スポーツ活動を行うにあたって、食の重要性は言わずと知れたこと。
いや、なにもスポーツ活動に限ったことではなく、生物としてその生命を維持していくという時点で最重要課題となる。
でも、便利な現代。
物も情報ももの凄い数が存在するので、逆に僕らはその中から選択し生き抜いていかなければならない。
それは自分自身の為だけでなく、次の世代、またその次の世代の為でもある。
冒頭からスケールの大きな話になっちゃった(笑)
まぁ、僕はこれくらい「食」について関心度が高い、と思ってください。
なぜそうなのか?
実は、僕はずっと飲食業(フランス料理)に従事していました。
車椅子になってからも7年間現場に出ていましたし、それ以降も飲食業に携わっていました。
僕はキュイジニエ(コックさん)ではなくずっとサービスですが、必然的に食材や調理の知識は高まっていきますし、それと同時に食という「文化」を学んでいくことになりますので、洋の東西を超えて「食」全般に関心が高まっていったというわけです。
かつて共に働いた料理人で、フランスのミシュランで星を獲得している友人もいれば、世界的に著名な「農夫」にも親しくしてもらっているし、フランスの3つ星をはじめ著名なレストランやパティスリーで修業してきた仲間も多く、そのみんなが国内外で活躍しています。
ですので、食に関する情報も多く集まりますし、その関心度の高さは現在進行形。食を学ぶことは僕の生涯学習、ライフ・スタイルでもあります。
それらの知識や情報を踏まえた上で、自身のスポーツ活動における食生活をより充実させていきたい。より効率よく行っていきたい。
それをスキルと考えれば、活かさない手はない。
これまでは「食べる為に生きるのか、生きる為に食べるのか」を考えていて、食べることを楽しめなければ人生そのものが楽しめない!というのが持論でした。
であれば、食べたい時に食べたいものを食べるからこそ幸せなのだと考えていたのだけれど、スポーツ活動を行っていくうちに自分の中で食に対する意識が変わっていきました。
もちろん「食べたい時に食べたいものを食べるからこその幸せ」という考えに変わりはありませんが、スポーツの世界においては違った角度で食の重要性を考えなければならない。
考えている人とそうでない人では結果も大きく異なってくるものだということを認識し始めました。
人間の体は食べたもので出来ている。
スポーツ選手の体も食べたもので出来る。
何も考えずに食べたいものだけを食べるのか、食もマネージメントして活動全体をより生産性高く行っていくのか、すべきこと、歩むべき道は自ずと知れている。
素材の組み合わせや相性、どれくらいの温度でどのように変化するかなどは知識として少なからず持っているつもり。でも素材の持つ栄養素については逆に無知でした。
どういう栄養素がどういう働きをするかなど、タイミングなども含め摂取すべき栄養素、素材を考えて食事を取る、調理をするということに最近は新たな楽しみを覚えています。
これは食に携わってきた経験による僕の財産。
フィジカルやテクニカルで劣る部分をそういう点でリカバーし、さらなる活動の糧と出来る自信があります。
医食同源。
昔から言われること。
欲しいものが何でも手に入り、また食事を取らなくてもサプリメントなどで求める栄養素を摂取できる現代。
だからこそ、この時代に生きる僕らはもっと考えて、知恵を絞り、食を考えていかなければならない。
それは栄養面だけのことではなく、添加物等の及ぼす影響も意識して食事をする必要があると僕は考えています。
僕は別にオーガニック信者でも無農薬推進派でも何でもない。
農薬の存在はむしろ肯定しています。だってそのおかげで人類は食料を安定的に確保できるようになったわけだし、その結果が今の社会を築いてくれているのだから。
だけど、自分が口にするものは知識を総動員して選ぶ。
健康の為といえばそうなるけど、でも一番は競技活動の為。
繰り返しますが、人間の体は食べるもので出来る。
何を食べるか、それが結果的にその後の道を大きく分ける。
きちんとした食事をすれば、身体の栄養は摂取出来る。
そして楽しく食べれば心の栄養も取れる。
さらに、頭を使って、考えて食べることで頭脳も鍛えられると思う。
これは大人もそうだけど、むしろ子供の食育に必要不可欠な要素だと思います。
今は考えずに出来る食事が多いと言われるけれど、それが頭の回転力や思考能力に影響するという話も聞いたことがあります。
白ご飯を数品のおかずで食べるのか、おかずがご飯にのった丼物で食べるのか、同じものを口に運ぶにしても頭の使い方が全く異なるので、そこで養われるものの差は大きいのではないかと言うのです。
お茶碗とおかずの器が別々なのか一緒なのか、それも差を生むものと僕は考えます。
また、色彩感覚なども幼少期の食卓から養われるというし、3時のおやつをお母さんが作る家庭から反抗期の非行は出にくい、さらには、家族で会話と共に食卓を囲むことが及ぼす影響力など、ただ身体に栄養を摂取するだけでなく人間そのものを形成していく上で「食」というのは最も重要な行為だと僕は考えています。
だからこそ、スポーツ活動を行うにあたって、持てるものを最大限に活かし、ほんの少しでもパフォーマンスの向上に役立てるように心掛けていなければならないと自覚しています。
食の話をしようとすると卓球以上に長くなるので、そろそろまとめておきましょう(笑)
余談ですが、僕は海外を含め遠征先での食事をすごく楽しみにしています。
それこそ料理には「文化」が凝縮されているから。
どういう食材が使われ、重宝され、何がどのように提供されるのか、卓上の演出やサービスの習慣、アルコールを含む飲み物はどうなのか、なぜその食材がそこで多く使われるのか、そこには気候風土のみならず歴史的な背景も必ず存在しています。そうした「文化」をこの目で見て触れることに僕は人一倍感動を覚えます。
卓球以外でも学ぶことが多くあるので、その点でも僕は人一倍幸運だと思いますね。
何をどう食べるか。
どの栄養素をいつ摂取するか。
身体の為に、パフォーマンスの為に、それは今の僕にとって最も大切なこと。
でも、それと同時に「心の栄養」を摂取することも僕の大きなテーマです。
心の栄養なくして身体の栄養は無い。
思想の健康は肉体の健康に勝る、ですから。
そういう点で、僕は人一倍食全般への関心は強いと思います。
ちなみに、「心の栄養」の摂取において僕が大切にしていることは、「何を食べるか」よりも「どこで食べるか」であり、さらにそれよりも重要なのは「誰と食べるか」だと思います。
今後は、そんな僕の視点で現地の食レポもここに加えていこうと思います。
いつも以上に長くなっちゃった(笑)
いや、なにもスポーツ活動に限ったことではなく、生物としてその生命を維持していくという時点で最重要課題となる。
でも、便利な現代。
物も情報ももの凄い数が存在するので、逆に僕らはその中から選択し生き抜いていかなければならない。
それは自分自身の為だけでなく、次の世代、またその次の世代の為でもある。
冒頭からスケールの大きな話になっちゃった(笑)
まぁ、僕はこれくらい「食」について関心度が高い、と思ってください。
なぜそうなのか?
実は、僕はずっと飲食業(フランス料理)に従事していました。
車椅子になってからも7年間現場に出ていましたし、それ以降も飲食業に携わっていました。
僕はキュイジニエ(コックさん)ではなくずっとサービスですが、必然的に食材や調理の知識は高まっていきますし、それと同時に食という「文化」を学んでいくことになりますので、洋の東西を超えて「食」全般に関心が高まっていったというわけです。
かつて共に働いた料理人で、フランスのミシュランで星を獲得している友人もいれば、世界的に著名な「農夫」にも親しくしてもらっているし、フランスの3つ星をはじめ著名なレストランやパティスリーで修業してきた仲間も多く、そのみんなが国内外で活躍しています。
ですので、食に関する情報も多く集まりますし、その関心度の高さは現在進行形。食を学ぶことは僕の生涯学習、ライフ・スタイルでもあります。
それらの知識や情報を踏まえた上で、自身のスポーツ活動における食生活をより充実させていきたい。より効率よく行っていきたい。
それをスキルと考えれば、活かさない手はない。
これまでは「食べる為に生きるのか、生きる為に食べるのか」を考えていて、食べることを楽しめなければ人生そのものが楽しめない!というのが持論でした。
であれば、食べたい時に食べたいものを食べるからこそ幸せなのだと考えていたのだけれど、スポーツ活動を行っていくうちに自分の中で食に対する意識が変わっていきました。
もちろん「食べたい時に食べたいものを食べるからこその幸せ」という考えに変わりはありませんが、スポーツの世界においては違った角度で食の重要性を考えなければならない。
考えている人とそうでない人では結果も大きく異なってくるものだということを認識し始めました。
人間の体は食べたもので出来ている。
スポーツ選手の体も食べたもので出来る。
何も考えずに食べたいものだけを食べるのか、食もマネージメントして活動全体をより生産性高く行っていくのか、すべきこと、歩むべき道は自ずと知れている。
素材の組み合わせや相性、どれくらいの温度でどのように変化するかなどは知識として少なからず持っているつもり。でも素材の持つ栄養素については逆に無知でした。
どういう栄養素がどういう働きをするかなど、タイミングなども含め摂取すべき栄養素、素材を考えて食事を取る、調理をするということに最近は新たな楽しみを覚えています。
これは食に携わってきた経験による僕の財産。
フィジカルやテクニカルで劣る部分をそういう点でリカバーし、さらなる活動の糧と出来る自信があります。
医食同源。
昔から言われること。
欲しいものが何でも手に入り、また食事を取らなくてもサプリメントなどで求める栄養素を摂取できる現代。
だからこそ、この時代に生きる僕らはもっと考えて、知恵を絞り、食を考えていかなければならない。
それは栄養面だけのことではなく、添加物等の及ぼす影響も意識して食事をする必要があると僕は考えています。
僕は別にオーガニック信者でも無農薬推進派でも何でもない。
農薬の存在はむしろ肯定しています。だってそのおかげで人類は食料を安定的に確保できるようになったわけだし、その結果が今の社会を築いてくれているのだから。
だけど、自分が口にするものは知識を総動員して選ぶ。
健康の為といえばそうなるけど、でも一番は競技活動の為。
繰り返しますが、人間の体は食べるもので出来る。
何を食べるか、それが結果的にその後の道を大きく分ける。
きちんとした食事をすれば、身体の栄養は摂取出来る。
そして楽しく食べれば心の栄養も取れる。
さらに、頭を使って、考えて食べることで頭脳も鍛えられると思う。
これは大人もそうだけど、むしろ子供の食育に必要不可欠な要素だと思います。
今は考えずに出来る食事が多いと言われるけれど、それが頭の回転力や思考能力に影響するという話も聞いたことがあります。
白ご飯を数品のおかずで食べるのか、おかずがご飯にのった丼物で食べるのか、同じものを口に運ぶにしても頭の使い方が全く異なるので、そこで養われるものの差は大きいのではないかと言うのです。
お茶碗とおかずの器が別々なのか一緒なのか、それも差を生むものと僕は考えます。
また、色彩感覚なども幼少期の食卓から養われるというし、3時のおやつをお母さんが作る家庭から反抗期の非行は出にくい、さらには、家族で会話と共に食卓を囲むことが及ぼす影響力など、ただ身体に栄養を摂取するだけでなく人間そのものを形成していく上で「食」というのは最も重要な行為だと僕は考えています。
だからこそ、スポーツ活動を行うにあたって、持てるものを最大限に活かし、ほんの少しでもパフォーマンスの向上に役立てるように心掛けていなければならないと自覚しています。
食の話をしようとすると卓球以上に長くなるので、そろそろまとめておきましょう(笑)
余談ですが、僕は海外を含め遠征先での食事をすごく楽しみにしています。
それこそ料理には「文化」が凝縮されているから。
どういう食材が使われ、重宝され、何がどのように提供されるのか、卓上の演出やサービスの習慣、アルコールを含む飲み物はどうなのか、なぜその食材がそこで多く使われるのか、そこには気候風土のみならず歴史的な背景も必ず存在しています。そうした「文化」をこの目で見て触れることに僕は人一倍感動を覚えます。
卓球以外でも学ぶことが多くあるので、その点でも僕は人一倍幸運だと思いますね。
何をどう食べるか。
どの栄養素をいつ摂取するか。
身体の為に、パフォーマンスの為に、それは今の僕にとって最も大切なこと。
でも、それと同時に「心の栄養」を摂取することも僕の大きなテーマです。
心の栄養なくして身体の栄養は無い。
思想の健康は肉体の健康に勝る、ですから。
そういう点で、僕は人一倍食全般への関心は強いと思います。
ちなみに、「心の栄養」の摂取において僕が大切にしていることは、「何を食べるか」よりも「どこで食べるか」であり、さらにそれよりも重要なのは「誰と食べるか」だと思います。
今後は、そんな僕の視点で現地の食レポもここに加えていこうと思います。
いつも以上に長くなっちゃった(笑)