑えるように「あくまでも伝承や。長谷川等伯の筆と確認されたわけではない」と応じました。
「なんだ、違うのかね・・・」
「確証が無いだけや。長谷川等伯の筆というのはまず間違いないと思う。それに、これは精密な複製品やで。レプリカや」
「えっ、レプリカにしてはよく出来てるな。本物に見える」
「ここ十数年で文化財の複製技術が格段に進歩してるからね。AIを駆使しての精密な複製も最近は出とるよ」
「ふーん、すると本物は?どこかにしまってあるのか?」
「確か、京都国立博物館と石川県の七尾美術館に寄託されとる筈や」
続いて本堂からの通廊の途中の蔵のような建物内の展示室で、上図の北政所の調度品などを見ました。いずれも高台寺蒔絵と呼ばれる高度な技法による美しい蒔絵を施されており、豊臣家の財力と美的思想がリアルに偲ばれます。
高台寺蒔絵についての説明文です。本やネットにおける高台寺蒔絵の解説類は、書いた人が高台寺蒔絵の何たるかをよく分かっていないような、いまひとつの内容が殆どなのですが、こちらの説明文は有名な蒔絵師の方が書いているようで、しっかりした内容になっています。実際に制作している人でないと分からない表現や用語がみられますが、分かりやすく書かれていて、誰でも読めるようになっています。
高台寺蒔絵についての説明文の続きです。横長なので一枚の写真には収まりませんでした。
最後に北書院へ回り、その前庭を見ました。この庭園が、慶長十年(1605)に伏見城より北政所化粧御殿とともに移されてきた前庭にあたります。伏見城にあったときは池泉回遊式の庭園でしたが、現在地に移した際に敷地面積が縮小したため、枯池泉座視式の庭園に改めているそうです。つまりは池、水面部分が無くなったわけです。
特徴としては、庭の東にある築山から枯滝を枯池に落とした2島を配置し、これらを3本の石橋で結ぶという形式が挙げられます。安土桃山時代の典型的な枯山水の書院庭園のタイプで、全体に巨岩を多数配置する点は、大きなものを好んだ豊臣家の趣向をも示しています。
拝観順路の最後は、上図の大黒天堂でした。 豊臣秀吉の念持仏であった三面大黒天像の写しが祀られています。堂自体は京都御所の鎮守大国殿を移築したものであるそうです。
U氏が「像の写し、って要するにレプリカのことだろ?」というので、そうだ、と頷いておきました。「本物を祀ったらまずいのかね・・・」と首を傾げていたので、「防犯対策やろな。盗難を恐れたんやろ」と応じておきました。
大黒天堂の脇にある案内板です。右側には北書院の庭園の説明文もあります。 (続く)