10時43分に尾盛駅を出て後、乗っている客車スロフ202の後ろの窓から、後ろに連結されているDD20形機関車の細部をしばらく眺めていました。接岨峡温泉駅で後ろの3輌を切り離したので、それからは後ろのDD20形機関車が最後尾となっていました。
連結器や開放テコやジャンパ線、開放テコに後付けしたような予備ライトなどが見えました。アルナインのNゲージの金属キットでこのDD20形機関車を製作した際に、開放テコやジャンパ線や予備ライト等が無かったため、ジャンクパーツを用いてこれらの部品を自作して追加したことを思い出しました。
上部のヘッドライトも、レンズのパーツが無かったので、ウェーブのアイズのクリアパーツを使って追加しましたが、こうして実物を見ていますと、レンズのガラス部分がかなり目立つので、やっぱりこれは追加工作して良かったな、と思いました。
まもなく車内にアナウンスが流れ、これより関の沢橋梁を徐行して渡る旨が案内されました。窓から前方を見ると、その関の沢橋梁に列車が進んでゆくのが見えました。単純上路プレートガーダー鉄橋の上面が白っぽく浮き上がっていました。
すぐに左側の席へ移動して窓から外を、恐る恐る下方を覗きました。上図のように、紅葉に彩られた関の沢の斜面上に鉄橋と列車の影が見えました。
真下には関の沢川が見えました。川底からの高さは70.8メートル、日本一高い鉄道橋です。井川線の観光スポットの一つで、行楽シーズンには観光客へのサービスとして、一部の旅客列車が橋上で停車することもあるそうです。
関の沢渓谷の雄大な景観です。地図で見ると、この関の沢川が境界線にあたっていて、千頭側が榛原郡川根本町、井川側が静岡市葵区になります。
こんな深い渓谷によく鉄橋を架けたもんだなあ、と感心しつつ、高所恐怖症もしばらく忘れて、窓から下の鉄橋の構造物を見下ろしていました。
この関の沢橋梁は、井川線の前身である中部電力専用鉄道の大井川ダムから堂平までの区間の建設にともなって架けられ、昭和29年(1954)4月に供用を開始しています。橋長は114メートル、支間(橋脚から橋脚までのスパン)は84メートルを測ります。
関の沢渓谷の北西方向の奥に導水管のような構造物がチラリと見えました。地図で調べても施設名が見つかりませんでしたが、中部電力の関連施設なのでしょう。
関の沢橋梁を渡った後は、左右の紅葉の色が一段と鮮やかになりました。
しばらく、紅葉を愛でていました。
10時53分、閑蔵駅に近づいて分岐点を通過しました。 (続く)