大代川側線の見学に行く途中の道の、左手の広場には、御覧のように蒸気機関車の部品や車輪とおもわれる多数の金属の部品が置いてありました。修理やレストア中の蒸気機関車に関連する大量の部品の置き場であるようです。幾つかは赤錆が進行して金属自体がボロボロになっていました。
うわー、こりゃ凄いなあ、と思わず声が出てしまいました。蒸気機関車の生のパーツをこんなに沢山見るのは、生まれて初めての事でした。子供の頃に蒸気機関車のプラモデルを父に作って貰った記憶がパッと頭に浮かびました。
私の父は、鉄道工学の専門家で、旧国鉄、JR、名鉄の色々な車輌の設計や製造に関わった技術者でもありましたから、こういう部品のそれぞれも、全部知っていた筈です。蒸気機関車のプラモデルを作ってくれた時も、パーツの名前を一つ一つ私に教えてくれたのですが、いま覚えているのは、ほんの一部に過ぎません。
なので、上図の部品類も、手前右側の投炭口ハッチ、その2つ隣の片端が円錐形になっている泥溜タンクしか分かりませんでした。
この二つの大きな丸いのは、ボイラーの上に乗っている部品です。左のは頂部にハッチがあるので砂溜め、右のはサイズややや大きいので蒸気ドームだろうと思います。
父が遺した大量の青焼きの車輌設計図のうち、蒸気機関車のは、C10形、C11形、C12形、C55形、C56形、D51形、D52形、D62形、E10形の9種類がありましたので、大井川鐡道で使用されているC10形、C11形、C12形、C56形の4種の図面のコピーをとって持参すれば良かったな、と思いました。
再度ここに来る機会があれば、図面のコピーを持って来よう、と決めました。
沢山あるので、色々見入ってしまいました。上図の中央右寄りにあるのは煙突のようですが、上部に巻環の痕跡が見えますので、たぶんC11形190号機の煙突だろう、と推測しました。
C11形190号機はその時はトーマス号に扮していて、さっき新金谷車両区で見ましたが、その構成部品の大半はそれ以前にトーマス号を担当していたC11形227号機のそれを受け継いでいる、と聞いたことがあります。
なので、ここに置かれている部品の幾つかは、C11形190号機の部品であるのかもしれません。
これは左右の水タンクですね。上面の2ヶ所に吊り上げ用の円環が付いていて、整備の時にこれにクレーンを引っかけて吊り上げて外します。戦車の砲塔とかにも似たようなパーツがあるなあ、と思い出しました。
これは除煙板のようです。デフとも呼ばれますが、これは標準型のタイプです。外から見ると薄い板のように見えますが、内側から見るとこのようにちゃんとフレーム材があって、各所に溶接とリベット留めで合板が重ねてあり、強度の確保がなされていることが分かります。
さきほど見た左右の水タンクはいずれも内側を外側に向けて並べてあります。つまり外側同士をくっつけて並べてあります。
外側にはナンバープレートの係止枠が付いており、整備中はナンバープレートは外してその下の表面にナンバープレートの数字をチョークとかで仮メモしてあるのですが、それが上図の状態では見えませんので、どの機関車の水タンクなのかが分かりませんでした。たぶん、C11形190号機の部品だろう、と思います。
パイプ類です。細いのはたぶん冷却管、太いのはボイラー室に付属する過熱管の一部だろうか、と推測しました。
このへんは、何の部品なのか全然分かりませんでした。
カゴやバケツの中には小さな部品や細かいパーツが沢山積まれていました。
この「元ダメ バン」のペイントは何を示すのでしょうか・・・。
ネジやワッシャーなどは殆ど赤錆まみれでした。再利用して活かすことがあるのだろうか、と思いました。以前に川本氏に聞いた話では、最近はこういった古い金属部品でもレーザーで加工して錆落としして新品同様に戻せる技術が普及しているので、再活用の範囲が広がっている、ということです。
上図のパーツ類も、こうしてここに集めて置いてあるので、少なくとも廃棄対象ではないことが分かります。蒸気機関車の部品なんて今では新品が製造されていない筈ですから、既存の古いパーツを転用したり、それをもとに再生したりした部品を使っているものと思われます。
一通り見て回って、元の位置に戻りました。これは、さっきも見ましたが、間違いなく泥溜タンクです。表面に赤い塗装が残っていますが、大井川鐡道の機関車で車体を赤く塗ったのはジェームズのC56形44号機だけですから、これはC56形44号機の泥溜タンクなのでしょうか。
これはちょっと分かりませんでした。蒸気ドームの横に並んでいることから、タービン発電機ではないか、と考えましたが・・・。 (続く)