車椅子で卓球@渡邊剛

2013年より車椅子卓球をスタート。備忘録の意もこめてここにブログを綴ります。
内容は基本パラ卓球、時々食文化。

車椅子バスケ初体験!!

2021年09月12日 22時35分07秒 | 日記
とある企画で、ボッチャ、エアロビクス、そして車椅子バスケを体験させていただいた。

ボッチャは以前に東京パラ金メダリストであり、そのエースである2人のオランダ女子バスケ選手と対戦したことがあったので(長い前置き(笑))初めてではない。

といってもルールを認識しているわけではない。全くの無知。

エアロビクスと車椅子バスケは全くの初体験。

それを体験できたのだ。



結論。

めちゃくちゃ楽しかった!

けれど、「センスねぇなぁ俺・・・」と卑屈な思いも・・・(笑)



まずボッチャ。

何にも分かっていないから、戦術を練ることなくただ投げるだけ(笑)

でも、その投げるということそのものが、簡単なようで実に難しい!

分度器で例えるなら、90度のコースに狙って投げているのに85度にいっちゃったとか、届かないとか、まず投げるという技術の難しさ。

そして何よりも戦術面の組み立て。

ルールを熟知し、そのうえでどこにどう投げるか、6個のボールをどのように「組み立てる」のか、それがまぁ実に面白い!

例えるなら、アクションの加わった将棋のようなものか。

実に面白かったし、その奥深さをあらためて知る。



そしてエアロビクス。

これは子供のころから知っている。

けれどやったことはなかった。

車椅子になってから、ビリー隊長にお世話になったことが一瞬だけ(笑)あったけど、その時は「こんなの無理だ」とさじを投げた。

もともとリズム感には全く持って自信がない。

運動神経も同様。

僕は不器用な脳筋タイプだと自負している。

でも、その教室には様々な障害を持つ方も通われてて、それが実にみなさん楽しそうにされていたし、その中に僕も加えていただいて一緒にやらせていただいた。

腕を動かすだけなら簡単?

案外そうでもない。

普段のストレッチと同じようなエクササイズも少なくはなかった。

でも、同じ腕を動かすにもリズムに合わせてとなるとそれは無意識のうちに全身運動になっているから驚き。使う筋肉が広がっているし、だからか思いのほか息が上がる。

これはいいぞ!と閃く。

ビリー隊長から逃げ出したあの頃とは明らかに違っていることを実感できたのが何より嬉しかったかも。

今なら隊長にもう少しはついていけそうな気がする(笑)

エアロビクス、その可能性というか効果の大きさというか、あれはかなりナイスなエクササイズだと思った。

自分のトレーニングメニューにも加える価値があると思う。



そして車椅子バスケ。

いわゆるバスケ車にはリハビリで入院してた時に一度だけ乗せてもらったことがある。

その時、「こんなの無理だ」と思った。

だって、真っ直ぐ走らない。すぐにくるくる回る。

背もたれも低いから座位バランスが安定しない。

で、ボールがまた重い。

これを車いすに座った状態であんなところまで投げる?

無理無理!

そう思っていた。

さらに、当時見たバスケ選手の動きの速さ。

車椅子をあんな速さで動かすのか!?僕には出来ない!

だから、ある意味それは別次元のものだと思っていた。

それに15年の時を経てついにチャレンジすることに。

正直、一番のネックだったのはバスケ車への乗り移り。

一人で出来るのか?が最も不安だった。

けれど、車椅子バスケ経験のある職場の先輩からコツを教えてもらっていたので、あとは自分自身のフィジカルだけ。

でも未体験のことにものすごくビビる僕なので(笑)、それでちょっと不安だった。

が、案外簡単に出来た。

それがまた一つ細やかながら自信になった。

バスケ車は確かにいつもの車椅子とは違っているので、一瞬の戸惑いはあるしいつもの癖が動きをワンテンポ遅らせてしまう。

けれど、そこに昔感じた不安や違和感は全くない。

むしろ安心感もあり実に楽しい!

軽快に、爽快に、広いコートを機敏に動き回れることに、まるで翼を得たような快感を覚えた。

これに慣れるとめちゃくちゃ楽しいぞ!と実感。

そしてボールの重さは「あれ、こんなものだったっけ?」と思えるくらいに軽く感じた。

もう少し指の長さがあれば手で掴めるのに、と思えたくらい。

これがある意味一番の喜びだったかも。

以前とは違った感覚。

そこに手ごたえを覚えたし、自信につながった。

車椅子バスケ、あれは楽しい!

あのスピードで自由に動き回り、仲間と意識を共有し同じ目標へと突き進む、あれはチェアウォーカーであればこそ、あの楽しみを一度は経験しておいた方が良い。

でも、その楽しみを覚える為にはある程度のスキルを要することになるかもしれない。

けれど、僕のように、成長したからこその楽しみ、それを覚えられたことの喜びがまたひとしおなのだ。



スポーツを楽しむことには個人差があって然り。

例えるなら、初めから10kgのダンベルを持てる人もいれば、5kgでも厳しいというひとだっている。

みんな同じ人間。

でも人それぞれで違っている。

だから、自分に合ったスタンスで始めればいい。

そして、自分に合ったルートで成長していけばそれでいい。

同じ目標に早く簡単にたどり着ける人もいれば、すごく時間がかかる人だっている。

でもそれはどちらかが間違っているなんて話ではない。

自分が設定した目標がその人にとってそういう距離であったというだけの話。

それで良いならいいじゃないか。

本人はその行程を楽しめるのだから。

スポーツは実に楽しい。

特にビジネスにおいて、努力というのは必ずしも報われるものではない。

投資はかならず見返りを生むというものではない。

スポーツも、競技となると同様だ。

努力したから必ず結果が生まれるというわけではない。

でも、自分自身の成長の為のスポーツというのは、絶対のバックがある。

努力しただけの結果が返ってくる。

努力が自分を裏切ることがないのだ。

やればやっただけ筋力は上がる。持久力もつく。身体が出来てくる。

だから、出来るようになったという「成功体験」を必ず得られる。

それは人生においてものすごく大きな財産になる。

それがスポーツだと思う。

車椅子になったけど、出来ることはたくさんある。

まだまだ可能性はたくさんある。

めちゃくちゃある。

今回の3競技の体験が僕の大きな喜びと自信を与えてくれた。

それがこれからのパラ卓球活動の糧となる。

自分のパラ卓球をさらに磨き上げていこうと思う。

様々な競技で活躍する方々に「あいつはすごいよ」と認めてもらえるように。

そうそう、今回の体験で一番の財産になったもの、それは撮影の合間のバスケ選手との会話。

今回のパラリンピックの男子バスケチームの躍動、その裏話からくる「アスリートマインド」の大切さ。そのための具体的な取り組み。

本音を率直に話せたこと、そして伺えたこと、それがある意味最も大きな「体験」でもあった。

さぁ、頑張っていこう。

パラ卓球の僕のクラスは車椅子バスケのように車椅子を躍動的に動かすことは無い。

だから使う筋肉は違ってくる。

けれど身体を動かすことに変わりはない。

エアロビクスほどの持久力も求められない。

けれど、瞬発力は欠かせない。

そしてボッチャのような頭脳戦、そして判断力、決断力、それを実行するだけの技術力が求められる。

ククク、成長したぜ(笑)

アスリート・マインド。

いいねぇ、実に良い。

そうした方々と言葉を交わせることに大いなる喜びを覚える。

よっしゃ!

やってやろう!!

東京2020パラリンピックが与えてくれたもの

2021年09月10日 22時35分48秒 | 日記
結論からすれば、それはものすごく大きなものだった。

あくまでも個人的なものだけれど、僕自身の感覚的にも、またコーチ陣の意識的にも、それは大きな変化をもたらしてくれた。

日本のパラスポーツという視点においては、それはもうとてつもないインパクトを与えたと思うし、様々なアプローチからのそうした報道をよく目にする。

報道だけじゃない、実際に「声」として聞こえてくる。

その中で、ある意味最もシリアスなものが「パラアスリートが障害者ではなくアスリートとして見られるようになった」という声。

そもそもこの言葉が記事として明文化されていることが大きな社会の変化だと思う。

日本社会にもし障害者に対しての気遣いや遠慮が今までと同様にあれば、きっとこうした言葉が前面に出ることは無かったかもしれない。

けれど、出てきたということはそういう変化が社会に生じていることの証だと思うし、それはパラアスリートに限らず障害者のこの先の可能性を格段に大きくするもの、言葉を変えれば掴み取れるチャンスの数がものすごく増えることを意味すると僕は捉えている。

でもそれは逆の見方をすれば、より厳しい眼で見られる、甘えが許されないということにもなる。「障害者」ではなく「アスリート」「社会人」としての評価を受けるわけだから。

バリアが無くなって対等に接するということは、権利と同時に義務や責任も対等に生じるということ。

厳しい言い方をすればそうなるけれど、共生する社会人としてはむしろ当然の事であり、それは僕らがそれだけ「さらなる可能性を得た」ということにもなる。

だからこそ、パラアスリートは「アスリート」として社会から評価されるだけの活動を行っていかなければいけないし、障害者という狭い範囲だけでのアスリートではなく、誰の目に映っても「アスリート」としてあるべき姿でいなければならないということになる。



そして今回もうひとつ興味深い声が複数あった。

それは「競技によって結果が違いましたね」というもの。

競技による違い、それは競技団体による違いということだ。

見る人にとってもそういう感想を得たというのはちょっと驚かされた。

躍進したところとそうでないところ、その差が目に付いたというのだ

競技の結果というのは、もちろんまず選手個人の積み重ねであることに他ならないけれど、でもマクロで見るとそれは「競技団体の意識の違いじゃないか」という意見がそろって聞こえてきた。

パラスポーツをオリンピック同様の「スポーツ」として捉えているか、そうではなく「障害者のスポーツ」として捉えているか、それが結果として明確に表れた、というものなのだ。

障害者スポーツの管轄が厚生労働省から文部科学省スポーツ庁に移行し、一般のスポーツと同じ立ち位置となったのが数年前。その時点で障害者スポーツは「スポーツ」へと進化したと言える。

けれど、それに伴った意識や活動の変化、進化というのが、団体によって異なり、それが差となって表れたのではないかというのだ。

社会の眼にはそういう風にも映っていたんだなぁとシリアスに思う反面、嬉しくも思えた。

それはまさに「忌憚なき意見」だと思えるから。

そうやってストレートに言ってもらえるのはその人がより近しい距離にいるということの現れであり、それは実にありがたいことで、社会がその立ち位置にいてくれるということはまさに今後のパラスポーツ界の飛躍に直結し、さらには障害者の社会進出や共生という部分にも大きな糧となるものだと僕は思っている。

まぁ、これ以上団体云々について僕がこの場で言うのは控えよう。



僕はあくまでもいちプレーヤーとして黙々と、粛々と、活動を重ねていくのみ。

パラリンピックの開催を無事に終えた今、その盛り上がりを維持継続していけるかどうかはまさに僕を含めたパラスポーツ選手の活動と選手そのものにかかっていると思う。

スポーツ活動関係者だけでなく、近所の方々、いつもの生活圏内でお会いする方々、ネットの向こう側にいる方々、そうした全てのみなさんから自分が「パラアスリートだ」と評価してもらえるかどうか、それにかかっていると思う。



今回のオリパラ、「レガシー」という言葉が散々使われてきた。

レガシーに出来るかどうかはまさに自分次第だと思う。

きっと、自分自身の活動の結果はその先にあるものだとも思える。

けれど、僕はその為に活動していくのではない。

あくまでも自分の為。

結果的にそれが他の方にとってのレガシーになれば良いじゃないかというだけの話。

その為にやるのではない。あしからず。

飲食時代に教えられたことは、「最初から数字(売り上げ)を求めるな、まずはお客様に喜んでもらう、楽しんでもらうことを考えろ、数字はその結果となってついてくる」ということ。

スポーツ活動も同じだと思っている。

だから、成長は斜め上がりではなく階段状なのだ。

階段状?

その話をすると長くなるのでここで終わる(笑)

淡々と、コツコツと、地味でいい、目立たなくていいからとにかく頑張り続けていこう。

でもアンテナは広く張り巡らし、アップデートは絶えず行えるようにしていよう。

みんなそれぞれのステージで頑張っている。

僕は僕のステージで精いっぱい頑張っていく。

今回のパラリンピックが僕に、実に大きなものを与えてくれた。

さぁ、突き進んでいこう!

東京2020パラリンピックを観戦して

2021年09月03日 22時30分49秒 | 日記
地上波も衛星放送でも、パラリンピックの放送が様々されている。

それを見た人たちの声もたくさん届く。

特にパラ卓球。

興味深い感想が聞こえてきた。

当事者としてではなくあくまでも客観的な視点において、パラスポーツを通じての共生社会、バリアフリーというのが国を挙げての大きなテーマの一つだと捉えているし、それは誰にも想像に難くないことだと思う。

そういう点において、今回のパラリンピックが投じる一石はとても大きなものだろうし、僕自身その余波を実感している。

卓球場へも車椅子のお子さんの問い合わせが入って来ているし、「何かしらスポーツに取り組みたい」という障害者の声が聞こえてくれば、「パラスポーツに興味が湧いた」という声も多数耳に届く。

がしかし、その余波は必ずしも背中を押してくれるだけということではなく、場合によっては正面から向かってくる波になり得ることも考えられる。

いずれにせよ、その波の「力」をどう活かすのか、それはまさにその人次第。

もしかしたら、ただその恩恵をあやかろうとするだけの人は、それなりの恩恵しか得られないものかもしれない。

逆に自分で掴みにいく人こそ、その大きな恩恵を得られるものなんだろうなと考えたりもする。

行きつく答えは、自分次第。



とにかく、この街で開催されているパラリンピック、僕はそれに大いなる影響を受けている。



まず、先週の練習だった。

全然ダメだった。

身体も心も目も全然動かない。働かない。自分にイライラした。あんなフラストレーションは久しぶりだった。

なぜ?

それはパラリンピックを観戦してちょっと浮足立ってしまっていたから(笑)

でも何故調子が悪かったのか、その原因を具体的に自分でもよく分っている。

だから反省するし、修正する。



そして今週。

反省し修正したからバッチリ動けた。

そして、それぞれのコーチとパラリンピックについて話し、そこで得た情報をフィードバックした上で練習をする。

それがものすごく充実したものになる。

後はそうやって小さなものを積み重ねていくだけ。

それしかない。

パラリンピックというステージに立っている選手、そこで活躍している選手、結果を出している選手というのは、みんなコツコツと積み重ねていったからそこに立っているのだろうから。



そんな彼らにインスパイアされて、新しい一歩を踏み出す。

でもそれは何もパラ卓球に限ったことではない。

僕はそのステージで活動しているけれど、僕が参考にするアスリートはパラ全ての競技を対象とするし、それはパラだけでなくオリンピアンも同じくその対象としている。

いや、スポーツ選手だけでなく学者や科学者、研究者などの専門家も同様。

さらには、今という同じ時代を生きる方々だけでなく、歴史に名を連ねた方々の偉業からも同様に学べるし、直接その姿を見なくても、僕は文字から学ぶことも重要と捉え、それを活かしていく必要性も常々感じている。



だけど、今回の東京パラリンピック、リアルタイムで見るそれはやはり最高の学びを与えてくれた。

それを自分が見たことが良いだけじゃなく、それを他者とリアルタイムで同時に見て、情報として共有できたことが大きな財産なのだ。

見た感想や持ったイメージは人それぞれ。

それを聞き合える、ぶつけ合える、自分の価値観、そして自分とは違う価値観を互いに共有し合い、その為に同じものを見て、同じ時間を共有する、それが凄く良いことだし、大切なこと。

それはまさにダイバージェントだし、それを今の日本社会に体現させたのがまさに今回のパラリンピックだったんじゃないかと思う。

いや、僕のパラ卓球についての話ですけどね(笑)



前回のリオから5年。

その変化、進化を確認することが出来た。

得た情報は決して十分とは言えない。

モニターを通して見ただけだし、それが実際にこの目で見るものとにギャップがあることは過去の経験からも理解している。

それでも、求めていたものを得ることは出来た。

道のりはまだまだ長い。

でも、共に歩んでくれる方々も大勢いる。

といっても自分の足で歩いていかなければならないのだけれど、今回のパラリンピックは今までの僕のパラ卓球活動において最大のターニングポイントを設けてくれた。

ここから先へはまた自分の足でしっかり進んでいかなければならない。

チェウォーカーだから車輪を漕いで進むことになるけど(笑)

見据える目標は変わらない。

そこへたどり着くために何をどう行っていくのか。

歩幅を大きくしたり、あるいは敢えてそこで足踏みをしたり、遠回りをすべき時もあるかもしれないし、少し戻るようなことだってあるかもしれない。

けれど、見据える先は変わらない。

そこへ到達するためにどう歩いていくのか。

東京2020パラリンピック、良いヒント、というか、良いチャンスを与えてくれた。

出場出来なかった悔しさなんて、今となっては微塵も・・・というと嘘になるけど(笑)、でもそう言えるくらいに感じていない。

なぜなら、次を見据えているから。

そこへたどり着くためにどうするのか?

それを考えてると、過ぎ去ったことへの感傷なんて何もない。

まず今は試合をしたい。

でも、国内の大会ですらその開催が危ぶまれるような状況。

不安は増すばかり。

でも、ブレずに積み重ねていく。

自分の未来を信じるというのは実に楽しいことなのだなぁ(笑)

さぁ、頑張っていこう!

あいつらに負けないように!