車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

スポーツ活動を始めて良かった!

2017年10月26日 11時09分47秒 | 日記
今更ながらにあらためて、深々と思う。

スポーツ活動を始めて良かった。

卓球を始めて良かった。



身体を動かすだけではない。

一競技者としてどう成長していくべきなのか?

それを考えながら活動することが全てにおいて良い方向へ働く。

必要なこと、避けてはならない道、積み重ねていくべき努力、そうしたものを常に模索しながらの活動が、競技だけでなく日常生活全般にもの凄くプラスになっているとあらためて思う。気づかされる。



僕は30代までは健常者だった。

30代前半で車椅子になる。

それからある意味「激動」の自分史となった(笑)

もし卓球を始めていなかったら?スポーツ活動を行っていなかったら?

間違いなく今の自分は無い。

もしかしたら、腐っていたかもしれない。

まず、身体が腐っていたと思う。

いや、事実腐っていた。

それにより心にも影が差していった。

その方向へ進み続けていたことを考えると、それは恐ろしい。



じゃぁ健常者のままだったら?

全てにおいて今とはまた全然違った人生だろうけど、きっと今の方が心身ともに健康、心も今の方がずっと晴れやかだと思う。



卓球というスポーツ活動を行うにあたって、ただ卓球だけをやる、卓球のことだけを勉強するのではなく、スポーツ活動に必要な様々なことも同時に学んでいくわけで、また広く言えばスポーツという切り口から一社会人としてのあるべき姿も学ばせていただき、そうしたことが自分にとってどれだけプラスになっているか、得るものの大きさは計り知れない。

障害を負って、税金を免除されたり何かしら優遇してもらったりと恩恵を受ける場面も多々ある。

あえて言うが、それを気休めとして日々を惰性的に生きていたのでは今の自分は無い。

前を向いて、上を向いて何かしらの活動を行うからこそ得られる喜びや幸せが存在すると考える。

僕はそこに「生きがい」を感じる。

障害を負うことで、社会での活動範囲は嫌がおうなしに狭められてしまうのが現実ではあるけれど、それでも前を向く、上を向くチャンスはいくらでもある。

そのひとつがスポーツだと思う。

すそ野は広く、常に門戸は開かれているのだから。

ちょっと大げさな表現だけど、「生きがい」「生きる喜び」に出会えて、またそれに取り組むことが出来て、僕は本当に幸せだと思う。



卓球を始めて良かった。

障害者スポーツを始めて良かった。

今更ながらにつくづく思う。



そう思えることは、卓球の腕が上がるとか、試合で勝つとか、そういうこととはまた別の次元で僕のモチベーションとなっている。



さぁ、大切な試合が近づいている。

心を引き締めて、怠けることなく、自分に厳しく取り組んでいこう。

僕を応援してくれる方々もいるのだから。

その方々の支えから得た恩恵を無駄にしない為にも、僕はしっかり頑張らなきゃいけない。

そういう意味での、緊張感を伴った良い意味での義務、責務、そうしたプレッシャーに打ち勝って得る結果が「やりがい」となり、それが「生きがい」になるのだと思うから。



そう思える今の自分をすごく幸せに思う。

繰り返すが、卓球を始めて良かった。

スポーツ活動を始めて良かった。

多分、僕の歩いた道には花が咲くと思う。

自分で言っちゃった(笑)

それくらい幸せを感じる。充実している。

努力は必ず報われるものではないし、頑張ったからといって必ずしも結果に結び付くものでもない。

その前に悔しい思いをすることが多いことも重々承知している。

それでも挑み続けなければ結果は得られない。

どこにも保障の無い現実。それがスポーツという勝負の世界。

その厳しさを目の当たりにし、でもそれを楽しもうとしている自分を自分自身意外に思う。

目の前に伸びる道は長く険しい道。

突き進んでやる!

さぁ、頑張るぞ!

世界のトップを知る

2017年10月12日 23時25分46秒 | 日記
パラ卓球はクラスが1~11まで分けられる。

そのうち1~5が車椅子となる。

ちなみに6~10が立位、自立してプレーするクラスで、11が知的障害となる。



僕と同じクラスの、9月時点での世界ランキング1位の選手の最新の試合動画を見た。

それは中国の選手。

車椅子も立位も、パラだけでなくデフリンピック(聴覚障害)においても中国の卓球選手は強い。



その同じクラスの中国選手を、そのプレーをもの凄く見たかったのだけれど、それがついに叶った。

彼の動画はリオにせよロンドンにせよ、パラリンピックのものも含めネットでいくらでも見ることは出来る。

でも僕が見たかったのは、今年7月以降のもの。

自分自身の現在の目で、現在の彼のプレーを見て、そこから世界のトップを知りたかったのだ。



結論からすると、上手い。

かなり上手い。

ある意味真っ当な卓球をしている。

そのプレーから、普段どのような練習をしているのか、おぼろげながら想像が出来る。

それなりの練習をしなければあのようなプレーは出来ないと僕は思った。

さすが中国。

僕が思うに、「中国卓球」の理にかなったプレーをしていた。

でも、それ以上のプレーも垣間見れた。

さすがだった。



彼の動画はこれまでもいろいろ見てきた。

でもこんな風に思えたのは、ここまで見れたのは初めてのこと。

これは、自分で言うのもなんだけど、目が肥えた証だと思う。

今年前半にヨーロッパを中心に海外の試合に出場し、世界のトッププレーヤーをこの目で見て、感じて、そうすることで知り得たことがあれば、成長した自分があるので、その目であらためて彼を見て、そうすることでもう一歩深い視点で学び得るものがあると考えていたけど、それはまさに的中した。



実際に見たわけではないけど、それと同じくらい価値あるものが見れた。

実際に見たのと同じような感覚。



これで僕は目標としていた世界トップ5を見たことになる。

ついに今年の目標をコンプリート。

さぁここからまた再スタートといったところ。

世界の壁はもの凄く高い。

でもその高い壁がどんな壁なのか、今の僕には分かる気がする。

そんな僕をフォローしてくださる周囲の環境もある。



「強くなる」



後はもう純粋にそれだけとなった。



どうやったら強くなれる?



その答えは残念ながら明確ではない。

ただ一つ確かなことは、一朝一夕でそうなれるものではないということ。

細かなこと、地味なことの繰り返し、それしかないだろうし、世界のトップもそうしてトップへと登っていったのだと思う。



そういうことを知り、学ぶ能力を身につけてくれたこと、地味で辛いことからも逃げずに真正面から挑む覚悟を持てる自分でいること、そんな自分に育ててくれた両親や祖父母にまず感謝する。

そんな家族を喜ばせることは、感謝を形であらわすとすれば、それは結果というものでしかないかな。



さぁ、さらに気を引き締め直して、真摯に取り組んでまいります!

目標設定

2017年10月02日 22時14分17秒 | 日記
先日、お世話になっている健常者の卓球仲間、というか大先輩方からあらためて聞かれた。



「目標は?」



そういえばこれまでそんな風に聞かれたことは少なかったかもしれない。

あまり記憶にない。

期待を裏切らない形でそれとなくの返答はしていたと思う。

でもこの時は違っていた。

自分でも明確に答えた。

すると「おお!」と言ってもらえた。



今までもその思いはずっとあったし、言葉にはしなくても自分の胸にはずっと秘めていた。

それを初めて語った。



「2020年、東京パラリンピックに出場することです!」



というのは僕の目標設定とは異なる。

もちろん出場したい。

その為にどうすべきかも考えながら活動している。

でも僕はそこを目標にはしていない。

結果的にそうなれば良いというものであって、真の目標はそこにはない。



それを初めて公言した。



そこに自分自身の変化を感じる。

夢ではなく目標としている。

目標と言えるだけの自信がついた、と言うと偉そうだし勘違いしていると思われかねないけれど、でも今までの自分に対して内側での変化が生じていることを自分自身実感している。

それは僕を取り巻く環境の変化というか、外的要因によるものなのかもしれない。

現状が完璧でなくてもその将来性というか方向性の確かさ、可能性を実感できているからこそ現在の環境面に満足し取り組めるのだと思う。



器が出来れば、あとは中身を満たすだけ。

中身、それは紛れもなく自分次第。

器を作ってくださるのは自分のことを認めてくれる方がいてくれるから。

そのことを常に感謝し、また期待を裏切らないようにもっとしっかり取り組んでいかなければならない。

感謝の気持ちを表すならば、それは結果でしかない。



目標を公言するというのは自分でハードルを設定することでもあるわけで、それを超える自信のない人が目標設定をすることなく活動するのでしょう。

ハードルを設定するということは自分を追い込むことであり、それによるプレッシャーに対峙し続けなければならなくなる訳ですから、そんなものは無い方が楽でいい。



でも僕が知り得るアスリートというのは「楽」な道を選びはしない。

「楽」というのは「楽しい」ことであり、でもそれは「楽しむ」ということとは別の道だと考える。

目標を設定し、それを達成するために努力を重ねていくのだろうけど、その辛く苦しく、厳しい道は決して「楽しい」ものではなく、「楽」の真逆となるものだと思う。

でも結果的にそれを「楽しむ」ことは出来る。

だからこそ、「楽しい」と「楽しむ」は似て非なることだと考える。



僕は別に楽しく練習がしたいわけではない。

自分が「楽しめる」練習がしたいだけ。

自分が「楽しめる」環境を常に求めてきた。

今はその環境がどんどん広がっていく、そんな気がしている。

だからこれまで胸に秘めていた目標をついに公言することが出来たのだと思う。

それを実現出来た姿をその方々に見ていただきたい、そう思えたからでもあると思う。



様々な選手がいて、その胸にはそれぞれの目標設定があって、それぞれの活動をしているのだと思う。

誰がどういう目標を掲げているのかは定かじゃないし、聞いてみたところでそれが本当のことかどうかも分からない。

でもそういうのは言葉ではなく背中で見て取れるものなのかなと思う。

言葉で嘘はつける。

なんとでも言える。

でも、言葉以外で人は嘘をつけない。

逆の良い方をすれば、言葉以外の部分で本音が見て取れる。



「あいつが言った目標は本物だ」



そう思ってもらえるからこそ応援、協力してもらえるものなのだと思う。



さぁ、ついに風呂敷を広げたので、それが嘘にならないようにしっかりと取り組んでいかなきゃならない。



全てを楽しんでやる!